本記事は、白取 春彦氏の著書『本当に頭がよい人とわるい人の大きな違い: 頭をよくする思考術』(ぱる出版)の中から一部を抜粋・編集しています。
書物を読むだけで自分が変わる
何がまともな考え方か、どういう考え方が誰にとっても妥当なものであるか、自分で判断できるようになるためには、また、世間に流布している考え方のどこがおかしいのか明確にわかるようになるためには、やはりふだんからの読書がもっとも速く強い効果をもたらすでしょう。
とはいっても本を読むのですから、相応の時間がかかります。また、理解が難しい場合もあるでしょう。それでもなお、書物を読むことで確実に自分の思考能力が高まっていきます。ただ、その変化がすぐに自分ではっきりわかることはほぼありません。だいぶあとになってから気づくくらいです。
気をつけるべきは、書物を読んでその主旨がわかることだけを主眼とするための読書ではないということです。その程度の読書でしたら、名著の主旨をダイジェストでまとめてある本を読めばいいのです。試験用の勉強レベルなら、それで点数が稼げるでしょう。
書物を読むのがその本から何かを吸収する目的のためだというなら卑しく貧しいタイプの読書です。なぜなら、それこそ操作的知性が働いた読書になるからです。
大量虐殺を行ったナチスのアドルフ・ヒトラー(1889〜1945)も、そういうふうに本を道具として読むべきだと説いた一人です。ヒトラーは『わが闘争』(1925〜1926)にこう書いています。
「読書というものは、それ自身目的ではなく、目的のための手段である」
(平野一郎・高柳茂 訳)
しかし、自分を豊かにする読書の姿勢をとるならば、まず一字一句たどって読んでみることしかありません。これを可能にするためには、前にも説明しましたが、次のような環境と精神状態が必要になります。
一人でいられる安全で静かな環境。心配事や熱情、憎悪を抱えていない状態の自己。その書物に出てくる重要な地名や概念語などをすぐに検索できる機器や参考文献の備え。
読んだらノートにメモなどする必要はありません。どうしてもメモしたいのならば、その本の余白に書き込んでおけばいいのです。そのための余白が頁の周囲にもうけられているのです。いちいちメモを書きつけるよりも、読んだ文章の重要な箇所に傍線を引いておけばもっと簡単です。
今日読んだ分をちゃんと理解できたかなど気にする必要もありません。誤解して読んでいる場合もあるでしょう。それはそれでそのときの自分の読み取りなのです。
そのまま読み進んでから最初に読んでいたときの理解は少しまちがっていたとあらためて気がつくときもあるし、だいぶあとで他の本をいくつか読んでから気がつくときもあるでしょう。
なぜ、あとから気がつくのか。読んでいるうちに自分が変わったからです。読書の意義はまさしく自分のこの変化にあるのです。
経験するレベルの読書
書物の内容を理解し、その理解によって何か知識のいくつかを取り入れたから自分の中に変化が起きたのではなく、おのおのの書物のその論理をたどりながらわかろうとしただけで自分の中身が変わったのです。
これは、生まれて初めて自転車に乗れるようになったときの感覚に似ているかもしれません。あらかじめ自転車の乗り方、バランスの取り方の説明を聞いただけですぐに乗れるようになる人はいません。自転車が走る仕組みやコツといったものを頭で理解しても実際には役立たないのです。
そうではなく、ただ現実の自転車にまたがって走ろうとし始めた人だけが自転車を乗りこなせるようになります。自転車を体得したからです。体得とはそれが自分の身心の一部となることです。だから、乗り方を忘れることがなくなるのです。
自転車の他に、水泳も、ヴァイオリンを弾くことも、工芸作品を創ることも、書物を読むこともほぼ同じで、体得して自分が変わることがその行為を十分に可能にする状態の自己を創り上げるのです。
このレベルでの読書のときの体得とは、テーマについて著者といっしょの認識、観点、アプローチの仕方、分析、気づき、新しいとらえ方をして、ああなるほどそうなるのかと深く納得することです。それはしかし、その書物の著者の言い分に賛同することではありません。著者がそのテーマについてどのように考えたのか、どのように感じていたのか、を自分もまた同じく経験することなのです。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます。
- 読むだけで変わる? 論理が身につく読書術
- なぜ差がつく? 頭のよい人は読書を思考の材料にしている
- 多数派は安全じゃない、本を読まない人が利用されやすい理由
- 著者の思考をなぞる、頭のよい人が実践する体験したような読書術
- モノより人を優先する、賢い人がやっている思考術
- 迷うなら今は選ばない、賢い人の判断の止め方
- 頭のよい人は実践している、賢さと幸福を同時に積み上げる習慣
