(本記事は、三科公孝氏の著書『儲かるSDGs ーー危機を乗り越えるための経営戦略』クロスメディア・パブリッシングの中から一部を抜粋・編集しています)

復興
(画像=PIXTA)

コロナ禍を乗り越えるすべは「震災復興」に学べ

「SDGs(エスディージーズ)」とは、「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称であり、2015年9月に国連で開かれたサミットで世界のリーダーによって決められた、国際社会共通の目標です。

このサミットでは、2015年から2030年までの長期的な開発指針として、「持続可能な開発のための2030アジェンダ」が採択されました。この文書の中核を成す「持続可能な開発目標」をSDGsと呼んでいます。

みなさんが第3回で触れた、ご自身の持つ武器を見出し、戦略を策定したとしても、それが思うように進められるとは限りません。

特にいまは、これからの戦略を定め、戦術も考えていたのに、新型コロナウイルスのダメージを受けて動きが停滞してしまっている企業や組織、自治体が数え切れないほどあります。そこで、「危機を乗り越える」ために大切なことや考え方をお伝えします。

「人が困る稼ぎ方」は死んでもやってはいけない

奇しくも私は、阪神淡路大震災や東日本大震災、2014年の御嶽山噴火といった危機に直面したクライアントとお仕事をさせていただく機会がありました。新型コロナウイルスの流行は、それらとも異なる文字通り未曾有の事態ではありますが、2020年以降の日本社会にも通用する要素は数多くあると考えています。

まず、強くお伝えしたいのが、自分たち以上にコロナ禍に苦しむ方の、足元を見るような商売をしてはいけないということです。

阪神淡路大震災が起きた1995年、船井総合研究所に勤めていた私は、震災の直前に兵庫県神戸市の中心繁華街・三宮に開業して被災してしまったカフェのコンサルティングを担当することになりました。

社長と奥様が調度品もこだわり抜いて、かなりの費用をかけていたお店が被災してしまい、船井総研にご相談をいただいたのです。

まだ駆け出しだった私は、どうにか難を逃れたお二人の家に足を運び、今後の戦略について話を重ねました。1つしかないお店が被災したので、打ち合わせ場所もご自宅しかなかったのです。JR芦屋駅から徒歩5分のはずのお宅の近くは、潰れた木造家屋が並び、焼け野原のようになっていました。芦屋まで行くのも大変でしたが、駅からも5分の距離とは思えない道のりでした。

ある日、そんなご自宅で、雑談中に奥様が「六甲山の向こうから来ているお肉屋さんの話、聞きましたか?」と教えてくださったのが、「1個5000円の弁当」のお話です。

そのお肉屋さんは、芦屋や三宮からは離れており、地震の被害が少なかったようで、本来は1個400〜500円くらいで売っていただろう弁当を、震災のダメージが大きい場所に出向き、1個5000円で売っているというのです。

芦屋については、「関西でも有数の高級住宅街」というイメージをお持ちの方もおられると思いますが、一般的な住宅も多く、資産家だけが住む地域ではないのですが、その値段でも弁当は次々に売れたそうです。

しかし、それから3カ月ほど経ったとき、奥様がそのお肉屋さんが閉店したと教えてくれました。芦屋の人々は「あんな店、地元だったら絶対に買わない!」と憤っていたそうですが、そのお肉屋さんは地元でも5000円で弁当を売っていたらしく、実際に地域の方々に相手にされなくなったというのです。

混乱期にこそ真っ当に

その正反対の行動を取ったのが、宮城県に本社を構え、2020年で創業100周年を迎えたお茶の井ヶ田(いげた)株式会社(以下「井ヶ田」)です。

井ヶ田は和スイーツの販売や食事の提供をする「喜久水庵(きくすいあん)」という店舗を展開しています。

1998年に発売された抹茶生クリーム大福「喜久福」は大変な人気を博しており、お笑いコンビ「サンドウィッチマン」のお二人も大好きで、現在は親善大使に任命されているほど愛されている商品です。

2000年代の井ヶ田は、喜久福の人気を受けて拡大戦略を取っており、2006年頃から、私も店舗の売上アップのコンサルティングをさせていただくご縁を得ました。

2010年には出店数が50店舗を突破し、若い才能がどんどん抜擢されて、20代の若い店長のみなさんがそれぞれの店舗を運営していました。

そして迎えた2011年3月11日、東日本大震災が発生。

若き店長たちは自主判断での対応を迫られました。当時はLINEなどもありません。

電話回線には被災した方だけでなく、心配した多くの人からの電話やメールが集中し、回線はパンク。連絡手段が断たれた状況が地震発生以降続いていました。

ちなみにLINEはネイバーを設立した李海珍(イヘジン)氏が、東日本大震災の被災者が家族らと連絡を取ろうとする様子を見て発案したツールでした。当時はいまのようにビジネス用のチャットツールも発達しておらず、現在では多くの利用者を持つチャットワークがリリースされたのも同月1日のことでした。

