本記事は、長岡健氏の著書『みんなのアンラーニング論 組織に縛られずに働く、生きる、学ぶ』(翔泳社)の中から一部を抜粋・編集しています

学習科学者がビジネス界にやってきた

学習,ビジネス
(画像=Elnur/PIXTA)

「大学は人材育成を担っている気概をもて」という話が世間で語られるようになりました。おそらく、賛成/反対は読者の中でも分かれると思いますが、こういう状況を目にすると、「学習」という活動と「人材育成」という活動がきちんと区別されていないのだなという印象をもちます。だから、「人材育成的な学習」という言い方をすると、ピンとこない読者の方々も少なくないかもしれません。

実は、そういう方にこそ、ぜひ本書を読んでほしいと思っています。人材育成という分野では、学習についての独特の理解とやり方が浸透していると、私は理解しています。そして、アンラーニングについて考えることは、人材育成における学習の意味とあり方を再構成していくことになるはずです。では、どのような意味で、人材育成における学習は独特なのでしょうか?

若い人は意外に感じるかもしれませんが、学習という言葉がビジネス社会でフツウに使われるようになったのは、比較的最近のことです。私がイギリス留学から戻り、人材育成の実務現場でフィールドワークを始めた1990年代、ビジネスパーソンにとって学習という言葉は「子どものお勉強」を連想させるものでした。

企業の人材育成担当者の中には、自分たちの仕事が学習という言葉で語られることに違和感を示す人も多く、インタビューの場面で「経営学じゃなくて、学習の研究ですか? ここは小学校じゃないんで、学習なんていう言葉を使っている人はいませんよ」と言われたこともあったほどです。

そんな状況が変化して、学習という言葉が日常のビジネス会話で違和感なく使われはじめたのは、すでにバブル経済が弾けた後、21世紀に入った頃のこと。つまり、学習科学の研究成果がビジネス分野に浸透し始めたのが、この時期だということです。そして、特に強調しておきたいのは、この頃、研究成果の浸透と人の交流がシナジー効果を発揮し始めたということです。

教育学、認知心理学、情報科学などの学習に関わる多様な分野の研究者が参加して、学習科学と呼ばれる活動は進められています。もちろん、その成果は学術書などを通じて、以前から入手可能でした。でも、馴染みのない考え方や言葉を、学術書だけで実務家の間に浸透させるのは、なかなか難しいものがあります。しかも、経営学の成果なら馴染みのあるビジネスパーソンにとっても、学習科学は明らかに〝外国〞ですから。

そんな外国からの輸入が盛んに行われるようになったのは、ビジネス実務家、特に、人材育成担当者と直接交流する若手の研究者たちが学習科学の中に出現したからです。ビジネス実務に関連した学習理論や手法を紹介するワークショップやセミナーが、新進気鋭の学習科学者によって開催され、感度の高い人材育成担当者が参加するようになると、職場での学習活動に対する関心が徐々に高まっていきました。

人材育成のフィールドワークを開始し、学習科学の言葉が通じない経験を長い間してきた私にとって、その後10年間の変化の速さは大変な驚きでした。実務現場に学術用語や理論がどう浸透していくかを明らかにするには精緻な分析が求められますが、学習科学者と人材育成担当者の直接的な交流が大きな要因のひとつであることは否定し難いでしょう。

この頃の状況について、教育学者の中原淳さんは、人材育成の実務家、認知科学者、組織論研究者の三者によって、「職場での学習(Workplace Learning)」という活動を意味あるものと理解するネットワークが構築されたと説明しています。そして現在では、自分たちの仕事が学習という言葉で語られることに違和感を覚える人材育成担当者は、おそらくいないでしょう。

では、学習科学の成果が積極的に〝輸入〞され、経営的文脈に沿って〝翻訳〞されていくプロセスを通じて、実務家の学びや成長に関して、どのような見方や考え方が浸透していったのでしょうか? 次にそれを見ていきたいと思います。

ビジネス界に輸入された学習科学の成果

学習という言葉がビジネス界に輸入されはじめた頃、時代の動きに敏感な人材育成担当者やコンサルタントによって、人的資源開発や教育訓練といった古いラベルが、ワークプレイス・ラーニングという新たなラベルへと貼り替えられていく中、人材育成の根幹にある考え方にも大きな変化が見られるようになりました。

