本記事は、千原せいじ氏の著書『無神経の達人』(SBクリエイティブ)の中から一部を抜粋・編集しています。

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(画像=tovovan/stock.adobe.com)

卑怯者大国ニッポン

誹謗中傷は海外でもあるけれども、日本は特に匿名性が高い。そこが卑怯だと思います。

Twitter社を買収したイーロン・マスクも「Twitterは日本中心だ」と発言していますし、Twitterが使える国で匿名アカウントの割合がいちばん多いのも、日本なんだとか(他国は30〜70パーセント。日本は80パーセントほど)。

同じ日本人としてこんなことは言いたくないけど、性根が卑怯者と証明されてしまっているような気がする。顔も名前も出している人に向かって、匿名という安全圏からひどい言葉を投げつけるなんて、卑怯者のすることですから。

池袋の自動車暴走事件でも、奥さんと娘さんを亡くした方に対して、口に出すのもはばかられるような誹謗中傷を書き込んだことが、裁判になりましたけど……ほんと、なんなん? 全員、顔と名前を出して同じこと書いてみいや、できひんやろ! って思います。

もし自分が書いたことが世間に知られたら、友だちや仲間から白い目で見られるようになって、関係修復はそうとう困難でしょうね。もしかしたら一生、「あいつは、あんなひどいことするやつだ」と後ろ指をさされつづけるかもしれない。でも、ひどい言葉をためらわずに何度もしつこく送る人間だから、周りから後ろ指をさされていることや、仲間がどんどんいなくなっていることにも気づかんのかもしれんけど。

とにかく、誹謗中傷はそれだけ反社会的な行為ということです。

匿名だから捕まりづらいだけ。とはいえ、最近は、匿名アカウントが特定されて、訴訟に至るケースも出てきています。Yahoo!のコメント書き込みにも、携帯番号の登録が必要になりましたしね。日本のネット上のコミュニケーションが少しでも改善するなら、そういう法整備や仕組みづくりは、どんどん進めてほしい。

もちろん、文句を言うなというわけではない。ただ、意見とか不満とかでなく、相手の名誉や人格をただおとしめるようなことを、しかも匿名で言うというのが、卑怯すぎる。陰険すぎる。文句があるなら、自分も顔と名前を出して堂々と言ってみろという話です。

実は海外でも、こういう日本人の陰険な一面は、すでに少し警戒され始めています。

たとえば欧米のレストランで、「中国人お断り」というのは珍しくありません。欧米の一般的な作法からすると、一部の中国人の振る舞いが「うるさい」「マナーが悪い」など目に余り、店の人もほかのお客さんも不快な思いをするから、という理由からです。

じゃあ日本人は歓迎されるのかと思いきや、「こんなに扱いにくい国の人たちはいない」という見方をされているみたいなんです。

これも友人から聞いた話なのですが、日本人は通されたテーブルに黙って座り、出てきた料理を黙って食べるだけ。「おいしかった」も「まずかった」も言わないけど、お店の人からすれば、「料理は全部食べているから、まあ喜んでくれたんだろう」と思うわけです。ただ、その場ではなにも言わないのに、あとから旅行会社やネットのレビュー欄に「席が寒かった」だの「料理の味が薄かった」だのと書き込むのは、決まって日本人なのだそうです。

気に入らないことはその場で伝えれば、善処してもらえるかもしれません。そうしたら、そのあとはいい気分で過ごせるだろうに、気に入らないことを飲み込み、黙って過ごしておいて、あとからクレームを公表する。それも匿名で。

文句でも要望でも、正面切って表明せずに、いったん安全圏に避難してから間接的に攻撃するのは、やっぱり卑怯だと思います。

こんなことを書くと、きっとまた文句をつける人が出てくると思います。「せいじは世界を知っているようなことばかり言う」「日本人なのに日本人のことを悪く言うへんなやつだ」なんて……もちろん匿名でね。そういうとこやぞ! そこが卑怯なんやぞ! っていう話です。

素晴らしいものは「反対意見」から生まれる

聞くところによると、日本のおとぎ話は、ある点ですごく特徴的らしいです。

海外のおとぎ話だと、たとえば『ヘンゼルとグレーテル』は兄妹と魔女の話、『赤ずきん』はおばあさんと孫娘とオオカミの話、『3匹の子ブタ』はブタの三兄弟とオオカミの話、ですよね。

