本記事は、カン・ハンナ氏の著書『コンテンツ・ボーダーレス』(クロスメディア・パブリッシング)の中から一部を抜粋・編集しています
コンテンツ・リーダーのビジネススキル
1990年代を始めとし、現在までK–POPはいろんなかたちで進化を続けてきました。この30年以上のK–POPの成長に絶対欠かせない人々がいます。それは数え切れないほど多数のK–POPアーティストを手掛けたHYBE、JYPエンターテインメント、SMエンターテインメント、YGエンターテインメントの創業者たちです14。
14:BTSが成功を収めるまでは韓国の3大芸能事務所としてJYPエンターテインメント、SMエンターテインメント、YGエンターテインメントが不動の地位を占めていました。今はBTSの大ヒットによりHYBEが韓国で上場をするなどその存在感を見せているため、K‒POPを代表する4大芸能事務所として挙げられます。
ここで面白いのは、HYBE、JYPエンターテインメント、SMエンターテインメント、YGエンターテインメントの創業者は4人ともアーティスト出身だったということです。自分自身が音楽活動をしていたときのノウハウなどを活かしてさまざまなK–POPアーティストを生み出すことができたのだと思いますが、そのほかにもうひとつ共通しているのが名門大学出身であり、どちらかといいますとアーティストよりはビジネスマンとしての素質が高いという特徴です。
ひとつの事例としてJYPエンターテインメントの創業者J.Y.Park(パク・ジニョン)と、BTSの生みの親でありHYBEの創業者パン・シヒョクの歩みについて見てみましょう。
今はK–POPを代表する音楽プロデューサーのJ.Y.Parkは、1990年代後半にJYPエンターテインメントを設立し、20年以上、数多くのアーティストを生み出してきたことで日本でも有名な人です。
実際にJ.Y.Parkは、韓国の慶應義塾大学と言われる延世大学(地質学専攻)を卒業し、同大学の大学院(政治外交学専攻)を中退したという背景を持ち、大学生の時代に歌手になることを決意し、1994年にはソロのR&B歌手としてデビューしました。彼はデビュー曲である「Please Don't Leave Me」で一躍スターとなり、その後も新曲を出すたびに大ヒットを続け、1990年代〜2000年代初頭を代表する韓国のアーティストとして名を残しました。
J.Y.Parkは2000年代に入り、歌手としての活動より音楽プロデューサーとしての活動に重点を置き、god、Rain(ピ)、パク・ジユンなど2000年代に韓国人ならば誰もが知るアーティストを世に送り出しました。また2000年代後半からは本格的にアイドルグループを作るのに力を入れはじめ、Wonder Girls、miss A、TWICE、ITZYなどのガールズグループを次々とヒットさせ、JYPエンターテインメントは、「ガールズグループの名家」と呼ばれるようになりました。
ところで、J.Y.Parkの一番すごいところは、K–POPをいかにビジネス化していくか、もしくはどうすればK–POPのマーケットを拡大できるのかについていろんな挑戦をし続けてきたことです。詳しい事例をご紹介します。
韓流ブームの影響もあり、2000年代半ばにはK–POPアーティストが日本で何度も成功を収めました。そのため、当時はほとんどのK–POPアーティストが、韓国国内で実績を作った次は日本進出を考えていました。その中でJ.Y.Parkは2007〜2008年に韓国で大人気となっていたWonder Girlsを連れてアメリカへ行きました。つまり、アメリカを拠点にWonder Girlsの音楽活動を始めさせたのです。
実際に2008年頃のアメリカではK–POPの人気はそれほど高くありませんでした。むしろアジア人のアイドルグループに興味を持つ人自体が少なかったと思います。にもかかわらず、J.Y.ParkはWonder Girlsのアメリカ進出に必死でした。その結果、Wonder Girlsは韓国歌手としては初めて、アメリカの地上波のトークショーに出演し、ビルボードHOT 100チャートにランクインするなど、すばらしい成果を上げました。
Wonder Girlsのアメリカ進出は、その後のK–POPが日本やアジア市場だけにとどまらず、アメリカなどグローバル市場を意識するようになった大きなきっかけを作ったといえます。その背景にはJ.Y.Park自身が幼い頃アメリカに住んだ経験や、ブラックミュージックへの憧れなどもあると思いますが、何よりも大事なのは、グローバル音楽市場1位であるアメリカを開拓するために、いち早くチャレンジした彼のビジネスマインドです。
