(本記事は、今泉清氏の著書『ONE TEAM!ラグビー日本代表に学ぶ最強組織のつくり方』日本能率協会マネジメントセンターの中から一部を抜粋・編集しています)
「積極的対話」でチームメンバーの役割を理解する
私がニュージーランドでラグビーをしていたとき、とくに印象的な選手が二人いた。先に紹介したグラント・フォックスとショーン・フィッツパトリックだ。
グラント・フォックスは1984年から1993年までオールブラックスに選出され、第1回ラグビーワールドカップの優勝メンバーであり、同時に大会得点王にも輝いた。
そして、ショーン・フィッツパトリックは1986年から1997年までオールブラックスに選出され、彼も第1回大会で優勝したときのメンバーである。1992年から現役を引退するまで、オールブラックスのキャプテンを務めたほどのスター選手だ。
そんな彼らが超一流のスキルを持ち合わせていることは、もはや言うまでもないが、彼らの凄さを目の当たりにしたのが、「積極的対話」によって生み出される役割の理解度であった。
当時、日本のラグビーであれば監督やコーチからの指示・命令によって、それぞれ選手の役割が決定されていくのが一般的だった。
だが、ニュージーランドの選手は一人ひとりが「プレイング・マネジャー」のように互いがコミュニケーションを図りながら、チームメイトの強みを明確に理解したうえで試合に臨む。
そのためにチームのなかには積極的な対話があった。
オールブラックスや快進撃を続けた日本代表チームといった強いチームにはある共通点がある。それは、チームのなかに積極的対話があるということだ。
ここで重要なのは、「会話」ではなく「対話」であるということ。対話は会話とまったく違うという点だ。
日本語の辞書で引くと、両方とも「向かい合って話し合うこと」とあるが、英語だと会話は「conversation」、対話は「dialogue」で、異なる意味を持っている。
つまり、英語での対話とは、「違うものをすり合わせて同じものを共有する」といった意味になるのだ。
では、なぜ彼らがオールブラックスに選ばれるほどの選手なのか。あるエピソードを交えて紹介したい。
彼らのようなオールブラックスに選ばれる選手たちは、普段自分たちが所属しているクラブや州代表チームなどを掛け持ちしている。だから、私が所属していたオークランド・ユニバーシティ・クラブにも助っ人として来ていた。
ある日、私のチームが強豪と対戦するということになり、グラント・フォックスとショーン・フィッツパトリックも姿を現した。
だが、そんな彼らが試合当日にいきなり来て、チーム一丸となり勝つために何ができるのかについて、私は正直不安であった。
だが、そんな不安はすぐに払しょくされることになる。試合前にグラント・フォックスが急に私のところに来て、このようなことを話し出した。
「キヨシ、今日はよろしくな。ところで、キックは蹴れるよな?」
私は「イエス」と答えた。
すると、グラント・フォックスは「相手は間違いなく俺がキックを蹴ると予想しているはずだ。そこでときどきキヨシにパスをするからキヨシがキックを蹴るんだ。そのつもりでしっかり準備してくれよ!」と、オールブラックスの選手が日本人の私にキックを譲るというのだ。
続けて、「パスはどんなボールが欲しい?」「どんなタイミングで出せばいい?」など、積極的対話によって私の強みや特徴を頭にインプットしている様子だった。
試合が始まると、やはり最初はコンビネーションが合わない。だが、それぞれのメンバーに対して「俺はこれをやるから君はこれをやってくれ」といった指示があちこちで飛び交っていた。その指示は誰もがわかりやすく、そして明確だった。
試合が始まって15分ほどで、まるで長年一緒にプレーしているような「ONE TEAM」になっていき、私たちのチームは勝利した。
私は、「これがオールブラックスに選ばれる選手なのか」と驚いたわけだが、同時にこうした積極的対話の大事さを学ぶことができたのだ。
積極的対話は突き詰めることに意味がある
このように、ニュージーランドの監督やコーチ、そして選手はコミュニケーションの手段として、「積極的対話」をとても大切にしていることが理解いただけたのではないだろうか。
この「積極的対話」について、実はとても重要なポイントがあるので、もう少し詳しく触れておくことにしよう。
ニュージーランドのラグビーに順応していき、監督や選手たちからの信頼を得て打ち解けてきたころに思ったことがある。それは、ニュージーランド人の監督や選手はとにかくよくしゃべるのだ。
というよりも国民性なのだろうか。ニュージーランドの人々はとにかくおしゃべりが大好きで、街で偶然会った友人と1、2時間話し込んでしまうなんてことは日常茶飯事なのである。
そのため、街中にはゆっくり話ができるカフェがとても多い。それゆえ、ニュージーランド人は話が非常に上手く、要点の伝え方などに長けている。それはラグビーの監督やコーチ、選手も決して例外ではない。
とくに、ニュージーランドのラグビーが世界最強とまで呼ばれるのは、そのコミュニケーションの図り方にあるといえる。
それは、決して一方的ではなく、互いに対話を理解し合うまで突き詰めることで、理論が成熟することにある。
ここで、それを実感したエピソードを紹介しよう。
練習中に、監督に呼ばれたことがあった。
フォーメーションプレーでのポジション取りの確認だったのだが、早口の英語で説明されたので正直しっかりと理解できなかった。
最後に「キヨシ、わかったか?」と訊かれたので、私は思わず「イエス」と瞬間的に答えてしまった。
すると、「そうか。では、どうわかったのかを私に説明してみなさい」と確認を求められたのだ。意表を突かれた私は思わずその場で黙り込んでしまったのだが、監督は私にこう優しく語りかけてくれた。
「いいかキヨシ、同じ理論でも一人ひとり捉え方は違うものだ。ましてや、キヨシは日本人だから言葉の壁がある。だからこそ、お互いがしっかり理解するまで話をしようじゃないか」
監督は私にそう言うと、もう一度わかりやすく説明してくれた。最後には「何か質問はあるか?」と聞き返してくれたのだった。
たとえ積極的に対話を重ねたとしても、伝え方や受け取り方は人によって異なるのは当たり前。そうした考えのもと、互いがさらに対話を突き詰めていくことで初めて互いを理解できるようになる。
このとき、監督は私にそう教えてくれたのだった。
こうした対話の突き詰めは、「ONE TEAM」というスローガンを掲げた日本代表チームにも見られた。とくに、監督が外国人で選手が日本人という構図は私の場合と状況が似ている。だからこそ、長期の合宿でとことん対話を突き詰めていったのだ。
対話を突き詰める。
これはビジネスでも大いに役立つと私は断言したい。なぜなら、会社では上司と部下の「一方通行」のコミュニケーションが目立つからに他ならない。上司が部下に何かを指示したとき、たとえそれが理解できなくても部下は思わず「わかりました」と言ってしまうことがあるのではないだろうか。ところが、実際には理解していなくて同じ失敗をしてしまう……。
こうした場合、一方的に部下が悪いわけでも反抗しているわけでもないのだ。もしかすれば部下は上司の顔色を伺い、「わかりました」と言わせる空気をつくり出しているかもしれないからだ。
だが、そこはわかり合うまで、とことん対話を突き詰めてほしい。上司は「めんどくさい」などと思わず、部下がしっかりと理解できるまでコミュニケーションをとってほしい。