「知識習得で仕事のパフォーマンスは向上するのか?」

新しい言葉の導入に積極的だった実務家、コンサルタント、研究者たちが、ワークショップやセミナーで熱く語り合っていたのが、この問いです。背景にあるのは、座学中心だった当時の企業研修への疑問。

企業研修での座学を通じて教科書的な知識を得ても、それがビジネス現場でのパフォーマンス向上に結びついていないなら、研修には一体どんな意味があるのか? ビジネス・パフォーマンスの向上に直結しない知識習得を「学習」と呼んでいいのか? そもそも、人材育成の目的は知識習得なのか、それとも、企業利益への貢献なのか? 学習や人材育成の意味をめぐって、先端的な人材育成関係者が熱い対話を交わしていました。

そして、古い言葉を捨てた彼/彼女たちが使いはじめたワークプレイス・ラーニングという言葉は、知識・スキル習得という意味ではなく、「仕事の中で生じる行動変化や成長を通じた、個人・組織のパフォーマンス向上の実現」を意味すると理解されるようになったのです。

つまり、2000年代の人材育成の現場には、学習という表面的な言葉だけが輸入されたのではなく、「学習=知識習得」から「学習=パフォーマンス向上」へのパラダイムシフトが起こったと言うべきだと思っています。

この時、人材育成の現場におけるパラダイムシフトを後押ししたのが、学習科学の研究成果、特に、非学校的環境における〝大人の学習〞に関する知見です。具体的には、以下のような認知科学的な知見が、人材育成の現場にも知られるようになりました。

・教科書的な知識をもっているだけでは、仕事の中で高いパフォーマンスを発揮することはできない

・学校的な環境で「教わる」だけでなく、現場でさまざまな実践に取り組むことを通じて、実務家は経験的に学んでいる

・「子どもの学習」と比較すると、「大人の学習」は問題解決的であり、目的志向的である傾向が強い

これらの知見は人材育成の現場に紹介される過程で、「大人の学習は教室ではなく、現場で起こる」という意味に翻訳されながら、いわゆるOJT(On the Job Training)的な育成スタイルの理論的根拠として定着していきました。

さて、学習科学者と人材育成担当者の交流から生まれた新たな動きを理解する時、「学習という言葉の導入」や「OJTへの注目」という表面的な変化の背後にある、本質的な変化を見逃さないことが大切です。では、その変化とは何か?

人材育成はビジネス・パフォーマンス向上のための〝手段〞であるという明確な視点が浸透したことだと、私は理解しています。つまり、学習科学者と人材育成担当者の交流によって輸入された学習という概念が、人材育成の実務家、学習科学者、組織論研究者の三者が構成するネットワークの中で翻訳され、「学習=企業の利益に寄与する人材のパフォーマンス向上」という独特の意味が付与されていった。

当時、フィールドワーカーとして人材育成の新たな動きを観察していた私は、このように理解しています。人材育成が企業経営の手段として強く意識される以前には、「何のための講義なのか」、「教科書的な知識はどんなメカニズムで生産性向上に寄与するのか」を突き詰めて考えることなく、研修が漠然と行われている場合も少なくありませんでした。

そこに〝手段〞という視点が入ることで、企業の利益に直結する有能さを追求するシビアな姿勢がもたらされることになります。このような側面に着目した時、「手段としての人材育成」という視点の浸透は、実務現場にポジティブな変化をもたらした部分もあると、私は考えています。それは結果として、ビジネスの実践力に関する理解の深まりにつながっていきました。

みんなのアンラーニング論 組織に縛られずに働く、生きる、学ぶ
長岡健(ながおか・たける)
法政大学経営学部教授。東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、英国ランカスター大学大学院・博士課程修了(Ph.D.)。専攻は組織社会学、経営学習論。組織論、社会論、コミュニケーション論、学習論の視点から、多様なステークホールダーが織りなす関係の諸相を読み解き、創造的な活動としての「学習」を再構成していく研究活動に取り組んでいる。現在、アンラーニング、サードプレイス、ワークショップ、エスノグラフィーといった概念を手掛かりとして、「創造的なコラボレーション」の新たな意味と可能性を探るプロジェクトを展開中。共著に『企業内人材育成入門』『ダイアローグ 対話する組織』(ともにダイヤモンド社)、『越境する対話と学び』(新曜社)などがある。

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