実務上、労使トラブルになりがちな3つのケース

教養としての「労働法」入門
(画像=日本実業出版社)

新型コロナ感染症を機に、時差出勤やテレワーク導入など勤務形態を見直す企業が増えています。働き方が多様化し、働く人の意識も変わりつつあるなか、これまであいまいにされてきた「労働(オン)と休憩(オフ)の境界線」についても目が向けられるようになってきました。実務上「これって労働時間?」と判断に迷ったり、労使トラブルになりがちな3つのケースについて解説しましょう。

※本稿は『教養としての「労働法」入門』(向井 蘭・編著、樋口 陽亮ほか著)をもとに再編集しています。

「指揮命令下」にある労働かどうか

そもそも、「労働時間」とはどのような概念でしょうか。実は法律は、労働時間がどのような時間を指すかについて規定していません。そのため、これまで裁判例や学者たちの間では、さまざまな考え方が示されてきました。

労働時間が実務上問題になるケースとしては、賃金や残業代の支払いに関するものが圧倒的に多いといえます。それ以外にも、たとえば、最近ニュースなどで取りざたされている過労死や過労による精神疾患についても、作業を行っていた時間が法的にみて労働時間に該当するか(労働時間に該当するのであれば、業務を原因として発生したものということになります)といった問題も起こりえます。

実際、就業時間中にオフィスで仕事を行っていた時間などが労働時間にあたることは、誰の目にも明らかですが、ここに出張先への移動時間などは含まれるのでしょうか。着替えや朝礼の時間は? 取引先との会食や接待ゴルフの時間は?……次々と疑問がわいてきます。

労基法上の労働時間については、最高裁(三菱重工業長崎造船所事件、最判平成12年3月9日)により、「労働時間に該当するか否かは、労働者の行為が使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができるか否かにより客観的に定まる」という考え方が示され、これが今日の確立した判断基準となっています。

最高裁が示したこの基準は、その後の労働時間の考え方の根幹となっていきます。しかしながら、世の中にはさまざまな形態の職種があり、働き方も1人ひとり異なりますし、その時々に応じて業務中の具体的な行動も刻々と変化していきます。

上記の判断基準は非常に抽象的であるがゆえ、必ずしもすべての場面において明確に適用できるわけではありません。そのため、労働か休憩かの境界があいまいなケースについて、これまで多くの紛争が生じてきました。ここでは、実務上、労使トラブルになりがちな3つのケースについて考えてみましょう。

ケース1:始業前の準備時間、朝礼時間

会社によっては、従業員に制服の着用を義務づけており、始業前にはきちんと着替えていることを求めているところもあると思います。また、業務の開始前に連絡事項を伝えるなどのために朝礼時間を設けている会社もあるでしょう。これらの時間は、本来の業務からはやや離れているようにもみえますが、労働時間にあたるのでしょうか。

まず、着替えの時間が労働時間にあたるかという問題ですが、先ほど挙げた裁判例(三菱重工業長崎造船所事件)でも、入退場門から更衣所までの移動時間や、作業後の入浴時間などさまざまな場面の労働時間性が争われ、その1つとして、更衣室での作業着への着替えの労働時間性も争われました。この点については、次のように判示し、労働時間の該当性を認めています。

「業務の準備行為等を事業所内において行うことを使用者から義務づけられ、又はこれを余儀なくされたときは、当該行為を所定労働時間外において行うものとされている場合であっても、当該行為は、特段の事情のない限り、使用者の指揮命令下に置かれたものと評価することができ」るとしたうえで、

「実作業に当たり、作業服及び保護具等の装着を義務づけられ、また、右装着を事業所内の所定の更衣所等において行うものとされていたというのであるから、右装着及び更衣所等から準備体操場までの移動は、上告人(筆者注:会社のこと)の指揮命令下に置かれたものと評価することができる。…さらに、被上告人ら(筆者注:労働者のこと)は、実作業の終了後も、更衣所等において作業服及び保護具等の脱離等を終えるまでは、いまだ上告人の指揮命令下に置かれているものと評価することができる。」
※判例(三菱重工業長崎造船所事件、最判平成12年3月9日)より

したがって、就業時間中に制服の着用を義務づけられていて、制服の着脱場所は更衣室と定められているような場合は、基本的に着替えの時間は労働時間と評価される可能性が高いといえます。

もっとも、着替えの場所などが特に予定されておらず、あらかじめ家に置いておき、スーツのように家で着替えて通勤することも許容されている場合には、着替えの時間の労働時間性は否定される可能性が高まるかもしれません。

朝礼の場合も、ベースとなる考え方は先に示した裁判例と同様です。たとえば、就業規則等の会社規程により明確に参加が指示されている場合や明確な参加の指示がなくても、不参加の場合には査定や賃金において不利益がある場合には、使用者による義務づけがある、または参加を余儀なくされているといえますので、労働時間にあたると考えられます。

始業前の朝礼は、社員間での伝達事項の確認などの役割を担っていることが多く、会社からの明示の参加指示がなかったとしても、特別な事情でもない限りは参加することが当たり前になっている会社が多いのが実情かと思います。そうすると、朝礼の労働時間性はよほどのことがない限りは、労働時間として認められるでしょう。

ケース2:取引先との会食や接待ゴルフの時間

企業同士の付き合いでは、業務上のやり取りのみならず、交流を目的としてあるいは取引先担当者をもてなすために会食やゴルフが催されることがあります。このような催しへの参加は、一見すると本来の業務とは離れてはいますが、他面では営業ツールとしての役割も否定できないでしょう。ならば、その会食等の時間は労働時間にあたるのでしょうか。

