この記事は2022年5月10日に「The Finance」で公開された「【連載】気候変動シナリオ分析をより良く理解するために」を一部編集し、転載したものです。


連載企画「気候変動開示の最新の動向と金融機関のシナリオ分析について」の第2弾では、金融機関における気候変動シナリオ分析について、その課題と脱炭素社会に向けた考え方について解説する。

目次

  1. 気候変動シナリオ分析についての3つの観点
  2. 情報利用者の観点から見たシナリオ分析の課題
  3. 金融機関のリスク管理の観点から見たシナリオ分析の課題

気候変動シナリオ分析についての3つの観点

【連載】気候変動シナリオ分析をより良く理解するために
(画像=PIXTA)

企業と投資家や金融機関が、気候変動問題をテーマとして対話をおこなっていく上で、気候変動シナリオを理解することは重要である。様々な社会的課題の中でも特に非常に長期にわたるテーマであり、不確実性も高いことから、あらかじめ前提条件が共有されていなければ有効な対話をすることが難しいからである。

TCFD提言におけるシナリオ分析は、開示項目の戦略の中で“2℃以下のシナリオを含めた異なる気候関連のシナリオの下で組織戦略のレジリエンス”を開示することが推奨されている(*1)。

また、TCFDは、最終提言が公表と同時期にシナリオ分析に関する実務的な論点についてはガイダンスも公表している (*2) 。しかし、現在に至るまでのシナリオ分析ついての開示は、日本だけではなく世界的に見てもあまり進んでいないのが現状である (*3) 。

また、開示情報を利用する金融機関にとっても気候変動シナリオの取り扱いは悩ましい問題の1つではないだろうか。少なくとも金融機関はシナリオ分析について3つの観点で対応しなければならない。

  1. 企業から開示されたシナリオ分析から企業の戦略を読み解きエンゲージメントをおこなう情報利用者としての観点である。
  2. 企業とのエンゲージメントの結果、保有することとなった金融資産に内在する気候変動リスクの管理の観点である。
  3. ステークホルダーに対して自身の戦略をシナリオ分析によって開示する情報作成者としての観点である。

金融機関にとっては、この3つの観点からのシナリオ分析に対して円滑に対応していかなければ、理想とする金融行動には至らない。ここでは、金融機関固有の情報利用者とリスク管理の観点から、現状における課題とその課題を緩和する方法や考え方について述べていきたい。

*1:カッコ内の日本語訳は、TCFD最終報告書のサステナビリティ日本フォーラム翻訳版による。
*2:シナリオ分析に関して、テクニカルサプリメントとして公表されている。The Use of Scenario Analysis in Disclosure of Climate-Related Risks and Opportunities(2017)
*3:TCFDの開示推奨項目で最も進んでいないのは、「シナリオ分析」(調査対象企業の13%)であった。(2021StatusReport)P30参照

情報利用者の観点から見たシナリオ分析の課題

まず、情報利用者の観点から見たシナリオ分析の課題は、TCFDにおけるシナリオ選択と気候変動シナリオの使い方である。TCFD提言が推奨しているシナリオ分析の開示では、気候変動シナリオは情報作成者の任意に選択することができる。

結果、開示されているシナリオ分析の多くは、シナリオの内容やデータは企業によって様々であり、例えば、物理リスクと移行リスクでコンセプトが異なるシナリオを用いることも少なくない (*4) 。

このようにTCFDでは、シナリオの選択やその利用法を明確に定めていない。しかし、情報利用者である金融機関が、シナリオ分析の内容そのものを理解しようとすれば、開示の可能性のあるシナリオを全て網羅することが求められる。

しかし、現実問題として、IPCC(Intergovernmental Panel on Climate Change:気候変動に関する政府間パネル)やIEA(International Energy Agency:国際エネルギー機関)といった気候変動に関する代表的なシナリオは、膨大なデータと複雑な前提条件の上策定されており、気象学の専門家でなければその意味を正確に理解することは困難であろう。

また、情報作成者側も複雑な気候シナリオを十分に理解した上で分析をおこなっているかどうかについては、開示資料を見るだけでは判断することはできない。したがって企業と金融機関のシナリオに対する理解が曖昧な状況で気候変動シナリオ分析内容に焦点を置いた対話をおこなっても、結果として形式的エンゲージメントとなってしまう可能性がある。

このような状況を緩和するためのシナリオはあくまでも共通の前提条件であり戦略についての対話の一要素として考えるのが適切である。日本においてTCFDコンソーシアムが、2019年から公表している「グリーン投資ガイダンス」は、TCFD開示情報を活用して企業と金融機関との対話の促進を目的に策定されたものである(*5)。

ガイダンスの特徴の1つとしてIIRCのフレームワークや価値共創ガイダンスの中で目指してきた従来のエンゲージメントの延長線上に気候変動の問題があるものとして位置付けている点である。そこでは、シナリオ分析に対する視点についても実例を交えながら実質的な対話の方法が示されている。

