本記事は、安西洋之氏、中野香織氏の著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています

マーケティング用語で語られる、「戦略」としてのラグジュアリー

マーケティング
(画像=tadamichi/PIXTA)

ラグジュアリーが決定的な変質を起こすきっかけになったのは、1984年です。フランスの実業家のベルナール・アルノーがマルセル・ブサック・グループを買収し、クリスチャン・ディオールを基盤とするラグジュアリーブランドの世界戦略を開始した年です。1989年にアルノーはLVMHグループの実権を握り、1990年代には巨大コングロマリットを着々と構築していきます。

ほかの資本家も競ってラグジュアリーブランドの売買劇を繰り返し、気がつけばラグジュアリー市場は、いくつかの巨大コングロマリットが牛耳るマネーゲームの世界に変貌を遂げていました。そこで飛び交う言葉はクリエーションや夢に関わるものではなく、ビジネスの言葉、マーケティング用語が中心になりました。

ラグジュアリーは、人間の内発的な情熱に発する、クリエイティブで夢のあるものというよりはむしろ、市場を見据えて世界戦略的にマネジメントすべき規格(ラグジュアリー基準をクリアする規格)型の商品やサービスになったのです。

そのようなラグジュアリービジネスにおいては、戦略として、19世紀や20世紀初頭の歴史遺産も巧みに利用されています。

21世紀、徹底的にブランディングされた「ラグジュアリーな」商品が、世界の都市部をどこでも同じように埋め尽くす世界において、デザイナーはクリエイティブディレクターと称されて資本家の駒となりました。資本家の都合に応じてブランドからブランドへ渡り歩き、年に何度もコレクションを行いながら短期間で利益を上げ続けねばならないディレクターの中には、プレッシャーで疲弊する人も少なくありませんでした。

その犠牲者とみなされるひとりに、リー・アレキサンダー・マックイーンがいます。

ロンドンで時代の寵児となっていた彼を、アルノー率いるLVMHがグループ傘下のジバンシイのデザイナーとして抜擢します。ロンドンの自身のブランド「アレキサンダー・マックイーン」とパリの「ジバンシイ」、両方を回していくために、リーは一時期、年14回のショーを行っていました。

ストレスの反動で薬物にも溺れるようになり、判断力を失っていたのか意図的な復讐なのかは不明ですが、LVMHのライバルだったグッチグループ(現在のケリング)に「マックイーン」の株を51%売却してLVMHを激怒させます。面倒を見てくれた恩人と最愛の母が亡くなったことで心身の消耗が限界に達し、リーは母の葬儀の直前に40歳の若さで自ら命を絶ちました。

リーは極端な例かもしれませんが、本来的な意味でのラグジュアリーを生むにはある程度の「発酵期間」が必要であるのは確かです。それが軽視され、デザイナー(あるいはクリエイティブディレクター)が短期間で大量の商品をつくり続ける必要に迫られた結果、デザイナーの個性は薄くなり、元祖がつくり上げたブランドの特徴もよくわからないものになりました。世界戦略の前に、本来のラグジュアリーを生んでいたはずの「唯一無二の世界観を持つ個性」が失われていったのです。

ラグジュアリーとラグジュアリーブランドを分けて考えよう

資本家がラグジュアリーブランドのグローバル化を進め、お金さえ払えば誰でも所有できるという大衆化をもたらした結果、消費者も特定のブランドへの偏愛を失い、資本家が広告宣伝費を投入した話題のブランドからブランドへと渡り歩くようになりました。

利益を上げなければ首が飛ぶデザイナーは、飽きっぽい消費者を逃がさないため、3カ月で続々と新製品を世に出さなくてはならなくなりました。従来の春夏、秋冬の年2回のコレクションに、初秋向けの「プレフォール」コレクション、クルーズで過ごすホリデーが想定された「クルーズ」コレクションが加わり、さらにブランドによっては、小規模で限定的な「カプセルコレクション」、芸術的な職人技を讃えるという趣旨の「メティエダールコレクション」など、理由をつけては新しいコレクションが加わります。

早いサイクルで回るラグジュアリーブランド市場は、こうして生まれました。結果として、ファストファッション業界と同じようなサイクルで回るという皮肉な循環が生まれたのです。

