本記事は、千原せいじ氏の著書『無神経の達人』(SBクリエイティブ)の中から一部を抜粋・編集しています。

悩み,考え事
(画像=garage38/stock.adobe.com)

情報が少ないほど極端な考えに陥る

ある教育関係の方としゃべっていたら、「日本の子どもたちは、高校までは親や教師の言うことを聞け、校則を守れと言われて育つのに、大学生になったとたんに、自由にしろ、自分の進みたい道を歩めと言われる」とおっしゃっていて、たしかになと思いました。

進みたい道を見つけたり自由に生きたりするには、ある程度の思考力が必要で、思考力を身につけるには、実は訓練がいる。たくさんの情報や経験を取捨選択しながら、自分なりの答えを導き出していくことが、思考なわけですから。

それまで「言うとおりにしろ」と育てられてきたのを、いきなり「やれ」と言われても、急にできるものではありません。

要するに、日本という国は「自分で考える練習」を積む機会に乏しいんですよね。練習の機会の有無はともかくとしても、まず、思考の材料となる情報は積極的にとりに行くべきだと思います。

たとえば、昨今のマスク問題です。

風邪やインフルエンザにかかったら、マスクをつける。流行期に、より念を入れて気をつけたい人もつける。つける、つけないは、状況に応じた個々人の判断。これはずっと日本では「普通」のことでしたが、新型コロナウイルスのパンデミック時、行政からのトップダウンでマスク着用が奨励されて以来、その「普通」が失われてしまった気がします。

まだウイルスの正体がわからない、ワクチンも薬も開発されていない、という段階だったら、国民全員がマスクをつけて備えるというのは、一定の効果があったのかもしれません(ここも検証が必要ですが)。

でも、ウイルスの正体がだんだんわかってきた、ワクチンや薬もできて治療法も確立されてきた、死亡率も重症化率も低下しているという中で、なおも「マスク着用が絶対」みたいに言う人って、どうなんやろう。

僕は自分が賢い人間だとは露ほども思っていませんけど、そんな僕から見ても、正直アホちゃうかと思ってしまうんです。

状況に応じて個々人で判断するには、当然、判断基準が必要です。

その判断基準となるのが情報なわけで、自分なりにより適正な判断をするには、いろんな情報に触れなくてはいけない。これは大変といえば大変です。

逆にいえば、日ごろ触れている情報が少ない人(俗にいう「情弱じょうじゃく」ってやつです)ほど、極端な考えに陥りやすいんじゃないかな。

いや、極端な判断をしたい人が情弱になるのか、情弱だから極端な判断に陥りやすいのか。これはニワトリとタマゴですが、どちらが先でも悪い結果を生んでしまう。

いずれにせよ、多くの情報に触れて自分なりに考えることが大切なのに、ネット中心の限られた情報だけで判断するというのは、思考の怠慢としか僕には思えません。

ネット情報以上のリターンを得るには

世の中、知らないことが尽きることはありません。

つい先日も、僕は52歳にして、またひとつ新しいことを人から教わりました。

日本では今のところ、カジノは違法です。

でも実は、日本にも合法カジノがあるって知ってました?

「カジノごっこ」ではなく、現金を賭けるホンマモンのカジノが、東京・港区南麻布の「ニュー山王ホテル」という、戦後に接収された在日米軍の施設内にある。在日米軍の施設には日本の法律が及ばないから、オッケーなんですって。

アメリカの大使館関係者と軍関係者以外は、アメリカ人であっても立ち入り禁止。ということは、僕には一生縁のない場所ですが、そこは問題じゃありません。

もし、その人から教わらなかったら、一生、知らないままだったかもしれない。「そんなこと、別に知らなくてもいい」という人もいるかもしれません。でも僕は、そういうことの一つひとつが人生を楽しくしてくれる要素だと思っているし、自分の知見や視野を広げてくれるものだと思っています。だから、生きている限りは世の中のことをひとつでも多く知りたいんです。

しかも、「人から情報を得た」ということに意味がある。人とのコミュニケーションも楽しみながら、新しい情報をもらえるなんて、得しかありませんから。

「人間関係の幅の狭さは、そのまま情報の幅の狭さにつながる」と考えているから、なおさら「いろんな人と話したい」「知り合いたい」という欲が強いのかもしれません。

日本のカジノ話のように偶然に入ってくる情報だけではなく、なにかについて正確な情報を知りたいときも、僕はできるだけ専門の人に聞くようにしています。その道の専門家とつながっていない場合には、ちゃんとした調べものができる周りの人にお願いすることもあります。

「ネット情報は玉石混淆ぎょくせきこんこう」とこれだけ言われているにもかかわらず、なんでもネット事典で基本情報を得ようとする人って、まだまだ多いでしょ。僕の後輩芸人にもいます。いつも、「そんなん、誰でも書き込めるんやで」と言ってるんですけど。

僕も「このドラマ、おもしろいな。マンガ原作なんかな?」みたいなときにはネットで調べますけど、しょせん、その程度の使い方です。

あと、ネットだと、意外と自分が知りたい情報まで辿り着けなかったり、ニッチな情報だと見つからなかったりということも多くないですか?

