本記事は、安西洋之氏、中野香織氏の著書『新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています

「新しいラグジュアリー」の時代は静かに始まっている

ラグジュアリー
(画像=eugenesergeev/PIXTA)

この数年、いろいろなところで「脱植民地」や「文化盗用」という言葉が聞かれます。また、その言葉は知らなくても、2021年3月、「モデルが着物の帯の上をハイヒールで歩いた」(イタリアのファッションメーカー、ヴァレンティノの日本向け動画)のがソーシャルメディアで炎上した事件は覚えていらっしゃるかもしれません。

あるいはBLM(ブラック・ライブズ・マター)という米国での人種差別反対の動きにテニスの大坂なおみ選手が賛同し、フランスの高級ブランドのコングロマリットであるLVMH(モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン)が「大坂なおみを支持する」との姿勢を示したニュースは記憶にあるでしょう。

前者はラグジュアリー領域であるがために、多数の人の反発を買う事件になりました。後者はラグジュアリー領域であるからこそ、あえて政治的な領域に足を踏み入れることにも躊躇の姿を見せなかったのです。

企業が商売を考えるだけでは不十分で、社会や政治を視野に入れる必要が盛んに論じられます。その渦に先陣を切って入り込んでいるのが、実はラグジュアリーの領域なのです。

ラグジュアリーは人文学発のビジネス

この「ラグジュアリー」の言葉の意味が変わりつつあります。どのような方向に変わりつつあるのか、それはどういう理由によるのか、およその流れを書いておきましょう。

古代から時代とともに「ラグジュアリー」の意味は常に変わってきたのです。まずは王権や宗教的権力を示すためのラグジュアリーがあり、産業革命後は新興ブルジョワジーの権威付けのためのラグジュアリーがあった。20世紀後半からは、欧州以外の地域での欧州文化への憧れや自慢の対象として、ラグジュアリーは存在感を出してきました。

そして現在、21世紀も20年以上を経て、ラグジュアリーにはさらなる変化が見えています。より公平で透明性の高いビジネスモデルを率先して実現しようとしているのです。従来のエリート的な「排他」から民主的な「包摂」へと性格を変え、新しい時代に適合した世界の可視化がラグジュアリー領域に期待されています。

いくら変わりつつあるとはいえ、そもそも「ラグジュアリー」という言葉自体が苦手な人は多いでしょう。「他人に何かを自慢したい、品のない人たちが好むものでしょう?」と、過去の風景を思い出し、悪態をつきながら話す人も少なくありません。

なにせヨーロッパの高級ブランド企業のトップたちでさえ、「ラグジュアリーではなく、ハイエンドという言葉を使いたい」という人がいるくらいです。かくいう私自身、高額商品を扱うハイエンドのビジネスに関与していても、「ラグジュアリーなんか……」と、どこか釈然としない気持ちで捉えていたところがあります。

しかし、次のようなきっかけから、ラグジュアリーの意味を考え始めました。

日本の茶道で使われる陶器はそれなりに高価です。しかし、欧州市場では、まったく実用的とはいえない形をしたセラミック作品のほうが、圧倒的に高価格帯をつくっています。一部の人はそこでビジネスをするためにアート領域に踏み入れ、そうしてつくった作品がラグジュアリーとして扱われる摩訶不思議な現象がある。デザイン作品も同様で、高めの値段をつけるために「アート寄りの表現をする」という流れがある。

このように、商品がアート分野に接近することで価値が高まり(アート側の人が受け入れるかどうかは別)、そこに多くの人や企業が参入するという事例に接し、このロジックの解明をしたいと思い始めたのです。

そうしてラグジュアリー分野の研究者や実践者に次々とヒアリングをしていく中で、ラグジュアリーに対する自分の偏見に気づき、恥じ入りました。年商およそ8兆円(2021年)のLVMHのようなコングロマリットの動向を追っていればわかるというものではありません。ラグジュアリーという表現の好みはさておき、「ラグジュアリーとは何か?」を考え始め、この世界の知的な面白さに興奮しました。

しかも、何度も言いますが、ラグジュアリーの意味は変容しつつあります。そのリアルな現場に立ち会い、自ら意見形成に参加できる絶好のタイミングだと知りました。なぜかといえば、この業界をフォローしている誰もが新しい鼓動を聞きながら、どういう方向が主流となるかについて確信が持てていないからです。

きわめて偏見に満ち、頻繁に物議を醸す。しかし社会的インパクトがある。こうした分野は、そうそうありません。

ラグジュアリーにおいては人文系の素養が大きくものを言います。テクノロジー主導型ではまず進みません。もちろん、たとえばデジタル分野を含めた顧客体験も、サステナブルな素材再利用も、実現にはテクノロジーが必要で、実際は人文とテクノロジーの両輪が動かなくてはいけません。しかし「このテクノロジーで何かできないか?」はラグジュアリーの動機にはなりません。あくまで人文学的動機が最初にくるのです。

つい最近まで、日本では歴史・美術・文学など人文系の分野は、「ビジネスで何の役に立つのか?」と問われた分野です。数年前には大学の人文系学部の見直しが話題になり、「時代遅れの学問分野」として嘲笑さえ受けました。多くの人は「研究者や編集者になる人くらいしか役に立たない」程度に思っていたかもしれません。

ですが、歴史を振り返ってみると、これら人文系の分野が起点となったラグジュアリーが、新しい文化をつくる先導役を果たしてきたのです。私は「文化とビジネスの重なり合い」に自分の活動領域を定めているのですが、その立場からみても「ここは押さえてしかるべきテーマだ」と遅まきながら気づいたのでした。

そして講演や記事でラグジュアリーの意味が変化しつつある状況を紹介していくと、興味を示してくれる人たちも徐々に増えてきました。私自身のそうした体験から、このテーマの潜在的影響力は日本においても高いと確信したのです。

新・ラグジュアリー 文化が生み出す経済 10の講義
安西洋之(あんざい・ひろゆき)
モバイルクルーズ株式会社代表取締役/De-Tales Ltd.ディレクター。東京とミラノを拠点とした「ビジネス+文化」のデザイナー。欧州とアジアの企業間提携の提案、商品企画や販売戦略等に多数参画してきた。デザイン分野との関わりも深い。2017年、ロベルト・ベルガンティ『突破するデザイン』(日経BP)を監修して以降、「意味のイノベーション」のエヴァンジェリストとして活動する中で、現在はソーシャル・イノベーションの観点からラグジュアリーの新しい意味を探索中。またデザイン文化についてもリサーチ中である。著書に『メイド・イン・イタリーはなぜ強いのか』(晶文社)など。訳書にエツィオ・マンズィーニ『日々の政治』(BNN)がある。
中野香織(なかの・かおり)
著述家/株式会社Kaori Nakano 代表取締役。イギリス文化を起点とし、ダンディズム史、ファッション史、モード事情、ラグジュアリー領域へと研究範囲を広げてきた。日本経済新聞など数媒体で連載を持つほか、企業のアドバイザーを務める。著書『「イノベーター」で読むアパレル全史』(日本実業出版社)、『ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史』(吉川弘文館)、『モードとエロスと資本』(集英社新書)ほか多数。東京大学大学院博士課程単位取得満期退学。英ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授、昭和女子大学客員教授などを務めた。

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