本記事は、齋藤孝氏、射手矢好雄氏の著書『BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方』(プレジデント社)の中から一部を抜粋・編集しています。

ヒアリング
(画像=pathdoc/stock.adobe.com)

「聞く耳を持つ」生き方が人を成功へ導く

ここまで、〈BATNA〉思考の基本的な考え方やその有用性、発展性について、射手矢先生とともにお伝えしてきました。射手矢先生がビジネスシーンにおける応用術を、人生における活かし方を解説しますので、ぜひ〈BATNA〉思考を現実のビジネスや人生に役立ててください。

さて、いまいった「現実」ということについて話したいと思います。

「現実」というのは、それぞれの人がものごとをどのように見て、感じ、どのように考えるか、それらの主観を集約したようなものです。これを哲学では「共同主観性」といいます。

主観というものは人それぞれが持っています。自分には自分のものの見方があり、親には親のものの見方があり、第三者から見たものの見方もあるように、人の数だけものの見方が存在します。もちろん、それぞれの主観が客観的な現実かといわれると客観的とはいえませんが、だからといって、絶対的な客観も見出しづらい(証明しづらい)ものです。

そこで、それぞれの主観にある程度の共通点があるなら、それを「共同主観性」としてとらえようとしたのが、ドイツの哲学者・フッサールが確立した現象学の「かん主観性」という考え方です。

それぞれに主観があるものの、すべての主観がばらばらに存在するのではなく、多くの人がある程度納得できる、共通した「共同主観性」があると考える。これがいわば、「現実」というものの正体です。

ところが、自分ひとりの主観が「現実」だと思い込んでいる人は、ほかの人のものの見方に対して聞く耳を持ちません。これは非常に危険な状態です。なぜなら、経験と知識を有し、ものの道理もわかる人のアドバイスを受け入れることができないからです。

自分のものの見方が、つねに「一貫している」「正しい」「これしかない」と思うことは、確かに誰もが持てる主観ですが、ほかの人の主観から見るとちょっとおかしく、ゆがんでいることもあり得ます。そして、それについてアドバイスされたときに、冷静かつ素直に受け入れられるかどうかで人の見る目や評価が変わってきます。

ある記事で読んだのですが、お笑い芸人の今田耕司いまだこうじさんは、22歳頃から10年間ほどお酒を断っていたそうです。今田さんは若いときにかなり無茶な飲み方をしていたらしく、あるとき先輩の松本人志まつもとひとしさんに、「その飲み方はやめたほうがいい」と真面目にいわれ、ハッとして助言を聞き入れて酒を断ったのだといいます。その後は少しずつ飲むようになったものの、もう無茶な飲み方は一切しなくなったそうです。

そのときまでは、今田さんは自分で「これがいい」と思って飲んでいたのだと思います。それが彼のものの見方であり、主観だったわけです。でも松本さんから見たら、ちょっと無茶な飲み方になっていて、それが将来彼のマイナスになるかもしれないと見えたのでしょう。これは松本さんの主観です。

このとき、自分の主観が「現実」だと思い込んでいたら、主観と主観がぶつかって平行線で終わりますが、今田さんには助言を聞き入れる気持ちの余裕がありました。芸人として成功し、もののわかった人が親身になっていってくれた言葉に対して、素直に聞き入れる気持ちがあったからこそ、いまの今田さんの成功があると見ていいのではないでしょうか。

これこそまさに、自分の思考だけに執着しない〈BATNA〉思考にほかなりません。自分の主観が行き詰まったときの代替案として他人からの言葉(主観)を大切にして、それをきっかけに自分自身を変えていく力と素直さもまた、〈BATNA〉思考につながっています。

〈BATNA〉思考は、広くとらえると「聞く耳を持つ」生き方ともいえるのではないでしょうか。

他人の主観を聞く耳を持つことで、自分の将来のリスクを減らすだけでなく、自分の可能性を大きく切り拓くこともできるあり方なのです。

「現実的」こそ希望への道

複雑化する現実を正しく認識しながら、他者の主観に対して「聞く耳を持つ」大切さについて述べました。自分ひとりの主観だけでものごとを考えていると、現実とどんどん遊離していくため、かえって不安定になってしまいます。

