本記事は、齋藤孝氏、射手矢好雄氏の著書『BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方』(プレジデント社)の中から一部を抜粋・編集しています。

BATNA
(画像=Skyline Graphics/stock.adobe.com)

〈BATNA〉とはなにか

ビジネスでも日常生活においても、わたしたちの人生は、まさに「選択と決断」の連続で成り立っています。大きな選択や決断はもとより、ささいなことであっても(右側ではなく左側の道を選ぶ、AではなくBの商品を買うと決める……など)、わたしたちはなにかを選び決断しなければ、自分の力で生きていくことはできません。

そして、そこには自分だけでなく、他者の選択と決断が関わる場合もあります。もし自分の選択と他者の選択がなんらかの不一致でぶつかるならば、そこに話し合いで決める機会が生じます。

これが、「交渉」です。

交渉と聞くと、つい外交やビジネスなどで行われる交渉事を思い浮かべがちですが、わたしたちはふだんの生活を送るなかで、実は、毎日交渉をしながら生きているのです。

交渉というものは、必ず妥結するとは限りません。むしろたいていは難航して、最悪の場合交渉が成立しないことも現実にはよく起こります。そんなときのために、わたしたちは自分の身を守るべく、「代替案」を用意しておく必要があります。交渉が成立しなかったからといって、身を滅ぼしたり、変に妥協して被害を被ったりすると元も子もないからです。

ですから、目の前の相手との交渉が成立しないことを想定し、「自分にはなにができるだろうか?」「なにをするのがベストなのか?」とつねに考え、次善の策を準備する必要があります。それが、〈BATNA〉です。

〈BATNA〉とは、Best Alternative To a Negotiated Agreement の略で、「代替案のなかで最良のもの」を指します。

注意したいのは、〈BATNA〉はのちに説明する、交渉の〈オプション(選択肢)〉ではないということ。〈オプション〉はあくまで、「目の前の交渉相手と一緒になにができるか」を前提とする選択肢のことです。

一方〈BATNA〉は、「目の前の交渉相手とうまくいかないときに、自分にはどんな最良の道があるか」を考えるものです。よりわかりやすくいうと、「それがダメでもこの手があるさ」ということです。

交渉しているあいだ、心のなかでずっと持ち続ける次善の策。いざ交渉が成立しなかったときに繰り出す、最強の〝奥の手〟 ── 。それが、〈BATNA〉です。

〈BATNA〉は「成熟」の思考

わたしは、人間というものは、自己中心的な狭い了見にとらわれがちな生き物だと見ています。例えば、いったん「◯◯がほしい」「◯◯が食べたい」と思ったら、とにかくそれ以外は目に入らなくなる。こうした欲求が強いのは、ひとえに生存のためであり、生きるエネルギーが強いともいえるでしょう。

このエネルギーは、特定のものに焦点を絞ると、さらに強くなります。「あの◯◯がほしい!」「この◯◯じゃなきゃ嫌!」という強烈な欲求となり、わたしはこの状態を「これしかない思考」と呼んでいます。

「これしかない思考」は、一見エネルギーは強いようですが、実は案外もろいものです。それは人間が成長するにつれてはっきりしてきます。

子どもの頃は、「あの◯◯がほしい!」「この◯◯じゃなきゃ嫌!」と泣きわめいても、まわりは「元気のいい子だなあ」などと思ってくれます。デパートのおもちゃ売り場で「これじゃなきゃ嫌!」と泣き叫んでも、「ああ、こういう時期ってあるよね」と、きっと大目に見てもらえるはずです。

でも、そんな大人がいたとしたら「あの人ちょっとおかしいよね」と見られてしまいます。

ほしいものが手に入らなかったからといって、いつまでも文句をいっていたり、ずっと引きずって周囲に気を遣わせるほど落ち込んでいたりすると(実際にそんな大人はたくさんいます)、それは〝子どもっぽい〟振る舞いだとみなされます。そんな言動をする人は、やがて人望をなくし、交友範囲も狭まっていくでしょう。

「これしかない思考」とはつまり、「狭量きょうりょう」に陥ることなのです。

もっとわかりやすくいうと、「器が小さい」ということ。「これでなければダメなんだ」「こんな状態ならもう無理だ」と、すぐに心がいっぱいになってしまう。「心が折れる」という表現もありますが、まるで小さいコップのように、ちょっと水を入れただけですぐにあふれかえってしまうのです。