つくられすぎたラグジュアリーブランドの商品は、世界同一基準で同じものが大量に氾濫するだけでなく、アウトレットに行けば、ときに半額以下でたたき売られていることもあります。稀少性神話も失われています。

さらに、職人技術を売りにする高額な服飾品の在庫が、「ブランド価値を保つために」大量に焼却処分されるという報道も注目を集めました。国連貿易開発会議(UNCTAD)は、「ファッション産業は石油産業に次いで世界第2位の汚染産業」と指摘。その上、環境汚染を生み出している世界各地での実態がドキュメンタリー映画『トゥルーコスト』(2015年)や各国の報道、SNSによってもはや周知のものとなり、私たちはその弊害から目を背けることはできなくなっています。

このような流れには与しないラグジュアリーブランドももちろん存在しますし、「本物」のラグジュアリーは表に出てこないという事実は常にあります。しかし、このように肥大化を起こしてしまったラグジュアリービジネスには、もはや豊かさも誘惑力も人を輝かせる要素も見出すことが難しくなっています。

その意味で、あえて極端な表現で言ってしまうならば、このような事態を引き起こした「ラグジュアリーブランド」は、もはやラグジュアリーではなくなっている、のです。「旧型」ラグジュアリーと呼んでいるのは、まさにこのようなグローバル化の弊害が行きすぎたラグジュアリーにほかなりません。

いえ、もともと、ラグジュアリーと「ラグジュアリーブランド」は別物だったのです。ただ、この30年で「ラグジュアリー=ラグジュアリーブランド」という見方が地球を覆いつくすほどに定着してしまっただけのことでした。それほど、このビジネスは権勢をふるっていたのです。

「ラグジュアリービジネス」を「高級品ビジネス」と混同してしまうことも、避けたいものです。たとえば「稀少すぎて100回通っても買えない超高級時計」が話題になっていますが、この消費者を取り巻く状況はラグジュアリーと呼べるのでしょうか?

普通の人が購入できない超高級時計が世に出てきたのは、2010年以降です。時計産業史の専門家で大阪大学大学院教授を務めるピエール・イブ・ドンゼ氏によれば、その背景を生んだのは次のような事情でした。

フランスの高級ファッションブランドの知識が活用された。ジュネーブが本部のリシュモンには、仏宝飾ブランド「カルティエ」から多くのマネージャーが他のブランドに派遣された。(中略)高級ブランドのマネージャーの多くはパリの有名ビジネススクール出身者ばかりだ。

価格を高く設定し、販売量を絞っていくという、いわゆる「ラグジュアリー戦略」がとられた結果、消費者側の渇望感がいっそうあおられているわけですが、時計に罪はないとしても、この状況に豊かさは感じられません。それどころか、ドンゼ氏は、「過去20年間でつくる量は増えている。スイスのメーカーは常にストーリーをつくる。雑誌やネットでの社長インタビューの発言のすべてを信じないほうがいい」とまで語っています。

コングロマリットの世界戦略に翻弄された消費者の疲労と覚醒が、企業のサステナビリティへの取り組みを監視し、さらなる努力を企業に促す姿勢へと反転し始めています。ラグジュアリーの新たな意味の模索の始まりです。

そうした変化を受けて、コングロマリット自身も変化へと舵を切っています。

新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義
安西洋之(あんざい・ひろゆき)
モバイルクルーズ株式会社代表取締役/De-Tales Ltd.ディレクター。東京とミラノを拠点とした「ビジネス+文化」のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画してきた。デザイン分野との関わりも深い。2017年、ロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』(日経BP)を監修して以降、「意味のイノベーション」のエヴァンジェリストとして活動する中で、現在はソーシャル・イノベーションの観点からラグジュアリーの新しい意味を探索中。またデザイン文化についてもリサーチ中である。著書に『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)など。訳書にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』(BNN)がある。
中野香織(なかの・かおり)
著述家/株式会社Kaori Nakano 代表取締役。イギリス文化を起点とし、ダンディズム史、ファッション史、モード事情、ラグジュアリー領域へと研究範囲を広げてきた。日本経済新聞など数媒体で連載を持つほか、企業のアドバイザーを務める。著書『「イノベーター」で読むアパレル全史』(日本実業出版社)、『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)、『モードとエロスと資本』(集英社新書)ほか多数。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。英ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授、昭和女子大学客員教授などを務めた。

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