2011年3月11日の東日本大震災から10年。壊滅的な被害を受けた岩手、宮城、福島各県の沿岸部では交通インフラや住宅再建などハード面での整備が着実に進んだが、人口減少や過疎・高齢化、増える孤独死などソフト面の課題は山積している。「10年」という年月は、これからも続く長い復興の道のりの過程でしかないかもしれない。しかし、「あの日を境に人生が変わった」「価値観のシフトが起きた」と感じている人は少なくない。

あの時、世界からみた日本は、あまりにも悲惨な状況だったが、見方を変えれば、未曾有の惨事を前に、多くの人が「自分にできること」を考え、行動し、たくさんのイノベーションが生まれた。災害という危機は被災地だけでなく日本中に多大なる影響を及ぼした。

新海美保
新海美保(しんかい みほ)
ライター・エディター。愛知生まれ。大学卒業後、2004−05年インド在住。出版社で専門書や雑誌の編集・執筆に携わり、2009-10年『国際協力ガイド(現国際協力キャリアガイド)』編集長。PR・CSRコンサル企業の出版部門を経て、2011年から災害時の緊急支援団体の広報・渉外担当。2014年京都移住を機にフリーランスに。新聞、雑誌、書籍、ウェブなどの企画・編集・執筆・校正・撮影等に従事。共著『グローバル化のなかの日本再考』(葦書房)ほか。2021年春からフィジー滞在(予定)

「共益投資」のアプローチ

【第4回】逆境の地から生まれるイノベーション 東日本大震災から10年
(画像=©️Civic Force提供)

金融や企業を取り巻く環境下にも、「今、何をすべきか」を話し合い、新しい価値を生み出そうとする動きがあった。

その一つに、東日本大震災後の2011年11月に発足した一般財団法人東北共益投資基金(現:一般財団法人共益投資基金JAPAN、以下基金ジャパン)の設立がある。きっかけは、当時まだ日本では珍しかった災害時の緊急支援を専門とするシビックフォースというNPOに、数カ月で10億円以上の寄付が集まったこと。発災直後の避難生活の改善や復旧支援といった短期的な支援だけでなく、寄付の一部を原資に、長期的な復興の局面で不可欠となる“地場産業への投資”を目指した。

キーワードは、「共益投資」。特定の単一企業の復旧だけでなく、関係する取引先・従業者・地域社会に復興の動きが波及していくような「共益事業」に目を向けて投資する。将来、再起の実現とともに償還された資金は、震災支援を続ける東北地域のNPOなどに助成のかたちで再投資する。事業性と社会性を組み合わせた、二度の資金循環の実現、それが東北で生まれた「共益投資」だ。2012年からはユニクロの「復興応援プロジェクト」などからも資金協力を得た。

【第4回】逆境の地から生まれるイノベーション 東日本大震災から10年
(画像=©︎基金ジャパン提供)

2011年から2020年までの投資額は14案件1億7,000万円。宮城県石巻市で、中小船舶の改造・整備・修理を担う佐藤造船所や船舶の電気機器などを手掛ける及川電機、600年の歴史を持つ雄勝硯(おがつすずり)生産販売協同組合など、地域の伝統や技術を守り、産業として新たな展開を図っていくためのサポートも行ってきた。また、地域雇用の受け皿として地元の水産加工事業者が独立して設立した岩手県の釜石ヒカリフーズは、新設企業として国のグループ補助金の対象とならなかったため、当基金から資金支援とアドバイザーを派遣。他にも被災地における新しい産業として観光業を支えるためのサポートも続けてきた。

「支援した金額は1億7,000万円ですが、基金からの支援によって、いわばリスクをとることができ、国からの助成金や他の金融機関から融資を得るなど累計は13.4億円にのぼります。基金が生み出したインパクトは、“レバレッジ効果”として、融資を受けることが難しい被災地の中小企業の資金調達につながった点にあります」。こう語るのは、井上義雄代表理事だ。また、吉田哲也事務局長は、「2018年度に初めて償還が実現し、それを原資に2019年度から公益財団法人さなぶり(宮城県仙台市)と提携してNPOへの自律助成をスタートしました。2020年は新型コロナウイルスの影響もあり、被災地の企業も厳しい状況にありますが、償還された貴重な資金を大切に活用していきます」と話している。

“共益投資”の取り組みは、2016年の熊本地震の被災地や広島県の限界集落の町にも広がっている。

「生きる力」を育てたい

基金ジャパンの支援を受けた企業の一つに、福島県の株式会社dreamLabがある。いわき駅前の繁華街にある古い建物を改装し、学童と学習塾、英語レッスンを融合させた、主に小学生対象のアフタースクール「ドリームラボ」を運営する。

代表の小川智美さんは、小学校から高校までを福島県で育ち、高校卒業後に4年間、アメリカの大学で学んだ。帰国後は故郷に戻り、英語力を活かして15年ほど塾講師として働いていたが、2011年3月11日、福島第一原発のある大熊町で被災した。

【第4回】逆境の地から生まれるイノベーション 東日本大震災から10年
(画像=©︎dreamLab提供)

「あの時、一緒にいた生徒を避難させて、自身も近隣の町へ避難しました。私がいた国道6号線は、原発のすぐ近くで被爆したり津波に巻き込まれたりする可能性もあり、大変な状況でしたが、避難所などでは被災しながらも周囲の人を助ける人の姿がありました。その時、教育とは、偏差値やテストの点数よりも、人を慈しみ力強く生きていける人を育てるためにあると実感しました」

その後、妊娠・出産を経て、子どもが3歳になったのを機に、2014年、いわきで会社を興した。きっかけは、2014年に開催された「第14回 いわきビジネスプランコンテスト」。それまで塾講師として子どもたちに勉強を教えてきたが、受験や学歴のための学びではなく、「人としての本質」や「生きる力」を育てる教育の大切さとそのためのビジネスプランを発表し、最優秀賞を受賞した。基金ジャパンからも支援を得て、子どもたちを迎え入れる施設のリノベーション費用に活用した。

【第4回】逆境の地から生まれるイノベーション 東日本大震災から10年
(画像=©︎dreamLab提供)

ドリームラボの特徴は、ネイティブの外国人講師が常駐し、体験型のプログラムを重視していること。「私たちは自分の体験を通じて様々なことを学びますが、失敗こそが成功につながると思います。最近は失敗を嫌う子が多いですが、ここではどんどん失敗してほしい。私もアメリカでトライ&エラーを繰り返しながら成長させてもらいました。グローバルな時代を生きる子どもたちは、多様性の中でまず『自己肯定感』と『目的意識』を持ってほしい。そして、まず自分を好きになって、幸せに生きてほしい。私たちはそのための応援団でありたいと思っています」。

新型コロナウイルス感染症の影響で、これまで通りの運営ができない時期もあったが、オンラインでつながる機会を増やすなど、できることを続けてきた。そして今、特に力を入れているのが、小学生が地域のお店を取材してYouTubeで配信する「こどもまちなかラボ」やロボットプログラミング体験会など、多様なプレイヤーを巻き込みながら子どもたちを育てる場を提供すること。「子どもたちがワクワクしながら過ごせる時間を増やしたい。そして、自ら考える力や表現力を育て、主体的に生きる力を身につけてほしいのです」(小川さん)。

【第4回】逆境の地から生まれるイノベーション 東日本大震災から10年
(画像=©︎dreamLab提供)

文・新海美保(ライター・エディター)