新型コロナウイルスの影響を受け、さまざまな業界で業績が低迷した。その一方でIT業界は、不況を機にM&Aの活発化が予想され、新たな局面を迎えているという。この機にIT業界のM&Aについてメリットやデメリットなどをおさらいしていきたい。
M&Aに関するIT業界の動向
新型コロナウイルス感染症の影響により、M&Aの延期や見送りが相次いでいる。生活様式やビジネスの在り方が激変し、業界によっては深刻な不況が懸念されるからだ。
リスクの高い大型案件は特に減少が著しく、子会社や事業の切り売りが増えると見られている。背景をふまえたうえで、IT業界におけるM&Aの動向を見ていこう。
M&AにポジティブなIT関係者は8割超
ほかの業界と比べて、IT業界の動向はやや異なっている。
株式会社日本M&Aセンターは2020年5月25日から約1か月間、ITソフトウェア業界の経営者向けに全国規模の意識調査を行った。その結果、「業界再編が進み企業数が減る」という予測が57%だった。
今後注力したい事業戦略については、「他者との連携、協業の強化」という回答が「自社製品・サービスの開発」に次いで2番目に多い。IT業界はM&Aに積極的と見える。
参考
ITソフトウェア業界の経営に関する意識調査(株式会社日本M&Aセンター)
新型コロナウイルスを機にM&Aが進む可能性は高い
株式会社バトンズは2020年6月24日から2日間、会社・事業の売却や買収を検討したことがある経営者に対して、新型コロナウイルスを背景としたM&Aの需要を調査した。
「あなたは新型コロナウイルスの影響後の2020年2月から現在までの間で、会社・事業の買収を実施、または検討したいと思いましたか。」という質問への回答から、64.8%の経営者が買収を検討していたことがわかった。
また、不況時は優良企業を少ないコストで買収できるチャンスでもある。新型コロナウイルスの影響を受けてIT業界の再編が進む可能性は高いだろう。
参考
新型コロナウイルスを背景としたM&A需要の調査(株式会社バトンズ)
IT業界がM&Aを必要とする理由
ITは情報技術(Information Technology)の略称だ。「IT=インターネット」のイメージが強いが、システム・アプリ・ソフトウェア・情報処理・通信インフラなどに関連する技術全般を指す。
最近はAIやドローン、IoT(Internet of Things、モノのインターネット化)、フィンテックといった最先端技術にも分野が広がっており、今後ますます業界全体の成長と発展が見込まれる。
好況に見える中、なぜIT業界におけるM&Aの需要が高まっているのだろうか。
理由1.IT業界は多重下請け構造
産業として歴史の古い自動車業界や家電業界では、大手企業と下請け企業の関係が時々話題になる。
IT業界は比較的新しい産業であるが、意外なことに多重下請け構造だ。
全体としてピラミッド構造を成し、大手企業の一次請けを筆頭に、開発・運営業務を担う二次請け・三次請けが連なる。
IT業界も昔ながらの産業と同じく、大手企業と中小企業、スタートアップなど、さまざまな規模の企業がひしめき合っている。
IT業界で中心的な役割を果たすのが、SIer(システムインテグレーション事業)を担う会社だ。顧客からIT業務を受注した後、最適な下請けに発注してシステム設計・開発・環境構築・ソリューションを実現していく。
ピラミッド構造の最下層にあたる中小企業は最も競争力が弱く、利益の少ない仕事を受注しがちだ。解決するには、同業他社との資本提携や、SIerの傘下になる手段も検討しなければならないだろう。
理由2.人材が不足している
マイナンバーやキャッシュレス決済の普及、AIやIoTの進展にともない、IT業界への需要はますます高まっていくだろう。その一方で、人材不足の課題が浮き彫りになっている。
IT業界の発展は専門性の高い優秀なエンジニアが鍵となるが、現在、十分な知識・ノウハウ・技術を備えた人材が足りていない。
基幹システムを構築していたエンジニアが定年退職を迎えたことも原因といえるが、IT職は精神的・肉体的にハードで成り手が少ないといった背景もある。
優秀な人材を一から育てるには時間やコストがかかるが、M&Aを活用すればノウハウを蓄えた人材をスムーズに獲得できる。
理由3.事業拡大の合理化
成長の著しいIT業界は変化が速く、技術や知識の進化や専門性の深化が常に求められる。
一方、IT以外の業界でもIT投資が求められているが、事業を立ち上げるには時間もお金もかかる。仮に事業が軌道に乗っても、ITを取り巻く環境が変化し、立ち上げたプロジェクトが陳腐化するかもしれない。
その点、すでに技術を持ったIT企業を買収すれば、時間をかけずに自社のIT事業を効率よく展開できる。
理由4.スムーズに経営改善できる