ある一時期に「夢」という言葉が流行し、いまでも「夢を持とう!」などとよくいわれるのはご存じの通りです。

確かに、自分の夢をいろいろと思い描き、それに向かって努力していく生き方は悪いことではありません。

しかし注意したいのは、その主観的な夢に現実的な一歩をつねに想定しておかなければ、ただ〝夢見がち〟で終わってしまうということです。「この夢しかない」「いくらでもチャンスはある」と思い続けていると、気づけば不惑の40歳になっていたということもあり得ます。

孔子は、『論語』において、「四十五十にして聞くこと無くんば、亦畏またおそるるに足らざるのみ」と述べました。

わかりやすくいえば、「40歳、50歳にもなって評判が悪いのは、人として終わっているよ」というかなり手厳しい指摘です。

この言葉は、「後生こうせい畏るし。いずくんぞ来者らいしゃの今にかざるを知らんや」という文に続いて出てきますが、これは「あとから生まれてきた人たちを見くびってはいけない。若い人たちは力があるから、畏敬の念を持って見なさい」という意味です。

まさに、「聞く耳を持つ」という姿勢に通じるのではないでしょうか。

〈BATNA〉思考ができると、現実主義でありながら希望を持てる生き方ができます。いや、むしろものごとを現実的に考えたほうが、希望を持ちやすくなるのです。

理想主義は一見いいように思えるし、理想を描かなければ、理想を達成できないのも理解できます。

しかし大切なのは、理想を描くときに、そこにしっかりと現実という足場をつけて、一歩一歩つなぎとめることです。そうしてはじめて、理想は意味を帯びるのです。

その意味では、40歳くらいになったときに、きちんと〈BATNA〉思考ができている人は、まわりからいい感じで評価される成熟した大人です。

逆に、自分の感情をうまく処理できない人は、まわりの人にとても手を掛けさせてしまう。

いわゆる〝かまってちゃん〟のように、精神的に落ち込んでみせて誰かに慰めてもらうことを期待していると、まわりにものすごく負担を掛けてしまいます。

そんな状態はやはり、これまで繰り返し述べてきた「これしかない」「いくらでもある」という執着から生まれるケースがとりわけ多いでしょう。執着がまわりの現実と歩調を合わせられないために、「○○でなければもうダメだ」と絶望してしまうのです。

「これしかない」と思うと自分を窮地に追い込んで悲観的になってしまう。一方で、「いくらでもある」と思うと、自分をコントロールするための限度がなくなって、ぼんやりした楽観主義に陥ってしまいます。たとえ自分はそれで満足していても、まわりから見たら、「ええっ!?」と驚くような状態が生じてしまうはずです。それはまさに、「現実」が見えていないということです。

それを避けるには、やはり現実的でありながら、希望も持てる〈BATNA〉思考を使って、わたしたちは成熟への道を歩んでいくしかないのだと思います。

BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方
齋藤孝
1960年、静岡県に生まれる。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒業後、同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現職に至る。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞、2002年新語・流行語大賞トップテン、草思社)がシリーズ累計260万部のベストセラーになり日本語ブームをつくった。著書には、『読書力』『コミュニケーション力』『新しい学力』(すべて岩波書店)、『雑談力が上がる話し方』『話すチカラ』(ともにダイヤモンド社)、『大人の語彙力ノート』(SBクリエイティブ)、『人生の武器になる「超」会話力』(プレジデント社)、共著書に『心穏やかに。人生100年時代を歩む知恵』(プレジデント社)などがある。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導。テレビ出演も多数。著者累計出版部数は1000万部を超える。
射手矢好雄
1956年、大阪府に生まれる。弁護士、ニューヨーク州弁護士。アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー。一橋大学法科大学院特任教授。京都大学法学部卒業後、ハーバード大学ロースクールを修了し、日本とアメリカ・ニューヨーク州の弁護士資格を有する。2022年度より日本交渉学会の会長を務める。M&A、紛争解決、海外法務を専門とし、中国をはじめインド、タイ、ベトナム、インドネシアなどとの国際ビジネス交渉に従事。日本経済新聞「企業が選ぶ弁護士ランキング国際部門」にて1位を複数回獲得(2010年、14年、17年等)するほか、「Chambers Global」「The Best Lawyers」「Legal 500」「Who's Who Legal」など多数の受賞歴を持つ。編書に『中国経済六法2022年増補版』(日本国際貿易促進協会)、監修書に『2021/2022 中国投資ハンドブック』(日中経済協会)、齋藤孝氏との共著に『うまくいく人はいつも交渉上手』(講談社)がある。

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