じゃあ日本のおとぎ話はどうかというと、『花咲かじいさん』『こぶとりじいさん』など、「近くに住むいい人と悪い人の話」というパターンが多いそうなんです。

「最後には悪いほうが痛い目を見る」という話の流れは、海外も日本も同じ。だけど、日本のおとぎ話は「同じコミュニティの中にいい人と悪い人がいて、いい人はいい思いをして、悪い人はひどい思いをする」という内容が多いのだそう。

古くから語り継がれているおとぎ話は、その社会のしきたりや価値観を反映しているわけですよね。「同じコミュニティで暮らす、いい人と悪い人とを対比させる」という日本のおとぎ話には、コミュニティでうまくやっていくための戒めや教訓が含まれているということでしょう。

そんな物語のつくりは、日本の古いムラ社会を象徴しているといえます。そして、ムラ社会的な精神性は、実は今も根強く残ってるんじゃないかとも思う。

波風立てず、みんなで仲よく暮らしていくために、「人はこうあるべきだ」という共通概念を植え付ける。その結果、意見の相違を嫌い、意見交換や議論を避けるという傾向が、脈々とつづいている気がします。このことは、ぜひ専門の方に研究してもらいたいですね。

だって、日本はいまだに「出る杭は打たれる社会」でしょう? 自分の意見をはっきり言う人も、あまり好ましく思われないでしょう。

旧態依然としている企業も多くて、旧時代的で意味をなさないルールや手法がいまだに踏襲されているのも、「そもそも、これっておかしくない?」「昔とは違うんだから、変えていくべきだ」っていう声が潰されがちだからなのかもしれません。

古い時代の価値観や慣習の枠の外で考えられる「少数の反対意見」からこそ、新しいものが生まれるし、革新は起きるものですよね。それを認めず、片っ端から潰す社会で素晴らしいものが生まれるはずない。

そんな日本社会を窮屈に思う優秀で革新的な人たちが、海外に活躍の場を求めたとしても、責められません。

自由にものを言えない雰囲気というものが、いかに社会にとってマイナスか……。たとえば、日本のトップ企業とされるトヨタでも、世界企業の時価総額ランキングでは30位前後に甘んじています。そんな今の日本経済の体たらくも、新しい意見を認めない、出る杭は打たれる社会性に、大きな理由のひとつがあるんじゃないでしょうか。

このままでは、日本はどんどん時代に取り残されて、世界に後れをとって、二流、三流国になっていってしまう。生き残るためには、「意見があるなら、はっきり言う」という方向性にシフトしていかなければいけないと思います。

「出る杭は打たれる」けれども、「出すぎた杭は打たれない」ということもある。特に若い人たちには、それこそ無神経なまでにバンバン意見を言って、どんどん古い世代にチャレンジしていってほしい。

なにも完成された意見である必要はなくて、「なんか、おかしくない?」と思ったら、「なんか、おかしくないですか?」って言う。そんなときこそ無神経の出番。まずは疑問を示して、問題提起の端緒を開くことが大事だと思います。

ただね、あま邪鬼じゃくとか、注目を浴びたいがために、ただ突飛なことを言ってみるという態度ではいけません。当たり前ですが、それだと話が広がらない。「どういうこと?」「へえ! もっと教えて」と踏み込んでも、「いや、別に……」「なんとなく言ってみただけで」と終わってしまっては、まったく建設的ではない。

完璧な意見ではなくても、たとえ最後には言い負かされたとしても、自分なりに情報を集め、考えた末の言葉で、「おかしい」と感じる古い考え方やシステムに少しずつ立ち向かっていってほしいと思います。

無神経の達人
千原せいじ
芸人。1970年1月25日生まれ、京都府出身。1989年に弟である千原ジュニアとコンビ「千原兄弟」を結成。テレビ番組等の企画等でこれまでに70ヵ国以上を訪問し、卓越したコミュニケーション力が話題となる。2018年にメンタルケアカウンセラーの資格を取得。2021年、貧困・就学困難への支援や国際協力の推進等を主な事業とする一般社団法人ギブアウェイを設立、代表理事となる。著書に『がさつ力』(小学館)、『プロに訊いたら驚いた! ニッポンどうなん?』(ヨシモトブックス)がある。

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