社歴が長く安定経営を続けてきた企業ほど、新たな挑戦に対して慎重になりやすい。
また、IT投資の必要性に迫られていても具体策が思い浮かばない経営者もいるだろう。その点、IT企業の買収は資産活用と経営改革の面で非常に効率的な投資となる。
成長分野であるIT業界には、増収増益を続けている企業も少なくない。こういった企業を買収してスムーズに収益を上げたいという企業もある。
M&AがIT企業にもたらすメリット
IT企業はM&Aでさまざまなメリットを享受できる。
メリット1.人材不足の解消
IT事業の発展には人材が不可欠だ。M&Aが成功すれば、低コストで優秀な人材を確保し、新規事業の立ち上げや既存サービスの改善を目指せる。
メリット2.開発費用の確保
M&Aによって資本を入手できれば、新製品やソフト、サービスをより効率よく開発・展開しやすくなる。
メリット3.財務面の改善
財務の悩みはIT業界のスタートアップにつきものだ。小規模の会社だと利益の少ない仕事が多くなり、資金繰りの問題を解決しづらい。
しかしM&Aが成功すれば、財務面の悩みが解決される。加えて精神的な負担を要する個人保証からも解放される。
金銭的な不安を解消することで、新製品やサービスの開発に注力できるだろう。
M&AがIT企業にもたらすデメリット
IT企業のM&Aにはデメリットもある。
デメリット1.従業員同士の軋轢や人材流出
IT業界のM&Aに限らないが、各企業の従業員間で生じる軋轢に注意したい。社風やルール、業務フロー、働き方の違いから、両者が事業を営む中で対立する可能性がある。
また、給料や勤務条件が買収後に悪化すると、人材が流出しかねない。
元々、IT業界の平均勤続年数は5年程度であり、優秀な人材は高待遇の条件を提示されるとあっという間に転職してしまう。こういった就業文化に人間関係の問題が重なれば、人材不足が深刻になるだろう。
デメリット2.シナジー効果が持続しにくい
IT業界のトレンドは変化しやすく、時間をかけてじっくりプロジェクトを育てていくことが難しい。M&Aで人材や技術、ノウハウを補うのも一つの方法だが、リスクがある点は知っておきたい。
たとえば、シナジー効果が持続しにくいことだ。トレンドに乗るべくM&Aを行い、うまく事業が成長したとする。しかし、シナジー効果が続かないと、M&Aで得られた収益は予想を下回る。
M&Aでシナジー効果を得られず失敗したのがサイボウズだ。2006年前後、IT業界ではM&Aによる再編が頻繁に行われ、サイボウズも事業の多角化を狙い、1年半で9社を買収した。
2005年1月期には29億円しかなかった売上高が、2008年1月期には連結決算で120億円を超えるまでになった。
しかし、シナジー効果は短期間で終わり、子会社の業績悪化などで業績を下方修正した。
デメリット3.予想外の債務を抱えるリスクがある
M&Aでは、基本合意の後にデューデリジェンスを行い、売却企業の価値やリスクを洗い出してから最終条件の交渉に入る。
デューデリジェンスで簿外債務や偶発リスクを見落とすと、M&A後に問題が発覚して事業展開に支障を及ぼす。
M&Aは専門家や仲介会社などのサポートを受けながら進めるのが望ましい。
M&Aが成功したIT業界の事例
最後にM&Aが成功したIT業界の事例を紹介する。
成功事例1.ソフトバンクによる海外半導体メーカーの買収
インターネット事業や光回線事業を展開するソフトバンクは2016年、イギリスのARM Holding plcを買収し、海外への事業展開を一歩進めた。
ARMは半導体メーカーとして知られており、CPUの設計に優れている。ソフトバンクは同社を買収することにより、IoT関連事業をさらに進化させていくことになった。
成功事例2.マネックスによるコインチェックの買収
2018年4月、大手インターネット証券のマネックスは、仮想通貨(暗号資産)取引所を運営するコインチェックを買収した。
コインチェックは、2018年1月に多額の仮想通貨流出事件によって金融庁から業務改善命令を受けており、多額の赤字にも苦しんでいた。これを救済する形でマネックスが親会社となったのだ。
マネックスはブロックチェーン(仮想通貨の基幹技術)に関心を持ち、証券業との融合も検討していたが、M&Aによって同技術に長けた人材やノウハウを入手した。
M&AでIT事業の課題を解決
コロナ禍でテレワークやオンライン会議が拡大し、キャッシュレス決済もさらに普及しつつある。ソーシャルディスタンスを強いられる時代において、人と人をつなぐITへの需要は今後も高まっていくにちがいない。
IT投資の課題を抱えている企業や、事業展開を検討しているIT企業は、M&Aという選択肢を視野に入れておくとよいだろう。(提供:THE OWNER)
文・鈴木まゆ子(税理士・税務ライター)