本記事は、片田智也氏の著書『ズバ抜けて結果を出す人だけが知っている 感情に振り回されないための34の「やめる」』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています

「思った通りになる」という期待を、やめる

ジャッジメントミス
(画像=mirtmirt/Shutterstock.com)

イライラや怒りは、いったいどこから湧いてくるのでしょうか。

ひと言で言えば、「自分自身の期待から」です。

たとえば、安い居酒屋で接客マナーが悪くてもあまり腹は立ちません。

でも、それが高級レストランだったらどうでしょう。支払い金額に比例し、期待も膨らみます。その分、イライラや怒りが湧いてくるのではないでしょうか。

「期待と現実の差」、イコール「イライラや怒りの質量」です。

「だったら現実の方、接客マナーが悪い店員だって原因でしょ?」

その通り。ですが、それは自分次第で何とかできるものでしょうか。

イライラや怒りは「期待」と「期待外れの現実」の共同作業によるもの。

ですが、後者は権外。操作しようとすれば、より感情が乱されてしまいます。イライラや怒りを抑えたければ、意識を向けるのは「自分の期待」一択なのです。

では、改めて、イライラと怒りについて定義しておきましょう。

イライラとは、「思い通りにことが進まず、不安が募っている状態」です。

たとえば、飛行機が定刻になっても一向に飛ぶ気配を見せない。「スケジュールが狂ってしまう……」と、不安からイライラを感じるのは普通のこと。

一方、怒りとは、イライラの先にある、よりアグレッシブな感情です。

怒りは、不安に耐えられず、「思い通りに誰かや何かを動かそうとする意思」を指します。CAさんに「いつになったら飛ぶんだよ!」と怒鳴るかもしれません。

思い通りにならない不安が外に漏れてしまい、本来、コントロールできないはずの他人や結果を思い通りに動かそうとする。その手段が、怒りなのです。

イライラや怒りに「元栓」があるとすれば、ココでしょう。

想定や計画、予測、先読み。これらが仕事に必要なのは当然です。だからといって、「思った通りになる」と、過度な期待をしてはいないでしょうか。

電車やバスが定刻通り来るか。部下が指示通りに仕事をするか。取引先がすぐ返信するか。上司が正しく評価するか。プロジェクトが計画通り進むか。

いずれも自分次第ではありません。少しのズレで歯車が狂ってしまう不確かなものばかり。そこに「こうなるはず」と期待を寄せるのはリスクが高すぎます。

期待が大きければ、現実との差、イライラの質量も大きくなるからです。

現実に期待するとは、イライラするかどうかを自分以外に委ねるということ。そんな姿勢で過ごしていれば、ことある毎に振り回されるのも当然でしょう。

ならば、他人や結果、ものごとに期待などしない方がよいのでしょうか。

大丈夫。そんなことはありません。

実際、計画は立てなくてはいけませんし、想定も、予測も必要です。

「こうなったらいいな」と、希望を持つぐらいならアリでしょう。

そのとき同時に、計画や想定が一瞬で壊される心づもりをしておけばよいのです。重要なのは、いつでも「想定外を想定しておく」こと

思った通りにことが進まない場合は、息を吐いてからこう言いましょう。

「大丈夫、問題ない、これも想定済みだ」。

想定を外れた。でも、それも想定のうち、と、自分を安心させるのです。

想定外を想定するクセがつけば、結果が思った通りでなくても、動じなくなります。イライラや怒りに意識が囚われてしまうこともなくなるでしょう。

まとめ
過度な期待はやめて、「想定外のこと」が起きるのも想定しておく

「こうあるべき」に固執するのを、やめる

「戻ったらとりあえず報告するべきだろ」「電話はやっぱり若い人から先に取るべきでしょ?」「社員なんだからどんどん昇進を望むべきだよね」。

何気なく言ってしまいがちな「であるべき」という言葉。ですが、イライラや怒りをマネジメントする上で、「べき」は、十分注意しなくてはなりません

「べき」と言えば言うほど、イライラする機会が増えるからです

「べき」とは、要するに「暗黙のルール」のこと。明確なルールと違って、なんとなく共有されているだけの、ふんわりしたものがほとんどです。

たとえば、「それぐらい自分で決めるのが常識だよね」「十分前に集合しておくのが普通でしょ?」「自分から謝るのが当たり前じゃないかな」など。

常識、普通、当たり前……。いずれも「べき」が潜んでいます。

一昔前なら、どこの職場にも、そういった「共通のべき」というものがありました。ですが、ここ最近は、それが無くなりつつあります。

一番の理由は、「価値観の多様化」が進んだことでしょう。

「価値観の多様化」とは、「多様なべき」を許容することを意味します

極端に言えば、一つの共通ルールが、一人ひとりのマイルールに置き換わるのです。もし、それが交通法規の世界で起きたなら何が起きるでしょうか。

たとえば、「黄色点滅の信号」は、進むべきか、止まるべきか。それぞれがマイルールで判断することになります。事故が増えるのは当然です。

職場から「共通のべき」が消えつつあるのもそれと同じこと。「べき」同士がぶつかり合う、人間関係の事故が増えるのも仕方がありません。

たとえば、あなたがこういった「べき」を持っているとします。

・べき(期待)……「終業後でも会社の人間関係にはつきあうものだ」。

でも、部下が、その「べき」に同意するかどうかは、相手次第です。

・である(現実)……「いや、プライベートな時間なので帰ります」。

「こうあるべき」というのも「思った通りになる」つまり、期待の一種。「べき」が多ければ多いほど、イライラを感じる機会も増えるでしょう。

「べき」とは「地図のようなもの」と考えてください。

地図を見ながら、現地を歩く。すると、アレ? 地図にない道が存在することに気がつきました。地図と現地、あなたはどちらを正すのでしょうか。

「ここに道があるのはおかしい!」と言って現地を変えようとする人などいません。

「なんか間違ってるね」と、地図の方を訂正するはず。なぜかと言うと、現地は変えられませんが、地図の方なら自分次第で変えられるからです。

「べき(現実の地図)」と「である(現実そのもの)」が異なる場合も同じ。

他人の考えは権外。こちらが好きに動かすことはできません。変えられない現実よりも手元の地図、「べき」を正した方がはるかにラクなのです。

あなたの「べき」が通用しない事態に遭遇したら、「なるほど、そうなんだね」と、ありのままの現実、「である」の方を受け入れてください。

「こうあるべき」は、時代や文化で変わります。世代によっても違います。同じ人でも立場で変わるかもしれません。「べき」は無数にあるのです。

自分の「べき」に固執せず、「そうである」という現実を優先しましょう。そうすれば、期待と現実の差にイライラを感じることも減るはずです。

まとめ
「べき」にこだわらず、目の前の現実に「そうなんだね」で納得する

ズバ抜けて結果を出す人だけが知っている 感情に振り回されないための34の「やめる」
片田智也(かただ・ともや)
産業カウンセラー、キャリアコンサルタント。大学卒業後、20代で独立するがストレスから若年性緑内障を発症、視覚障害者となる。同年、うつ病と診断された姉が自死。姉の死の真相を知るため、精神医療の実態や心理療法を探求、カウンセラーに転身する。教育や行政、官公庁を中心にメンタルケア事業に多数参画。カウンセリング実績は延べ1万名を超える。カウンセリングから企業コンサルティング、経営者やアスリートのメンタルトレーニングまで、心の問題解決に広く取り組む。企業研修やセミナーの受講者は延べ2万名以上。著書に『「メンタル弱い」が一瞬で変わる本 何をしてもダメだった心が強くなる習慣』(PHP研究所)がある。

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