このようなガイダンスを活用しながら企業と金融機関の対話を積み重ねることでシナリオ分析に対する正しい理解もすすんでいくと思われる。

*4:物理リスクに関してはIEAのNZ2050シナリオを参照し、移行リスクに関しては、IPCC6次報告書のRCP6.0シナリオを参照するなど
*5:2019年にバージョン1.0、2021年に改定版としてバージョン2.0が公表されている

金融機関のリスク管理の観点から見たシナリオ分析の課題

次に、金融機関のリスク管理の観点から見たシナリオ分析の課題は、シナリオ分析に対する視点である。TCFD開示におけるシナリオ分析の視点は、例えば2050年などのゴールから現在を振り返り、企業の気候変動によるリスクの回避やビジネス機会を分析し戦略に反映した開示を求めるよう定めている。

分析にあたってはゴール時点における客観性を担保するために社会や経済環境についての想定やデータをシナリオが必要とされるが、そこに至るまでのデータや経路シナリオについての開示までは求めていない。

一方、NGFSの公表しているシナリオは、2050年のゴールに至るまでの経路の違いによって社会や経済に及ぼす影響やその要因について詳しい想定を置いている (*6) 。NGFSシナリオもTCFDのシナリオ分析に利用されるIPCCやIEAシナリオも同じ気候変動シナリオとして分類され、2050年などの将来時点でのゴールを設定している点は共通している。

しかし、NGFSでは、ゴールに至るまでの経路の変化をリスクとして分析し、TCFDでは、ゴール時点における想定やデータを踏まえて現在との差異とそれに対応するための戦略をリスクと機会に分けて分析をおこなうことを求めている。

つまり、経営戦略のツールとしてのシナリオ分析とリスク管理ためのシナリオ分析とは、同じ気候変動についての将来の気候変動リスクについて分析をおこなう場合でも分析の視点が異なっている。企業が情報を開示し、それらを金融機関がその内容を理解して評価し、結果として投資や融資の判断がおこなわれ、最終的に金融行動が実現されている。

投資や融資といった金融行動の観点から見た場合、企業と金融機関は、同じ開示情報で繋がっていることから目的が異なったシナリオ分析であったとしても両者が整合しているほうが望ましい。

しかし、このような状況を緩和させるような具体的な解決策が生まれるまでには、もう少し時間がかかるかもしれない。例えば、欧州の規制当局が求めるような開示のできている金融機関が皆無である状況や、一部の中央銀行でおこなわれている気候変動に関するストレステストもまだ試行的な位置付けであることからも明らかであろう(*7)。

FSBの公表資料によると、2022年度も気候変動に関するガイドラインや報告の公表が予定されており、またISSBによるIFRSSXについても基準化がすすめられている (*8)。現在、指摘されているような様々な制度や規制上の不整合については、徐々に改善されていくであろう。

2つの観点から提起した課題に限らず、気候変動に関する情報開示と情報利用の関する様々な課題は、その緩和や解決までには時間がかかる。

気候変動問題が待ったなしの状況であるとは、有識者からも様々な局面で指摘されているが、企業の活動や企業開示といった地道な活動が前提となっている。そこから、気候変動問題に関する企業と投資家の対話が促進し、環境と成長の好循環が起こることによって脱炭素社会への実現に近づくのである。今後の変化に正しく対応しながら企業と金融機関が協働していく体制が続くことを期待したい。

*6:例えば、NGFSシナリオの代表的なOrderlyとDisorderlyの2つのシナリオを比較した場合、ともに2050年のゴールは脱炭素社会である点では同じシナリオである。しかし、Disorderlyシナリオは、2030年から急速に脱炭素化が進んだ場合に社会や経済に及ぼすインパクトを重視している点で2つは異なるリスクシナリオ上は区分されている
*7:ECBによる金融機関の気候変動開示状況について評価したもの。Supervisory assessment of institutions’ climate related and environmental risks disclosures(2022)。BOEの公表したディスカッションペーパーにおいてストレステストの気候変動シナリオについてその目的が明確に記載されている。The 2021 biennial exploratory scenario on the financial risks from climate change(2019)
*8:FSBの今後の公表スケジュールは、FSB Work Programme for 2022のP5にIndicative timeline of key FSB publications planned for 2022として記載されている。

参考文献
松山将之(2022)「気候変動シナリオデータの整合性分析—NGFSシナリオとSSPシナリオデータを対象として—」『国際マネジメント研究』 第11巻 青山学院大学大学院国際マネジメント学会
松山将之(2021)「NGFSシナリオとTCFDにおけるシナリオ分析」『視点・論点』日本政策投資銀行 設備投資研究所

*:本コラムは、作成者個人の責任で作成したものであり、内容は意見については、株式会社日本政策投資銀行の公式な見解をしめすものではありません


[寄稿]松山 将之
株式会社日本政策投資銀行
設備投資研究所
主任研究員
博士(経営管理)

大学卒業後,住友信託銀行(現 三井住友信託銀行)に入社、2008年より現勤務先の財務部門においてALM企画を担当。2013年より現職。現在、企業開示の研究並びに、気候変動開示シナリオ分析・気候変動リスク管理についての調査を担当。