本記事は、白取 春彦氏の著書『本当に頭がよい人とわるい人の大きな違い: 頭をよくする思考術』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。

本当に頭がよい人とわるい人の大きな違い: 頭をよくする思考術
(画像=metamorworks/stock.adobe.com)

迷うならば今は選択しない

いかに選択を迫られたとしても、自分が迷っているのならば、相手から提示されたものを選択しないようにするのが賢い態度です。
まず、自分が迷っているということを重く見るべきでしょう。なぜ、迷うのか。自分の決断力が弱いからではありません。提示されているものがどうも納得できない、与えられている情報が充分ではなく、確信が持てない、どこか誘導されている感じがする、どこかに見落としがあるように思う、今すぐに選択するメリットがわからない、その選択の責任を負いたくない、など理由がいろいろとあるからです。
正しい選択の決断をしたいというのなら、その道は大きく分けて二つあります。一つは損得を基準にすること、もう一つは倫理を基準にすることです。
多くの人は自分の損得、もしくは誰かの損得を基準に物事を判断し、なんらかの決断をするようです。しかし、その損得とは何でしょうか。決断一つで損得のどちらかに傾くというのならば、それはギャンブルと同じではないでしょうか。
また、前もって損得の度合いがわかるというのならば、その計算はいったいどういうふうに行なわれるのでしょうか。その計算は今の段階におけるイメージ、もしくは自分勝手な空想そのものでしょう。だとしたら、損得を基準にするということも最初から空想にすぎないことになります。
そういう空想的な損得計算の典型は、数十年におよぶローン契約の決断ではないでしょうか。今後数十年にわたって自分が生きていて、かつ滞納なく支払いができると約束することがどうして可能なのでしょうか。明日どころか、30分後も生きているとか、健康であるとか、保証などされていないのです。

損得計算はどういうものであれ空想的なものです。
しかし、倫理を基準にして選択や決断をするならば、それは現実に即したものになるといえるでしょう。なぜならば、本当の倫理は生き物とその行為に直接的にかかわることだからです。
ただし、この場合の倫理というのは、古代からの数々の宗教書が教えてきた行動規制を濾過ろかしたもののことです。
それは、分け与えなさい、仲よく暮らしなさい、ゆるしなさい、という三つです。
選択や判断に迷ったならば、この三つのうちの一つでも満たすような行動をとったらいいのです。この三つは誰をも侵害せず、どんな時代でもどんな地域においても各人の生に貢献し、自他を同時に助けることになるからです。

それとは別に、一般的に考えられている道徳倫理というものは、そのほとんどがその時代の支配体制を維持するために役立つような規範となっています。人間一人ひとりを思いやったうえでの規制ではないのです。国の法も同じく各個人を守るためでも思いやるものでもありません。
日本の政府が「倫理」や「道徳」や「公共」という名目にして学校で教えてきたものもそれです。いざ戦争となったときに国が国民をどうあつかったかということを調べれば、道徳倫理などよりも国の体制が上に立っているということがわかります。
また、日本の為政者や経済人たちが道徳の手本としてしばしば参考にしてきた中国の孔子(前552頃〜前479)の『論語』も国家体制による支配や自分の身分の安定のためという目的を持つ恣意的な規範にすぎません。その典型は、「李下りかかんむりを正さず」という彼の教えではないでしょうか。
これは、「すもも(プラム)が実っている木の下で自分の身分を表している冠を直したりすると、すももを盗んだという疑いをかけられるから、そうしてはならない」という意味の道徳ですから、官僚や公務員の自己保身のための行動規範でしかありません。
しかし、さきほどの三つの倫理はそういう世俗的な道徳倫理を高く超え、いつどんな場所にあっても通用するため、人間行動の真理とでも呼ぶべきものとなっています。

人生には意味がないという観点から生まれる倫理

古代からの宗教の教えを濾過した三つの倫理の他に、もう一つ、たいへんに重要で現実的な倫理があります。それは、他人を殺してはならない、自分をも殺してはならない、というものです。
なぜ、自他を殺してはならないのか。そもそも人生には意味がないから、です。人生に意味があるからこそ自他を殺してはならない、ということではないのです。人生に意味がないからこそ自他を殺してはならない、のです。
こういうふうに、人生には意味がないと言うと、まるで虚無主義者の悲観的な思想であるかのようです。では、人生には意味があるのでしょうか。だとしたら、人生にはどんな意味があるのでしょうか。
人生に意味があるとしたら、それはどういう意味内容だというのでしょうか。努力して教養を身につけていい学校といい会社に入り、高い給与をもらって家族を豊かに養うことでしょうか。それとも、税金を必要以上にたくさん納めて国家体制を豊かに維持することでしょうか。いざというときは兵士として駆り出されて戦地で死ぬことでしょうか。どんな手を使ってでも出世して金持ちになることでしょうか。
これらのようなこと、いわば具体的な目的を実現させるためになされる追求こそが人生の意味なのだと決めつけるならば、多くの人は首をかしげ、「そうじゃない、それぞれの人にそれぞれの事情に合ったうえでの人生の意味があるのだよ」と思うことでしょう。まさしく、そうなのです。人それぞれにその人なりの人生の意味があるのです。
だから、「一般的な」人生というものがないのと同じく、人生の意味として「一般的な」ものはないのです。よって、人生には意味がないのです。
一般的な人生というものがどこにもないように、人生の一般的な意味といったものもないのです。しかしながら、人はその生き方で自分の人生に意味を日々与えることをしています。自分がなしたことが自分の人生の意味になるからです。
そういうふうにして誰もが、自分の人生に意味を与える力と機会を持っているわけです。
この事実から、重要な倫理が自然と生まれてくることになります。
その倫理とは、それぞれの人がその人の人生に意味を与える機会を絶対に奪ってはならない、というものです。
自他を殺すことは、その力と機会を奪うことにほかなりません。

本当に頭がよい人とわるい人の大きな違い: 頭をよくする思考術
白取 春彦(しらとり・はるひこ)
青森市生まれ。ベルリン自由大学で哲学・宗教・文学を6年にわたって専攻する。帰国後、別名で小説を書いていたが、哲学関係の著作に移る。哲学と宗教に関する解説、論評の明快さに定評がある。主な著書に、ミリオンセラーとなった『超訳 ニーチェの言葉』『頭がよくなる思考術』『生きるための哲学 ニーチェ[超]入門』(以上、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『「愛」するための哲学』(河出書房新社)、『超要約 哲学書100冊から世界が見える!』(三笠書房)など多数。

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