本記事は、白取 春彦氏の著書『本当に頭がよい人とわるい人の大きな違い: 頭をよくする思考術』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
論理と経験が土台になる
ある一つの情報が信頼できるものかどうか、どう判断すればいいでしょうか。それは、知識の側に立って情報の正誤などを判断するようにすればいいのです。
知識の側に立っての判断とは、論理と経験に照らし合わせて物事を見ることです。
具体的には、その情報が論理的であるかどうか、要するにつじつまが合っているかどうかをチェックします。
そして次は、その情報が経験に沿っているものかどうか、要するに現実にありえるものかどうかをチェックします。これで少なくともその情報の真偽のおおよそがわかろうというものです。
とはいうものの、それらのチェックをしたつもりでもまだサギ的な情報にだまされる人は少なくないでしょう。だから、すぐに痩せたりすぐに元気になることを強調するサプリメントや器具があれほどたくさん通信販売で売れているのです。
なぜそうなのかというと、その人の自意識や思いこみの強さが結果的にその人を動かしているからです。たとえば、自分は運がいいはずだとか、自分こそトクをすべき人間だとか思いこんでいると、簡単にサギに引っかかるわけです。つまり、結果として愚かな選択をすることがあまりにも多いのです。これは頭がよい人の行ないではないといえます。
では、どのようにすれば論理と経験に照らし合わせて物事を冷静に判断できるようになるのか。それはとりたてて難しいことではありません。より多くの本を読めばいいからです。しかも、まともな本をより多く読むことです。
読むだけで論理を吸収できる
本を読む、という行為は個人的で静かな趣味のように見えます。履歴書の趣味欄に読書などと記入する人がいるくらいです。しかし、書物を読むことは趣味ではありません。なぜならば、書物を読むことは自分を刻々と変えていくことだからです。
まず、どういうジャンルの本を読むにしても、その読書を通じて言葉の意味と使い方、それによって論理の運び方を知ることになります。これを意識していなくても、読むだけでそれが自然と達成されます。
ただし、書物という形になっているものを読むのが肝心であり、スポーツ新聞やインターネット情報、書類をいくら読んだところでこのレベルの読書にはなりません。
手にする本は、極端な主張をしている本でもいいし、いわゆる教養書と呼ばれるものでもかまいません。いずれにしても著者は読者を説得して自分の考えを理解してもらおうとして書いているわけですから、その文章はその人の論理で書かれているわけです。読むだけでその著者の論理の運びが理解できます。
このときにどこかで論理がおかしくなっているというふうなことなども発見できるならば、論理の進み方というものが自分で理解できるようになっているわけです。
一方、世界の名著を読むならば、その論理の展開のみごとさや力強さに圧倒されるでしょう。しかし、そのとき同時に読み手である自分の中にその論理展開のいくらかでもが応用できるものとなってもいるのです。
ただ残念ながら、小説のたぐいを読むことでは言葉の多彩さや表現の独自さを知ることはできても、論理の運びを知る読書にはなりません。もちろん、各小説にも論理はあるにはあるのですが、それはその小説世界でのみ通用する独自の論理でしかないからです。また、それだからこそ、小説は芸術の一つとなっているのです。
三段論法は大中小の入れ物を重ねたもの
論理の運びを身につけるためならば、教養書など読まずにいっそ論理学の本を読んだほうが手っ取り早いでしょうか。論理学の本を開いてみればすぐにその答えがわかります。
そこに書かれているのは数学の論理学です。だから、論理学の本は言葉を使った論理の展開方法を学ぶにはあまり役立ちません。数学論理と現実社会で通用する論理はちがうものなのです。わたしたちが日常で用いる論理は、もっぱら他人を説得する、あるいは納得させる目的のために使われるものだからです。
それでもなお、ここで典型的な論理について数学を使わずに簡単に説明しておくべきでしょう。なぜならば、多用されているその論理は三段論法と呼ばれるもので、自分で意識することもないままに日常でよく使われているものでもあるからです。
三段論法は、紀元前4世紀のギリシアの哲学者アリストテレス(前384〜前322)が確立したもので、たとえば次のような運びになる論理です。
① 「すべての人間は死ぬ」
② 「ソクラテスは人間である」
③ 「だから、ソクラテスは死ぬ」
この①を大前提といい、②は小前提、③を結論といいます。
では、次の論理は正しいのでしょうか。
① 「すべての人間は呼吸している」
② 「ソクラテスは呼吸をしている」
③ 「だから、ソクラテスは人間である」
これはまともな論理のように見えます。なぜかというと、③の結論が正しいからです。
けれども、実はこの論理そのものはまちがっています。すべての人間は確かに呼吸をしている。けれども、人間だけが呼吸しているわけではないからです。熊も猫も魚も蠅はえも呼吸をしています。だから、呼吸しているからという理由一つだけで、ソクラテス(前470〜前399)は人間なのだと結論づけることには無理があるのです。
なんらかの事柄についての三段論法が正しいかどうかは、使われている概念をそれぞれ大中小の大きさの三つの茶碗のような入れ物にして重ねてみるとわかります。
つまり、大の入れ物は中の入れ物を内に置き、中の入れ物は小の入れ物を内に置いていなければならないのです。
さきほどの論理で使われた大概念は「呼吸している」です。中概念は「人間である」であり、小概念は「ソクラテス」です。
しかしさきほどの論理では、その中概念と小概念が同じ大きさでいつのまにか大概念の入れ物の中に入って並んでいます。だから、まちがっているわけです。
大中小の概念がそれぞれの大きさのまま重なっていない限り、それは正しい三段論法の論理だとはいえないわけです。
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