本記事は、片田智也氏の著書『ズバ抜けて結果を出す人だけが知っている 感情に振り回されないための34の「やめる」』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています
「結果にこだわる」のを、やめる
売上や営業成績、勝ち負け、記録、好きな人が振り向いてくれるかどうか。結果というのはどれも大事です。では、より結果を出せるのはどちらの人でしょうか。
「結果にこだわる人」か「結果を気にしない人」か。
答えは後者、「結果を気にしない人」です。
「大切なのは結果じゃなくて過程」などと言うつもりはありません。
結果が重要なのは当たり前。ですが、大きな結果を出せる人ほど、結果に執着しない。代わりに、コントロール可能なパフォーマンスにこだわるのです。
結果というのは、あくまでも結果的に出るもの。
「出そう」と思って出るものではありません。他人が関与することであり、自分次第で好き勝手にコントロールできるものではないのです。
コントロールできないものに意識を向けると、どうなるでしょうか。
「絶対勝たなければ」「結果を出さないと」「失敗してはいけない……」。
思い通りにならない不安や焦りは、必要以上の緊張をもたらします。こういった「ムダな力み」こそ、パフォーマンスを下げる最大要因なのです。
バーミンガム大学のスポーツ心理学教授、ジョーン・デューダは、シドニーオリンピックに出場する選手を二つのグループに分けて、結果を検証しました。
一方は、勝敗や記録といった「結果重視」で指導されたグループ。もう一方が、課題達成や熟練度といった「パフォーマンス重視」で指導されたグループです。
さて、どちらのグループがより多くのメダルを獲得できたのか。結果は後者、パフォーマンス重視で指導された選手たちでした。
「結果にこだわらない方が結果が出る」は、証明されているのです。
イタリアのサッカーリーグ、セリエAで活躍した中田英寿氏はこう言います。
「誤解を恐れずに言うと、点を取るとか、勝つとか、優勝したいということより、自分がやりたいプレーに対するこだわりが強かった」。
結果を出せる人は、「結果重視」が動きを鈍らせることを知っています。
この法則は、スポーツの世界に限ったものではありません。
たとえば、「絶対に契約を取るぞ」と、結果にこだわる営業マンがいたとします。
ですが、契約してくれるかどうか、最後の最後はお客様次第。
自分次第で決められないものをコントロールしようとするわけです。焦りで動きがぎこちなくなったり、緊張から言葉が出なかったりするかもしれません。
パフォーマンスが下がれば、本来は取れた契約も取れなくなるでしょう。
一方、たとえば「今日は十軒訪問するぞ」と考えることもできます。
もちろん、それで契約が取れるかどうかはわかりません。ですが、契約と違って、何軒訪問するかは権内。つまり、自分次第で決められます。
不安や焦りもなく適度な緊張感で、最高のパフォーマンスを発揮できるでしょう。
結果、契約が取れるかどうかはまた別の話ですね。
結果は後からついてくるもの。固執するのはやめることです。
ただし、まわりが結果にこだわるのはどうしようもありません。
仕事なら、会社や上司が数字を気にするのは当然ですし、スポーツなら、観客やメディアが結果で騒ぐのは仕方がない。というか、そういうものです。
だからといって、それに釣られて一喜一憂してはいけません。
「結果を出すぞ!」と、まわりに魅せるのはアリでしょう。でも、本気で結果にこだわるなら、意識は権内に、自身のパフォーマンスに一点集中させること。
結果を出せる人は、それが結果を最大化させるコツだと知っています。
まとめ 結果的に出るものに固執せず、自分のパフォーマンスに意識を向ける
「継続」という言葉を、やめる
石の上にも三年。継続は力なり。続けることはよいことだ。
私たちはそう教えられて育ちました。でも、本当にそうなのでしょうか。
勉強もスポーツも仕事も、どんなことでも「続けた先に結果がある」のは事実。とはいえ、何でもかんでも「継続は大事」と言うのは言い過ぎでしょう。
続かなかったことを公表する人などいるでしょうか。続くべきものが続いた。そこだけを切り取って、「継続って大事だね」と後づけしているに過ぎません。
「続くかどうか」は権外。なのでスルーしましょう。むしろ「続かなかったらどうしよう……」そう言って、いつまでも始めないことの方が問題です。
「続ける」とは動詞。つまり、動きを表す言葉です。
同じ動詞でも、「立つ」や「歩く」という言葉を実行に移すのはかんたん。ですが、「続ける」とは、実際、どんなアクションを指すのでしょうか。
具体性がないため、「するぞ」という気分にならないのです。「継続」など動詞ですらありません。どちらも「動きをイメージする言葉ではない」ということ。
それに、「続ける」や「継続」という言葉は、重みを感じさせます。
たとえば、元旦に「今年、継続する習慣」を決めたとしましょう。
「早起きを続ける」「朝活を続けるぞ」「資格の勉強を継続しよう」。これらは、一年分の行動を今決める言葉。「立って歩こう」というのと違って、重いのです。
「続くかどうか」に意識が奪われると、今日やることにも集中できなくなります。結果、やめてしまう。要は「続けよう」とするから続かないのです。
「続ける」や「継続」は、始めるための言葉ではありません。本当に重要なことなら、「続けよう」「継続するぞ」と言葉にするまでもないでしょう。
「継続は力なり」と最初に言ったのは、宗教家の住岡夜晃です。
この住岡さん、実は宗教家になる以前、二十代で早々に教職を辞めています。
「おい、継続は?」と言いたくなりますが、待ってください。彼が書いた詩の一節を読むと、「本当に伝えたかったこと」がわかります。
「念願は人格を決定す。継続は力なり。真の強さは正しい念願を貫くにある」。
平たく言えば、「思いや願いを貫きなさい」ということです。
何の思いもないものを「ただ続けろ」とは言っていない。
実際、その後の住岡さんは、宗教家を二十六年、終生続けています。もし教職を「継続」などしていたら、そうはなっていなかったでしょう。
「続くかどうか」など気にすることではありません。重要なのは、貫きたいと思える想いや願い、「続いてしまうもの」と出会えるかどうかです。
では、どうすれば「続いてしまうもの」と出会えるのでしょうか。
数を当たり、一つひとつ確かめる以外ないでしょう。だからこそ、「続かなかったらどうしよう」と止まっているヒマはない。始めなくてはならないのです。
「続くかどうか」は結果論。コントロールすることは不可能です。気を取られて立ち止まらず、「これは」と感じたら、とりあえず始めてみましょう。
大丈夫。本当に必要なことなら、続けなくても続いてしまいます。
「続ける」や「継続」というのは、しばらく取っておいてください。「今日もやった」の積み重ねの先、ふと後ろを振り返ったとき、あなたも言うのでしょう。
「気がついたらずっと続けてるな、継続って大事だよね」。
まとめ 「続くかどうか」は結果論。気にしないでとりあえず始めてみる
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