本記事は、安西洋之氏、中野香織氏の著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています

一見、無駄なラグジュアリーが社会にもたらす価値

宇宙
(画像=PIXTA)

新しいラグジュアリーの姿を想像したときに、考える材料を提供してくれるのが「宇宙開発」です。

宇宙開発は、科学技術の領域であるとともに、かつては主に国家が主導したラグジュアリーでもありました。軍事的な競争が実態として背景にあったとしても、表向きジュール・ヴェルヌが『月世界旅行』(1865年)で語った壮大な「人類の夢」をミッションとして高く掲げ、それを実現すべく、膨大なエネルギーが使われ、多くの頭脳や才能が動員されました。

1970年に、ザンビアの修道女からNASAに宛てて手紙が送られていました。

「地球上にこれほど多くの苦しみが存在するのに、大金を使って月に行ったばかりか、さらに火星に行くことが正義といえるのか?」

マリアナ・マッツカートの『ミッション・エコノミー』(2021年)に紹介されるエピソードです。

NASAはそれでもアポロ計画を敢然と進めます。その過程で数々の技術革新が起き、それらは一見、関係がなさそうな広範な領域に恩恵をもたらすことになりました。

カメラ付き携帯電話、アスレチックシューズ、浄水器、フリーズドライ食品、ワイヤレスヘッドホン、粉ミルク、義肢、LED、家の断熱材……当時の一部の人々には究極の無駄と見えたアポロ計画は、その波及効果を、人々の日常生活の広範囲にわたってもたらしたのです。

そればかりでなく、黒人・女性という当時におけるマイノリティであっても、アポロ計画という人類の夢を賭けたミッションのもとに巻き込まれることで、才能ある人間としての尊厳を勝ち取ることができました。計画は、人権の面でも大きな進歩をもたらしたのです。この経緯は映画『ドリーム』(2016年)にも描かれています。

一見、社会が直面する課題とは無関係に見えるラグジュアリーを追求することが、技術革新や偏見払拭をもたらし、その結果、社会課題の解決に向けて駒を一歩進めた、という例です。

合理的な目的から解放されたラグジュアリーとしての宇宙ビジネス

その後、国家が関わる宇宙事業の多くは、軍事や通信を筆頭に、さまざまな「公益」のための目的を担い、実利的成果をもたらすことが目指されました。

では、2021年に花開いた、民間による宇宙ビジネスは、どうでしょう?

アマゾン創業者ジェフ・ベゾスの「ブルーオリジン」、ヴァージングループ創業者リチャード・ブランソンの「ヴァージン・ギャラクティック」が10分間の宇宙旅行のサービスを開始しました。イーロン・マスクの「スペースX」も宇宙滞在できるサービスを始め、ZOZOTOWN創業者の前澤友作氏はロシアのサービスで宇宙ステーションに滞在し、宇宙から見える地球の写真をインスタグラムに投稿しました。

ベゾスがカウボーイハット姿で着陸後のカプセルから降りてきたことをはじめ、彼らの自由奔放で楽しげな言動から、ユナイテッドアローズ上級顧問の栗野宏文さんの表現を借りれば「お金持ちロックンローラー」が競って宇宙体験を楽しんでいるという風情を感じます。

彼らは、「何の役に立つ?」という合理的な目的や人類の未来を担うミッションからはとりあえず解放されて、原初的なラグジュアリーを堪能していたように見えました。

これに対して批判も百出しました。イギリスのウィリアム王子は、自身が創設した「アースショット賞」を意識した上のことであったかもしれませんが、「宇宙に向かう富豪は、その偉大なる頭脳と知性を傷ついた地球の修復のために使うべき」と。また、「劣悪な労働環境の下で働くアマゾンの労働者たちに代償を払わせて、高額な宇宙旅行とは何様のつもりか」という趣旨の、ベゾス個人に対する風当たりも強いものでした。

こうした批判をあらかじめ想定していると思われる宇宙開発事業者たちは、人類の居住環境の可能性の開拓であるとか、汚染物質を出してしまう産業のための土地の開拓であるとか、公益に役立ちそうな大義を表向きは語ります。こうした現実的な批判に応えるには、やはり合理的な大義名分を持ち出して答えるしかないのかもしれません。

ただ、ウィリアム王子の批判に対する反論のひとつに、非合理的なラグジュアリーを考えるための興味深いヒントがありました。最高齢90歳で、ブルーオリジンが打ち上げた宇宙船に登場したウィリアム・シャトナーの言葉です。彼はSFシリーズ「スタートレック」でカーク船長を演じた俳優でもあります。シャトナーは、地球上空での浮遊体験についてCNNのインタビューに答え、語りました。

「宇宙にいた瞬間は闇と死に包まれ、下方を見たときに地球は生命と滋養の世界だった。このことは誰もが知る必要がある」

宇宙での体験が彼の宇宙観・地球観・生命観を変えたのです。純粋なラグジュアリー体験として宇宙に行った結果、「世界を見るもうひとつの視点」を獲得したと見ることができます。

シャトナーの言葉を聞きながら、「旅の目的は場所とは限らない。むしろ、新しいものの見方である」というヘンリー・ミラーの言葉を思い出していました。新しい視点を獲得してしまったら、もう以前の世界像がどうしようもなく古く見えてきてしまい、もとの世界観に戻れなくなってしまうことがあります。

現在の行き詰まった世界に代わる「もうひとつのあり方」を創造するときに、現状の延長上に小手先の改変をしていくよりも、この「もうひとつの視点」が大きな影響力を持つのではないでしょうか? 地球、ひいては社会を扱う視点のコペルニクス的転換により、新しい世界の創造が導かれるのではないでしょうか?

