本記事は、御手洗昭治氏の著書『ビジネスエリートが身につけたい 教養としてのダンディズム』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています

ジェスチャーで人間性がわかる

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(画像=ponta1414/stock.adobe.com)

ジェスチャーは必ずしも万能ではない

「ジェスチャー」とは、見る人に情報やメッセージを送る動作のことである。「身振り」、「振る舞い」、「ジェスチャー」など非言語のコード(記号)の解読方法は、人種、民族、文化を問わずユニバーサル(万国共通)と思っている人が多い。

しかし、「所変われば品変わる」ではないが、文化ごとにジェスチャーの目的が異なる方が多い。このため、コードの読み方が異なれば、誤解に発展し、文化摩擦も起き紛争に発展する場合もある。また、「言葉が通じなくても身振り、手振りでも通じますよ」という人もいるが、一つ違えば、誤解につながりひどい目にあうこともある。

例えば、子供の頭を、なでたりする行為は、「かわいい」の意味だと思われがちであるが、東南アジアの小乗仏教国のタイなどでは、頭をなでる行為は、侮辱を意味するので注意が必要だ。一方、東アフリカのヌアー族の間では、子供の顔にツバを吐きかける行為は、「祝福」を意味する。

「異文化理解」は、言うは易く理解することは難しい。

「暗黙のコード」を理解する

世界の人びとは、それぞれ異なった文化に属し、それぞれの文化固有の行動パターン=コミュニケーション・スタイルを持っている。人は生まれ落ちると即、自分の属する文化集団に適用する。自分の周囲の家族や大人たちにしつけられ、そのやり方を無意識のうちに真似して、一つのスタンダードな行動パターンとして身につけるのである。文化人類学者は、このことを「文化は学習される」という。

自分では思う存分自由に振る舞っていても、その行動は自文化の風習や慣習の力で一定のパターンや型の中にはめられている。人は異文化との出会いによって、これまでは常識だと思っていたことが、実は常識ではなく非常識であり、またはルール違反であったことを身をもって教えられて初めて気づくものである。

一つの身振りや仕草、それに立ち振る舞いなども、言語が異なれば、同じものとして解釈されないことがある。例えば、日本の若い女性の「くすくす笑い」は、日本では別に問題視されないが、欧米文化で育った人たちには、これは「大変無礼な行為」として受け止められるので、要注意である。

われわれが、無意識のうちに行っている一つの身のこなし、振る舞いの意味するところのイメージを浮かび上がらせるためには、その言葉を使用している人びとの間で、共通にシェアされている「暗黙のルールやコード」を知る必要がある。

例えば、日本の社会では、面接の際、面接をされる側が、面接官の前で「足を組む」行為をした場合、「態度が悪い」という烙印がおされ、たとえ面接の受け答えが良くても「不合格」になるケースがある。

このように大切な比重を占める非言語コミュニケーションにもかかわらず、この分野を掘り下げた研究は少なく、また日常生活で人と接する際に、意識して使っている人は、少ないのが現状である。

各文化の人びとは、他の文化の身振り、身のこなしや仕草、それに立ち振る舞いを正しく解釈し、理解するには、自文化のレンズやフィルターではなく、異文化のレンズやフィルターを通して見たり、読み取ったり、解釈する必要がある。つまり、異文化の「記号の解読」が必要ということである。

非言語のコミュニケーションというものは、時代や民族、文化によって異なる。エチケットなどは、その場に応じて使い分けることが必要だ。使い分けられる知識を持っていなければ困るが、あとはセンスで判断するしかない。

われわれが日頃、ある状況において、自分が無意識に行っている身振りや振る舞いという行動パターンが、特有の文化の日常生活の中で自然に身につけたものなのか、それとも、後天的に習得した行動パターンなのかを見きわめることは難しい。注意すべき点は、動作を含むジェスチャー、仕草の解釈や解読法を間違えれば、文化間の紛争や文化摩擦に発展する場合が多いとうことである。

キネシクス=人の動作を解読

動作の研究は、ギリシャ語のkinesis(キネシス=身振りと思想伝達)に由来する。今では、「キネシクス」または「カイネシクス」(身体運動・動作学)と呼ばれているが、以下では「キネシクス」と呼ぶことにしたい。キネシクスの分野には、顔の表情、身振りや、頭、足、脚、手、腕の動作、人が立ったり、座ったり、静止したりしている時の姿勢、目の動きであるムーブメントなどが含まれている。さらに細分化すると次のようなものがある。