取引先との会食や接待ゴルフの時間については、原則として労働時間にあたらない場合が多いといえるでしょう。なぜなら、こういったイベントについては、取引先との親睦を深めることが目的とされていることが多く、こういった目的の範囲内である限りは使用者の指揮命令下に置かれていると評価することは難しいからです。

もっとも、取引先との会食や接待ゴルフにも様々な目的があり、一概にすべてのケースにおいて労働時間性が否定されるわけではない点には注意が必要です。労働時間になりうるケースを類型化すれば、次のようなケースが挙げられます。

 (1)労働契約上の主要な業務との関連性が強いケース
 (2)参加を義務づけられているケース
 (3)具体的な指揮命令があったといえるケース

たとえば、(1)では、イベントの時間中にもっぱら商談の話し合いが行われている場合などが該当するでしょう。また、(2)では、会社から具体的な出席を義務づけられている場合はもちろんのこと、参加しないと評価においてマイナスに扱われたりするケースも黙示的な参加への義務づけがあると評価される可能性が高いです。(3)では、上司がともに参加した場合に、その上司からイベント中の接客について具体的な指示を受けているケースも労働時間と認定される可能性は高まるでしょう。

ケース3:出張での移動時間

出張に移動はつきものですが、純粋に「移動する」ことだけに着目すれば、それは本来予定された業務ではないといえます。あくまで移動時間は、移動先で仕事をするための準備時間のようなものです。一方で、労働者は「業務のため」に時間を費やして移動します。本来、その仕事がなければ自由に使えたはずの時間を移動に使っているのです。

したがって、会社に命じられた出張の場合、たとえ会議の開始時間が所定始業時刻だったとしても、移動時間を勘案して自宅を出発する時間を早くする必要がありますし、出張先での業務終了時間が所定終業時刻だったとしても、自宅に帰ってくるのはいつもよりも遅い時間になるでしょう。自分のプライベートな時間が、業務のために奪われてしまうことからすれば、移動時間も労働時間にあたると考えていいように思います。

最初に述べたように、労基法上の労働時間にあたるかどうかは、指揮命令下に置かれている時間かという観点で判断されます。この観点でいえば、基本的に飛行機や電車の中では、本や新聞を読んだり私的なメールやネットサーフィンをしたりといった自由な行動が可能なため、指揮命令下に置かれた時間とは通常いえないと考えられます。そのため、原則として労働時間にはあたりません。

ただ、上司と同行して、移動中に出張先の業務についてミーティングなどをしたり、仕事の依頼がメールで来ることもあるでしょう。急ぎの案件では、電車の中で対応せざるをえないときもあります。移動時間中であっても、その実態に照らしてみると、指揮命令下に置かれていたと評価され、労働時間にあたる可能性があります。

「常識的な感覚」と「法的な判断」はまったく違う

繰り返しますが、労働時間については、概念自体が非常にあいまいなものですし、また、当該時間が労働時間に該当するかは、その場面ごとの個別具体的な事情を踏まえて判断しなければなりません。そのため、労使間での争いになりやすいポイントでもあります。

とはいえ、「指揮命令下に置かれているか」という基準は、非常に広く解釈される性質のものです。誤解を恐れずにいえば、労働時間性の争いについて、裁判所は、あまり「労働の密度」「労働の強弱」というものを重視していません。

たとえば、休憩時間中に、ある従業員が1人で机に座ってスマホでゲームをしていたとしましょう。その部屋には電話が置かれており、その従業員は電話が鳴ったら応対するように指示されていたとすれば、たとえゲームをしていたとしても「その場を離れられないから場所的な拘束性がある→完全に労働から解放されていない→使用者の指揮命令下にある」という判断になりえます。そして、労働時間と認められれば、他の就労時間と同じように賃金が発生することになるのです。

みなさんのなかには、就業時間中に書類を作成したり、プレゼンをしている時間と、ゲームをしている時間で同じ賃金が発生するなんておかしいと感じる方もいるかもしれません。しかし、基本的には「労働の密度」「労働の強弱」というものは賃金には反映されないので、このような結論になりえるのです(もちろん、休憩時間外にゲームをしていたら、それは職務怠慢として、注意指導や懲戒の対象にはなりますが、それはまた別の問題です)。

労働時間かどうかを考えるとき、「常識的な感覚」と「法的な判断」とでは結論がまったく異なることがあるということを、まず理解しておくとよいでしょう。


著者プロフィール:樋口 陽亮(ひぐち ようすけ)
東京都出身。学習院大学法学部法学科卒業、慶應義塾大学法科大学院修了。2016年弁護士登録。第一東京弁護士会。杜若経営法律事務所所属。経営法曹会議会員。企業の人事労務関係を専門分野とし、個々の企業に合わせ専門的かつ実務に即したアドバイスを提供する。これまで解雇訴訟やハラスメント訴訟、団体交渉拒否・不誠実団体交渉救済申立事件など、多数の労働事件について使用者側の代理人弁護士として対応。人事労務担当者・社会保険労務士向けの研修会やセミナー等も開催する。

教養としての「労働法」入門
教養としての「労働法」入門
労働法制の歴史や世界の労働法制との比較をしながら、労働時間、休暇、配転、解雇などの労働法が定めるルールを解説。直接、実務や試験には役立たないかもしれませんが、多様な働き方が求められる今後の社会で生じる課題を解決する上でのヒントが満載です。

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