そんなときにも、「人」からの情報は重宝しますよ。「質の高い情報をどれだけ持っているかが、これからの時代を生き抜くカギになる」なんてことがよく言われますけど、誰もが検索できるネット情報よりも、その人だからこそ知りうるナマの情報をどれだけ持っているかというほうが強いと思う。

実は、僕も、ナマの情報を持っていなかったことで失敗したことがあります。

かつて、居酒屋を経営していたときのことです。僕の店と知人が経営している居酒屋は、同じ酒屋さんからアルコール類を仕入れていました。ところが、あるときその知人と話していたら、うちよりも安く仕入れていることがわかったんです。

知人の話を最初から聞いていたら、その知人を介して、同じ値段で仕入れさせてもらえないか交渉できたかもしれない。

あるいは、もっといろんな酒屋さんに連絡をとって値段を比較検討していたら、さらに原価を低く抑えられたかもしれない。

どれも「かもしれない」の話です。ただ、実際どうなっていたかは別として、そこで僕は改めて「人」から入ってくるナマの情報の重要性を実感しました。有益な情報を得るための、さらに情報を得て利益につなげるための「交渉をする」というコミュニケーション能力が、僕にはまだまだ足りていなかった。事業の責任を負う経営者としては、大いに反省しました。

こういった失敗を経験したからこそ、「コミュニケーションのチャンネル」をどれだけ多く持てるかが、この厳しい生存競争の中ではものすごく大事なんだと実感できているんです。

人に聞くだけじゃなく、自分の身をもって体験することも、もちろん大事だと思う。

僕は、海外ボランティアの人たちの講演活動の支援などをする一般社団法人を運営しており、いっとき、それを公益社団法人にしようと考えたことがあります。そのほうが、寄付してくださる方々にとって税制上いいから、という理由で。

いろいろな手続が必要だろうとは思っていましたが、実際にやってみると想像以上に大変で。結局のところ、現在の僕らの活動実態では、公益社団法人にできないということがわかったんです。

理由はこうです。僕たちは、寄付者のみなさんからお預かりしているお金を、活動資金に当ててきました。自分たちは手弁当で、まったくの無報酬でやってきました。

僕らからすれば、「がんばってる人をサポートしよか」という気持ちで、そもそも報酬なんて得るつもりはなかったんですが、実は、ちゃんと帳簿的に収支が成立していないと、公益社団法人になる要件を満たせないんだそうです。相談に乗ってくれた人には、「こんな、自分たちを犠牲にしているだけの帳簿じゃ、無理ですよ」と言われてしまいました。

それまで知らなかったんですけど、公益社団法人というのは、要は会社と同じなんです。

活動を事業として、事務所の家賃がいくら、その他の経費がいくら、人件費がいくら、収入がいくらで、結果、利益が出ていなければ赤字企業と同じだから、公益社団法人として認められないわけです。

社会の仕組みについても、まだまだ知らないことがあるもんです。

僕たちは素人集団だから、こういうことも「やってみよう」と思い立ち、実際に動いてみなければ、知ることはできませんでした。いや、もしかしたらどこかで、そういう情報は目にしていたかもしれない。ただ、その当時の自分にはあまり関係のない情報だったから、脳を一周しただけで、そのままどこかに飛んで行ってしまったのかもしれません。「自分事じゃない情報」って、そういうもんでしょう?

実体験で得た情報と単に見聞きした情報とでは「濃さ」がぜんぜん違うし、体験して自分事になった情報は脳への定着率も高まるだろうし、付随する情報にも敏感になるでしょう。それを人に話すとなると、話すときの言葉選びや熱量なんかもぜんぜん違ってくるから、聞いている相手の反応も変わるでしょう。

そう考えると、スマホの画面をじーっと見つめているだけというのは、ますますもったいなく感じる。自分の興味に従ってどんどん行動したほうが、はるかに毎日が刺激的になると思いますよ。

なんてエラそうに言いましたけど、僕は「公益社団法人っちゅうのにしたら、どうやろか」と思って、いろんな人に聞いて回っただけで。小難しい書類仕事なんかを実際にやってくれているのは、仲間たちなんですけどね。

僕を神みこし輿にかついでくれて、僕のアイデアに乗ってくれて、実働部隊として動いてくれる人たちがいるから、「一介の芸人が、一般社団法人を運営する」なんていうことができているわけです。

なるべく人に頼らず、自力でできることをしながら生きていくのもいいでしょう。孤独に生きるのも、ひとつの選択肢かもしれない。

だけど、ひとりでできると思うことでも、ほんのちょっとだけ人の知恵や労力を借りることで、できることや体験できることの幅がぐんと広がるものです。それを可能にするのが、コミュニケーションなんですよね。

ちょっとでも思い立ったら、なんでも人に聞いてみること、自分の手で触れてみること、やってみることが、すごく大事だと思う。面倒くさいし大変かもしれないけど、そのぶん大きなリターンが必ず得られるんです。

無神経の達人
千原せいじ
芸人。1970年1月25日生まれ、京都府出身。1989年に弟である千原ジュニアとコンビ「千原兄弟」を結成。テレビ番組等の企画等でこれまでに70ヵ国以上を訪問し、卓越したコミュニケーション力が話題となる。2018年にメンタルケアカウンセラーの資格を取得。2021年、貧困・就学困難への支援や国際協力の推進等を主な事業とする一般社団法人ギブアウェイを設立、代表理事となる。著書に『がさつ力』(小学館)、『プロに訊いたら驚いた! ニッポンどうなん?』(ヨシモトブックス)がある。

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