本記事は、安西洋之氏、中野香織氏の著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています

ショパン国際コンクールで優勝者が使ったサステナブルなピアノ

ピアノ
(画像=neko10(ねこてん)/PIXTA)

2021年10月21日、ショパン国際ピアノコンクールの入賞者が発表されました。若手登竜門の世界三大音楽コンクールのひとつで、5年に一度、ポーランドのワルシャワで開催されます。日本からは2位に反田恭平さん、4位に小林愛実さんが入りました。

ひとつ注目すべきことがありました。優勝者を含め入賞者3人が弾いたのが、イタリアのメーカー・Fazioli(ファツィオリ)のピアノだったのです。同社は1981年の創業です。

最高級ピアノメーカーは世界で3社といわれ、ベーゼンドルファー、スタインウェイ、ベヒシュタインです。いずれも19世紀前半から半ばの創業です。ですから「高級ピアノといえば老舗じゃなくちゃあね」と思うところ、ファツィオリは創業およそ30年でショパンコンクールの公式ピアノに認定され、40年で優勝者が使うピアノになったのです。

商品の評価を高めるにあたり、トップレベルの演奏家に弾かれるのは大きなチャンスです。最高峰を目指すピアニストたちに弾かれ、その結果が世界で報道される三大コンクールの公式ピアノに指定されるのは、ピアノメーカーにとっても檜舞台でもあるわけです。シューズメーカーが陸上競技の世界大会に出場する選手のスポンサーになるべく躍起になるのと同じです。

今回、ファツィオリが「まぐれ当たり」ではないと思わせるのは、8人の入賞者のうちの3人が弾いたことです(スタインウェイは4人、カワイが1人)。

ファツィオリの創業者のパオロ・ファツィオリさんは家業が家具メーカーの息子でした。幼少の頃からピアノが好きだった彼は、家業を継ぐために大学で機械工学を学ぶ一方、音楽院でピアノも弾き続けました。

そして家具の仕事をしながらピアノを弾き続けるだけでなく、ピアノの構造や材料について研究をします。そこで得た結論は次のようなものです。

「世界中のトップレベルのピアノを弾いたが、自分が満足するピアノがない。特に『イタリア音楽の音』が出せない。それなら自らピアノをつくるしかない」

30代になっていたファツィオリさんは、家具工場の一角にピアノ工房をつくり、音響の専門家などにも協力してもらいました。十数回に及ぶ試作を重ねた結果、「これだ!」というピアノができたのが1980年。翌年、ピアノメーカーを発足しました。ちなみにスタインウェイも家具メーカーからスタートしています。

『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』より
(画像=『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』より)

ピアノにとって一番重要な部品は響板 (きょうばん)と呼ばれ、音の質を決めます。これにはバイオリンの名器・ストラディバリウスが使ったのと同じ森の木を使っています。本社はヴェネツィアから北に60キロほど、人口2万人のサチーレという街にありますが、そこはピアノの発祥の地であるパドヴァからも近い。つまり、ピアノメーカーとして新参者ではあるものの、背景には十分な「材料」が実質的に揃っていたのです。

その上で創業者の音楽への情熱、エンジニアとしてのピアノへのこだわりが重なり、「工場を出荷するピアノはすべて私が最終的にチェックする」(ファツィオリさん)のです。

ファツィオリは確かに質への追求が尋常ではありません。人口2万人の都市で、従業員に「ピアノをすでに弾いているか、あるいは弾くのに情熱を傾ける人」との条件を求めると、およそ50人しか雇えません。木材を寝かす時期を勘案し、その人数で年間に製作できる台数は130台。スタインウェイが年間およそ3,000台であるのを見ても、桁違いに少ない数です。

「今後、生産台数が増えても劇的に増えることはない」と社長が断言する根拠はここにあります。質や深さの追求が、このような方針をつくっているのです。

ここで学べる2つのことがあります。

ハイエンドあるいはラグジュアリーと称される企業は長い社歴があり、19世紀の新興ブルジョワが王族や貴族のスタイルを追ったところに起源があるからスタートアップが成立しない……と思うのは、大いなる勘違いであるのがわかるでしょう。継ぐべき文化遺産とは社歴にあるのではなく、コミュニティにあるのです。それが1つ目。

2つ目。ファツィオリは質を確保するのを優先し、無理な事業拡大をしないために、結果的にサステナビリティある経営をもたらしているのです。

新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義
安西洋之(あんざい・ひろゆき)
モバイルクルーズ株式会社代表取締役/De-Tales Ltd.ディレクター。東京とミラノを拠点とした「ビジネス+文化」のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画してきた。デザイン分野との関わりも深い。2017年、ロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』(日経BP)を監修して以降、「意味のイノベーション」のエヴァンジェリストとして活動する中で、現在はソーシャル・イノベーションの観点からラグジュアリーの新しい意味を探索中。またデザイン文化についてもリサーチ中である。著書に『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)など。訳書にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』(BNN)がある。
中野香織(なかの・かおり)
著述家/株式会社Kaori Nakano 代表取締役。イギリス文化を起点とし、ダンディズム史、ファッション史、モード事情、ラグジュアリー領域へと研究範囲を広げてきた。日本経済新聞など数媒体で連載を持つほか、企業のアドバイザーを務める。著書『「イノベーター」で読むアパレル全史』(日本実業出版社)、『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)、『モードとエロスと資本』(集英社新書)ほか多数。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。英ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授、昭和女子大学客員教授などを務めた。

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