一方、紹介する〈BATNA〉の思考法は、これとは対極です。

あるものごとがダメになってふつうなら絶望しそうな状況でも、「ダメになることも想定している」という考え方なのです。

わたしは子どもの頃、町内の相撲大会に出るほど相撲が好きでした。相撲には「二枚腰にまいごし」という言葉があります。相手に投げられかけても、腰をこらえ、しぶとく、あきらめない姿勢を指します。当時、取組中に追い込まれ、徳俵とくだわら(土俵の左右両側にある、俵が少しだけ外側に出ている部分)に足をかけながら感じたのは、まさに「二枚腰」の重要性でした。

守りが固い力士は、二枚腰、三枚腰、さらにいうなれば四枚、五枚……と粘り強さを発揮します。なにがあっても倒れないその姿には、「ここまで守れるのか!」と感動すら覚えます。

簡単には土俵を割らず、そこで粘って、粘って、次のチャンスをうかがい、どんなかたちであれ最終的に勝利する。

これがまさに、わたしの〈BATNA〉思考のイメージです。

言い換えればそれは、「成熟」の思考ともいえるでしょう。

成熟とは、経験が豊富で、いろいろなことに対して器量が大きく、度量が広いことを意味します。「AがダメでもBがある」「BがダメでもCがある」と、なにが起きても、つねに粘り腰で取り組める力。それができると、〝酸いも甘いも噛み分けられる〟状態になっていきます。

哲学者の九鬼周造くきしゅうぞうは、『「いき」の構造』(岩波書店)のなかで、「粋」を「垢抜あかぬけして、はりのある、色っぽさ」ととらえました。たとえ一途な恋をしたとしても、経験がある人はその恋が叶わなかったときに「死んでしまいたい」などと絶望しない。そうした態度が粋であり、成熟していると考えたのです。

「男心と秋の空」ともいいます(このことわざを「女心」でご存じの方が多いかもしれませんが、もともとは「男心」でした)が、「そういうこともあるか」「秋の空のように人の心はころころ変わるものだ」と、一種のあきらめの気持ちを含んでいるわけです。

それに対して、自分のことを好きではないとわかった瞬間に、キレて相手を追いかけまわし、場合によって事件まで起こしてしまうのが、まさに「これしかない思考」の典型です。

そうではなく、自分の予想や期待とは違う事態が起こっても、それに耐えられる人間になること。それが成熟した大人というものであり、精神の粘り腰というものです。

〈BATNA〉思考を養うことで、その粘り腰や成熟した態度を身につけられるのです。

BATNA 交渉のプロだけが知っている「奥の手」の作り方
齋藤孝
1960年、静岡県に生まれる。明治大学文学部教授。東京大学法学部卒業後、同大学大学院教育学研究科博士課程を経て、現職に至る。『身体感覚を取り戻す』(NHK出版)で新潮学芸賞受賞。『声に出して読みたい日本語』(毎日出版文化賞特別賞、2002年新語・流行語大賞トップテン、草思社)がシリーズ累計260万部のベストセラーになり日本語ブームをつくった。著書には、『読書力』『コミュニケーション力』『新しい学力』(すべて岩波書店)、『雑談力が上がる話し方』『話すチカラ』(ともにダイヤモンド社)、『大人の語彙力ノート』(SBクリエイティブ)、『人生の武器になる「超」会話力』(プレジデント社)、共著書に『心穏やかに。人生100年時代を歩む知恵』(プレジデント社)などがある。NHK Eテレ「にほんごであそぼ」総合指導。テレビ出演も多数。著者累計出版部数は1000万部を超える。
射手矢好雄
1956年、大阪府に生まれる。弁護士、ニューヨーク州弁護士。アンダーソン・毛利・友常法律事務所パートナー。一橋大学法科大学院特任教授。京都大学法学部卒業後、ハーバード大学ロースクールを修了し、日本とアメリカ・ニューヨーク州の弁護士資格を有する。2022年度より日本交渉学会の会長を務める。M&A、紛争解決、海外法務を専門とし、中国をはじめインド、タイ、ベトナム、インドネシアなどとの国際ビジネス交渉に従事。日本経済新聞「企業が選ぶ弁護士ランキング国際部門」にて1位を複数回獲得(2010年、14年、17年等)するほか、「Chambers Global」「The Best Lawyers」「Legal 500」「Who's Who Legal」など多数の受賞歴を持つ。編書に『中国経済六法2022年増補版』(日本国際貿易促進協会)、監修書に『2021/2022 中国投資ハンドブック』(日中経済協会)、齋藤孝氏との共著に『うまくいく人はいつも交渉上手』(講談社)がある。

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