本記事は、フランク・マルテラ氏の著書『世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない』(ハーパーコリンズ・ジャパン)の中から一部を抜粋・編集しています

お金の問題ではない

広告,お金
(画像=PIXTA)

経済的に成功すれば幸福になれると思い込む人も多いが、それは間違いだ。皆がそういう考えを持つのは、企業や広告代理店にとってはありがたいことかもしれない。自分たちの商品を買えば幸せになれると言って、納得してもらえる可能性が高くなるからだ。これまでの研究でわかったのは、収入が増えることによって幸福度が即、上がるのは、もともとの収入が極めて低い人たちだけだということである。家賃も払えず、食べ物も買えず、最低限の生活すら成り立たない、という人たちの幸福度は、そうでない人たちに比べて確かに著しく低い。

そういう人たちは、少しの収入を得るだけで幸福度が大きく向上するだろう。だが、生活にいちおう不安がない人の場合は、収入が増えてもその分だけ幸福度が上がるわけではない。収入がある水準を上回ると、それ以上の収入増加は幸福度をほとんど、あるいはまったく向上させないことがいくつかの調査で明らかになっている。また、最近の研究では、ある水準以上になると、収入の増加によって幸福度や生活への満足度がかえって低下することもある、という結果も得られている。

北米では、収入が9万5000ドルに達すると生活への満足度が、6万ドルに達すると幸福度が頭打ちになるようだ。西ヨーロッパ諸国では、10万ドル、5万ドルがそれぞれ境界線になるらしい。そして東ヨーロッパ諸国だとその水準は下がり、4万5000ドル、3万5000ドルがそれぞれ境界線になる。先進国では経済の成長とともに、国民の収入は大きく向上してきたが、それが必ずしも幸福度の向上にはつながっていない。

アメリカの社会心理学者、ジョナサン・ハイトはこの点について「先進国の多くでは過去50年間に富は2倍、3倍になったが、幸福度や生活への満足度はさほど変わっておらず、しかもうつ病が以前よりも多く見られるようになっている」と書いている。富が増えれば、最初のうちは確かに嬉しいと感じるものの、しばらくするとそれが当たり前の水準になってしまい、幸福感は消える。

以前にはなかった新しい商品を手に入れて最初は快適さに喜ぶが、時間が経つと持っているのが当然になり、なにも感じなくなる。次の新しい商品が発売されるまではその状態が続く。誰もがもっと豊かに、もっと快適にと思い、上を求めてきりがなくなる。

表向き物質主義や大量消費主義を否定している人は、物を手に入れることは人生の目的にはなり得ないと言いがちだ。誰かに尋ねられれば、自分はもっと大きな目的のために生き、行動していると答える人も多いはずだ。ところが人々の実際の行動を見ていると、本音は違うように思える。なかなか認めたがらないだろうが、実は大半の人がいわゆる“ヘドニック・トレッドミル”に乗っている。

つまり、つねに今よりもう少しお金が、物が手に入れば、それで幸せになれると思っていて、いつまでも本当に満足することはない、という状態に陥っているのだ。チャック・パラニュークは小説『ファイト・クラブ』にこんなふうに書いている。「若者の中には男女問わず強者がいて、皆、何者かになりたいと思っている。広告は、こういう若者たちに、必要のない車や服を買うように仕向ける。いつの時代でも、彼ら、彼女らは自分が本当に欲しいわけでもないものを買うために、好きでもない仕事に懸命に取り組んでいるのだ」

今や20億ドルもの規模になった広告産業はただ1つの目的のために動いている。それは、人々に「今の生活は間違っている」と感じさせることだ。今のままでは十分に幸せではないと感じさせるのだ。大量消費主義は、人々が今の自分の生活に満足し、「もうなにもいらない。もう欲しいものは全部持っているから」と言い始めたときに終わってしまう。

それは、キリスト教から仏教まで多くの宗教が理想としている状態である。どの宗教も人々をその状態へと導こうとしている。しかし、宗教が以前のような力を失った現代では、人々がその状態に達するのを阻止するためのメッセージを発するのに何十億ドルものお金が使われている。

現代はかつてないほど選択の幅の広い時代である。なにを買うにしても、競合する似たような商品が数多く売られている。そのせいで私たちは容易に罠にかかって抜け出せなくなってしまう。選択の自由があるのは良いこととされるが、あまりにも選択の幅が広いとかえって害になることもある。そのせいで一種の中毒状態になってしまうのだ。皮肉なことに現代では、選択肢が多すぎるために、誰も自分の選択に絶対の自信を持つことができない。選択をしなくて済むのならそうしたいと思う人も実は多いはずだ。

心理学者のバリー・シュワルツはこの現象を「選択のパラドックス」と呼んでいる。私たちは選択の幅が広いことを良しとし、選択の幅が広がることを望む。しかし、あまりに選択肢が増えると結局、幸福感は減ることになる。昔の人は今の私たちほど、こうしたジレンマに悩まされることはなかった。飢えることはあっても、美味しそうな食べ物が多すぎてどれを食べていいか悩むということはまずなかった。

日々、選択肢があまりに多すぎるという問題に対処するには、“満足化”という方法を採るといいだろう。これは、ノーベル賞を受賞した経済学者、ハーバート・サイモンが最初に唱えた方法で、シュワルツもこれに賛同している。満足化とは、ある程度以上、良いと思えるものが1つ見つかったら即、それを選ぶ、という方法である。

それ以降はもう検討をせずに先へ進む。なにかを買うとき、決断を下すときに、細かいところまですべてを検討するわけではない。なにもかもが最良と思えるものが見つかるまで待つということはしないのだ。あまりに細かく検討をしてしまうとストレスもたまるし、かえって不満や後悔が大きくなる。それでは時間やエネルギーなどの資源を無駄遣いすることになるだろう。

だが、広告の影響力は大きい。絶えず、これを買えば生活はもっと良くなると訴えてくる。それに対抗するためには、自分の心の中に確固たる指針を持っていなくてはならない。自分なりの価値観、人生の目標をしっかり持っていないと、この広告だらけの社会に振り回されずに生きることは難しいだろう。どうすれば自分の人生が意味のあるものになるのか、それを知っていれば大いに助けになる。そうすれば、派手に宣伝される高価な新商品を手に入れなくても、十分に満足のできる人生を歩めるはずだ。

世界一しあわせなフィンランド人は、幸福を追い求めない
フランク・マルテラ(Frank Mar tela)
フィンランド出身。気鋭の若手哲学者、心理学研究者。哲学と組織研究の2つの博士号を持ち、「人生の意味」の問題を専門とする。タンペレ大学で福祉心理学の教鞭を執りつつ、アアルト大学を拠点に活動。学際的なアプローチを行い、多分野の学術誌で精力的に論文を発表する傍ら、ハーバード・ビジネス・レビュー等の一般誌にも寄稿。また、ニューヨーク・タイムズ等のメディア露出や、スタンフォード、ハーバードなど世界の大学での招待講演など、活躍の場は幅広い。プライベートでは3児の父。

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