「もうひとつのあり方」を導く宇宙視点主義

これまでは、宇宙からの視点を獲得できたのは、実際に宇宙に行くことができる、いわば「選ばれた人」だけでした。しかし、近未来にはテクノロジーのおかげで、万人がそれを獲得することが可能になるのです。ソニーと東京大学とJAXA(宇宙航空研究開発機構)が共同で取り組んでいる「STAR SPHERE(スタースフィア)」という画期的なプロジェクトがそれです。

人工衛星の「撮影権」を一般に解放して、1枚数万円程度から販売するサービスを提供予定です。地球にいながらにして、人工衛星の視点、つまり宇宙視点から、地球の好きな場所や星空を撮影することができるようになるのです。これまで宇宙に滞在した経験のある人類は約600人。でも、この世界初のサービスによって、数十億人が宇宙からの視点を獲得できるようになります。

2023年から開始されるこのサービスは、「地球を思い、心豊かで輝ける人々を増やす」という目的を謳っています。人工衛星に接続して写真を撮るという「遊び」でしかないラグジュアリー体験が、結果として、地球を思う「もうひとつの視点」を養うことになる、と期待できます。

開発に携わった、村木祐介さんに話を伺いました。村木さんはJAXAのエンジニアにして、ソニー宇宙エンタテインメント推進室の宇宙戦略プロデューサーです。宇宙エンジニアとしての自分の仕事にどんな「意味」があるのだろうと考え始めたのをきっかけに、人間にとっての宇宙の意味を全方向から考えている、エンジニアにして哲学者です。村木さんは、誰もが宇宙視点を持つことで、人間社会の捉え方そのものが変わる、と話します。

「グローバリズムに代わる考え方として、スフィリズム(Spherism:宇宙視点主義)が誕生するのではないかと考えています。グローバリズムとはいわば地球(=グローブ)の地表にへばりついていた閉鎖的な考え方でした。それに対し、スフィリズムは、高さ方向に広がりを持つスフィア(宇宙も含む球・領域)の視点で、地表から浮遊し、宇宙空間に大きな広がりを持つ開放的な考え方です」

ちなみに、スフィリズムとは村木さんが提唱する考え方で、まだ公にはどこにも書かれていません。高く広い宇宙視点を持てば、シャトナーの言葉からも窺えるように、多くの人の宇宙観・地球観・人間観、ひいては生命観が根底から変わることが予想されます。

「地上にへばりついたグローバリズムから脱却して、宇宙に暮らす民族、スペーシアン(spacian)としての高い視点を獲得できたとき、地上の諸問題への向き合い方が変わるのではないでしょうか?」

宇宙視点が多くの人々にもたらされるとはいえ、「数万円でも高価で手が出ない」と感じる人々がいることも想定し、旅客機の「エコノミー、ビジネス、ファースト」のような幅のあるサービスも検討しているとのこと。そうなると、たとえば富裕層が人工衛星からの撮影時間枠を長時間分、購入して、慈善事業としてフリーで多くの人々に「シェア」することもできるというわけです。それが実現すれば、視点の転換を数十億の人間にもたらすことが比較的早期に可能になります。

すべての地球人が宇宙視点を持つようになれば、地表にへばりついたグローバル資本主義がどうしようもなく古くさいものに見え、「もうひとつのあり方」の創造を促される可能性は大いにあります。

新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義
安西洋之(あんざい・ひろゆき)
モバイルクルーズ株式会社代表取締役/De-Tales Ltd.ディレクター。東京とミラノを拠点とした「ビジネス+文化」のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画してきた。デザイン分野との関わりも深い。2017年、ロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』(日経BP)を監修して以降、「意味のイノベーション」のエヴァンジェリストとして活動する中で、現在はソーシャル・イノベーションの観点からラグジュアリーの新しい意味を探索中。またデザイン文化についてもリサーチ中である。著書に『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)など。訳書にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』(BNN)がある。
中野香織(なかの・かおり)
著述家/株式会社Kaori Nakano 代表取締役。イギリス文化を起点とし、ダンディズム史、ファッション史、モード事情、ラグジュアリー領域へと研究範囲を広げてきた。日本経済新聞など数媒体で連載を持つほか、企業のアドバイザーを務める。著書『「イノベーター」で読むアパレル全史』(日本実業出版社)、『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)、『モードとエロスと資本』(集英社新書)ほか多数。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。英ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授、昭和女子大学客員教授などを務めた。

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