2020年に日本列島を熱くした日韓合同のグローバルオーディションプロジェクト「Nizi Project」もそのひとつです。J.Y.Parkは、K–POP市場が飽和状態の中で日韓関係の悪化が続いた2019年に、長年パートナーシップを結んできた日本のソニーミュージックと共同でガールズグループを作ると発表しました。
しかも、グループメンバー全員が日本人。もちろん「韓国人が1人もいないK–POPアイドルグループの誕生」という新たな試みについては、否定的な声もゼロではなかったのですが、彼はK–POPをプラットフォーム化してローカライズできるようにするという戦略を考えたと思います。言い換えれば、既存のK–POPとは違うかたちでK–POPを広める方法を考察したのでしょう。
そして「Nizi Project」は大成功。2020年6月30日にデジタル・ミニアルバム「Make you happy」の日韓同時リリースによりプレデビューしたNiziUは、熱い注目を浴び、デビュー曲は音楽配信サイトでのシングル・アルバムランク1位の合算で64冠を、MVは今までに2億8,000万回再生を記録するなど、大いなる成果を収めました。
BTSの生みの親として知られており、BTSの所属事務所HYBEの創業者で元最高経営責任者であるパン・シヒョクにもJ.Y.Parkと近いものを感じます。
パン・シヒョクは、2000年代に入り、J.Y.Parkが音楽プロデューサーとしての活動を強めていたときにJ.Y.Parkのそばでgod、Wonder Girls、2AMなど数々のアーティストのプロデュースに参加した人であり、韓国では最も優秀な人が通うソウル大学出身でもあります。
パン・シヒョクは2005年にJYPエンターテインメントから独立し、ビッグヒットエンターテインメントを設立します。そして7人組男性ヒップホップグループBTSのプロデュースを手掛け、K‒POP史上最大の成功を収めたアーティストを世に出しました。とにかく彼のプロデュース力はすごいと思いますが、もうひとつ驚くのが経営者としてのパン・シヒョクの推進力や決断力です。
ある発表によるとBTSメンバー1人当たりの市場価値は現在、約5,000億ウォン(約500億円)ほどと推定されているほど爆発的な収益を得ています15。しかし、現状に満足せずにパン・シヒョクは新たなビジネスの拡大へと積極的に動く姿勢はビジネスマンらしいと思います。
15:ソウル新聞(2020年)「BTSメンバー1人あたりの市場価値は5,000ウォン」
日本でも話題になりましたが、2020年10月にHYBEは韓国でIPOを果たしました。そしてその後すぐに新たな事業開拓を本格的に始めています。たとえば、SOURCE MUSICやPLEDISエンターテインメントをはじめとする韓国芸能事務所を買収することから、ファンコミュニティプラットフォームであるWeverseを開発し、デジタルプラットフォームビジネスにまで参入しました。
また2021年にはさらなる事業拡大を狙い、社名をHYBEへと変更すると同時に、Big Hitのアイデンティティーを残すかたちで、子会社BIGHIT MUSICを設立しました。そしてこのような体制を整えた後、パン・シヒョクはHYBEの最高経営責任者を退任し、取締役会長に就任することを発表したのです。韓国国内でもHYBEの勢いは注目を集めています。
アーティストや音楽プロデューサーとしての才能が優れているのにもかかわらず、J.Y.Park、パン・シヒョクなどK‒POP界の経営者たちはビジネスマインドが強いといいますか、ビジネスマンとしてのスキルを持っていることを感じます。もちろん、もともとの素質もあるでしょうが、もうひとつ理由があるとしたら韓国エンターテインメント界にビジネススキルを持つ優秀な人材がどんどん参入しているからだと思います。つまり、韓国エンターテインメント界でビジネススキルが育てられる環境になったということです。
最後に筆者がお伝えしたいことは、音楽や映画、ゲームなど、あらゆるコンテンツ・リーダーに大事なのは、クリエイティブ力はもちろん必要ですが、ビジネススキルやビジネスマインドを持つことだと思います。なぜなら、これまでだとクリエイターにビジネススキルはそれほど求められていなかったかもしれませんが、今の時代はクリエイティブ力とともにビジネススキルも持つ人材が世界各国に増えているからです。近年の韓国ではいくつかの大学院で文化経営専攻(カルチャーマネジメント専攻)が作られており、コンテンツ・リーダーを育てる取り組みが増えているのも今回の話につながるかと思います。
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