(1)野球のキャッチャーがピッチャーに送るサインなどの「表象動作」
(2)うなずきやNOと言う際の首のふり方などの「イラスト動作」
(3)ボディ・ランゲージ(身体言語)などで示す喜怒哀楽や感情のメッセージの「感情表出動作」
(4)対話をスムーズに進めるための相槌などの「言語調整動作」
(5)脚の組み方などによる伝達メッセージである「適応動作」

姿勢に対する考え方の違いと共通点

姿勢、つまり立ったり座ったりする際の体勢も、無意識のうちに覚えた習慣であり、文化的なものである。南アジアのインドでは、結婚式で新婦は、左足を地面に伸ばし、右足を折り曲げて、アゴにつくようにすることが礼儀とされている。またインドの結婚式では、食事のあいだ、新婦は右足の左に手を持って行くしきたりがある。一方、新郎は床の上で、あぐらをかくのが習わしである。日本においては、女性は公式の場所では正座して座る慣習がある。

脚の組み方は、欧米の文化においても地域差がある。

例えば、アメリカでは、ヨーロッパの男性が腰を掛けている時に脚を組むことを女性的だとみなす。しかし、ヨーロッパでは、男性が膝の上に、もう一方の膝を重ねるようにして脚を組むのは、一般的な仕草と見なされている。

他方、アメリカの文化では、男性は片方の膝の上にもう一方の下腿部、もしくは足首を乗せて、数字の4型の座り方をする。この4型の座り方は、スラックスやジーンズ姿の女性にも見受けられる場合がある。

ちなみに、アメリカの中西部の地域では、カウボーイや農家を営んでいる男性は、男らしいくつろぎ方をする際、片足の足首をもう片方の膝の上に置く4型の座り方を好む傾向がある。特に、自信に満ちた男性の姿勢で、男っぽさを示したい若者の男性がこのスタイルを好む。

面接中に脚を組んで落とされた欧米人の話

欧米で長年過ごし、英語もネイティブ・スピーカーに近い有能な人物が、日本企業の面接試験で落ちた例がある。

落ちた理由を調べて驚いたことには、その有能な男性は、面接の際に無意識のうちに「片脚を組んで4型座りをしていた」とのことであった。面接委員たちは、彼の素晴らしい英語での受け答えより、脚を組んでいる面接中の姿に終始、不快感を感じとっていたのである。

前述したように、日本文化においては、公式の場で自分より年長者の前で「脚を組む」行為は御法度、すなわち、暗黙のルール違反の行為である。ルールが破られた時に、その社会の文化価値に気づくことができるのである。

欧米などでも男女にかかわらず、「ひざまずく姿」を教会や公式な儀礼的な場面で観ることができるが、これは、人と神とのコミュニケーションを意味する。「コミュニケーション」という用語は、元来ラテン語の「コミュニカーレ」、つまり神と人間とが共有するという意味に由来している。特に、キリスト教では神と信者との霊的な交感を享受する神聖な言葉であった。

ただし、これを人間に対して行うと最高の表敬動作となる。欧米の映画などで男性が女性に求婚する場合、男性が女性の前で片膝をつき、右手を胸にあててお辞儀をするのがこの動作にあたる。

今から約230年前に、日本人として初めてロシア皇帝に初めて謁見したのが、伊勢の漂流民で船頭の大黒屋光太夫である。その光太夫が女帝エカテリーナ2世に謁見した時に行ったのが、この表敬動作である。

ビジネスエリートが身につけたい 教養としてのダンディズム
御手洗昭治(みたらい・しょうじ)
兵庫県生まれ。札幌大学英語学科・米国ポートランド州立大学卒業。オレゴン州立大学院博士課程修了(Ph.D.)。ハーバード大学・文部省研究プロジェクト客員研究員(1992~1993年)。ハーバード・ロースクールにて交渉学上級講座&ミディエーション講座修了。エドウィン・O・ライシャワー博士(元駐日米国大使・ハーバード大学名誉教授)が、ハル夫人と来道の際、講演の公式通訳として各地を随行(1989年9月)。日本交渉学会元会長、札幌大学名誉教授、北海道日米協会副会長・専務理事兼任。主な著書・編著に『サムライ異文化交渉史』(ゆまに書房)、『ハーバード流交渉術 世界基準の考え方・伝え方』(総合法令出版)、『ケネディの言葉 名言に学ぶ指導者の条件』(東洋経済新報社)などがある。

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