被災し、その上どこにも連絡がつかない。

本部の社員、スタッフたちも総出でフォローに回りますが、当時50店舗を超える全店舗を回れる状態にはありませんでした。本部と工場の状況把握などの対応でフル回転です。

本部スタッフから各店舗へも電話・メールはつながらず、地震と津波の影響もあり、道路での移動もままなりません。

そんな状況下で、店長たちは自主判断でお客様と従業員を避難させます。津波に呑まれた喜久水庵多賀城本店の店長は、すぐ近くにあるイオン多賀城店の屋上から、海を指して何かを叫ぶ方に気づき津波を察知し、お客様を連れて歩道橋の上に避難します。店舗は波に呑まれましたが、人的被害を免れました。

その後、店舗が無事だった喜久水庵の店長の多くは、お店に残る要冷蔵のお菓子を避難所に寄付しました。誰の指示も受けていない状態で「電気が止まった状態で、明日になれば廃棄に回さざるを得ないお菓子も、いま食べていただければ被災者のお役に立てる」と考えたのです。

いまや国民的飲料となっているカルピスにも、創業当時に似たエピソードがあります。

カルピスを生んだ三島海雲(かいうん)氏は、中国で働いていた時期に内モンゴルを訪れる機会があり、酸乳に出合ってその味と栄養価に感動します。

帰国後、乳酸菌を使った商品開発に取り組み、1919年にカルピスが生まれました。

4年後の1923年、関東大震災が発生します。三島氏は大きな被害を免れ、水が出る場所にいたために「飲み水を配ろう」と考え、それならより美味しいものを―とカルピスに思い至ります。工場に残るカルピスの原液を水で割り、震災後の輸送需要が多い中、金庫にあったお金で4台のトラックをどうにか借り上げ、氷を入れて冷やしたカルピスを配って回ったそうです。

そのカルピスの美味しさが、多くの被災者に力を与えたことは想像に難くありません。のちに生活を立て直し、お礼にとカルピスを買う習慣ができた方も多かったのではないでしょうか。

お茶の井ヶ田の喜久福は、現在は地元のみならず、宮城や東北でも人気のお土産物となっています。そこまでの人気商品になった背景には、美味しさはもちろんですが、震災時の喜久水庵で働くみなさんの行動・機知もあったと考えられます。

普段の言葉・考え方が混乱期を乗り越える力となる

この2つの事例、行動原理は似ています。

ただ、カルピスは創業者の三島海雲氏自らの行動であるのに対し、井ヶ田は何十とある店舗の、若き店長たちの自主判断による行動です。

なぜ、そんな行動ができたのか知りたいと思った私が、店長さんたちにお話を伺ったところ、その理由は、日頃からの経営者の「言葉」にありました。

当時の第3代社長・今野克二氏は、常日頃から、「有事の際に優先すべきは人命であり、お客様の命、スタッフの命が最優先である」と考え、それを日頃からスタッフにも繰り返し伝えていたそうです。言われてみると、私もそのようなお話を伺ったことがありました。

店長たちは言うまでもなく仕事熱心です。店舗のことは気になったが、それでも「人命が第一だ」と戻らなかった―と教えてくれた方もいました。

LINEやビジネスチャットツールもない状況で、経営者が日頃から発信していたメッセージが、店長のみなさんの素晴らしい判断と行動を生んだわけです。

現在のように、チャットツールが充実している状況でも、緊急時は通信そのものができない可能性もあります。コロナ禍の現在はすでに有事とも言えますが、これからまたさらに、異なる問題が起こらないとも限りません。そんな状況下で、トップがこのような強いメッセージを発し、それを組織全体で共有できる体制づくりは非常に重要になります。

詳しくは検索で調べていただくか、書籍をご参照いただきたいのですが、その形から「SDGsのウェディングケーキモデル」と呼ばれる、土台には環境があり、その上に社会、その上に経済がある―という考え方があります。

「お店に戻らなければ」と思う気持ちは尊いものですが、それは経済が先に来ていると言えないでしょうか。人の命・健康は、経済の土台を支える社会にあるものです。「社会なくして経済は成立しない」と考えれば、長い目で見ると、人を優先することで経済の復興にもつながるはずです。

みなさんも、このウェディングケーキモデルを意識して、組織全体で共有するべきメッセージ・価値観をあらためて磨き上げてみてはいかがでしょうか。

また、このようなメッセージの共有は、SDGs経営を始める際にも重要です。

経営者が本気で取り組もうとしているのに、従業員が「自分たちが少し頑張ったくらいで世界は良くならない」と考えているようでは、うまくいくものもうまくいきません。

儲かるSDGs
三科公孝
株式会社ノウハウバンク 代表取締役。
1969年山梨県生まれ。立命館大学文学部哲学科を卒業後、株式会社船井総合研究所に入社。多数の企業のコンサルティングを行い、収益改善や組織改革の経験を積むとともに着実に成果を上げる。
2000年に同社退職後に独立し、株式会社ノウハウバンクを設立。中小企業の集客・売上アップ・販路開拓などの企業活性化プロジェクトとともに、地域資源活用によるヒット商品開発や観光集客・PRなどの地方創生プロジェクトも手掛けるほか、研修・講演活動なども行う。
企業・官公庁・公的団体など組織形態を問わず、実践的で確実に売上・集客につなげるコンサルティング手法に定評があり、特に近年は、東京ビッグサイトや幕張メッセなどでの大規模イベントを含め、全国でSDGsに関する講演・セミナーを行っている。

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