買収で本格化する富士フイルムの再生医療事業

(写真=Thinkstock/Getty Images)

本業の市場環境が激変し、業態転換を迫られた企業は枚挙に暇がない。しかし、そこで多角化戦略をとって成功した企業は少ないだろう。これまで成功してきた本業を捨て、多角化を進めることには、やはり様々な困難が生じるからである。

そのような中で、この12年間の富士フイルムの多角化による再生劇には目覚ましいものがあった。20世紀に富士フイルムがその背中を追いかけていたフィルム界の巨人コダックが2012年に経営破綻に至ったこととは対照的だ。

コダックと対照的な戦略により成功した富士フイルムのこれまでと、新たに手がける再生医療に迫りたい。


富士フイルムとコダック 両者の明暗を分けたもの

2012年1月、コダックが破綻したニュースは、ビジネスマンの誰をも驚かせた。コダックは、写真フィルム産業におけるリーディングカンパニーだったからだ。

かつて、写真フィルムは世界で4社しか製造できなかった。コダック、アグフア・ゲハルト、富士フイルム、コニカである。長く、写真フィルム産業はこの4社の寡占状態であり、高い利益率を誇っていた。

写真における技術革新は、1980年頃から始まった。写真の様々な分野に、デジタル技術の波が押し寄せていたのだ。デジタル化の時代が来ることは、コダックにとっても、富士フイルムにとっても、そして他の2社にとっても、明確な変化の兆候であったという。

そのような外部環境の技術革新による大きな変化の中で、コダックがとった戦略と富士フイルムの戦略は、その後の両者の明暗を大きく分けることとなった。コダックは、株主の意見を尊重し多角化を行いながらも、あくまで本業を重んじた。

その一方で、富士フイルムはデジタル化の脅威を強く認識し、多角化によって自社の技術を他の業界へ展開する多角化戦略をとったのだ。2000年にデジタル化が顕著となり、その後の12年間、コダックは破綻への道を辿り、富士フイルムは第二の創業とも言える華麗な業態転換を行うのである。


富士フイルムの多角化戦略

2000年頃、いよいよデジタルカメラが普及し、富士フイルムのカラーフィルムの売上は激減していた。当時の古森重隆社長は、自社の培ってきた技術を用いた業態転換の先として、ヘルスケア事業を選択した。その責任者として、戸田雄三氏(現取締役)をオランダから呼び戻し、この事業を託したのである。

富士フイルムは、ヘルスケア分野において、長らく画像診断の分野に進出していた。しかし、戸田氏はそれだけでなく、自社の技術を活かした新しいヘルスケア分野への進出が必要と考えた。治療の領域に進出するには、製薬会社と協業することが不可欠であるが、自社で開発が進められるものがあった。それが「高度先進予防」という、当時にはない領域だったのだ。

戸田氏は画像診断だけではなく、その先にある治療、さらには事前に病気を防ぐ予防領域を、新規事業の対象に捉えた。サプリメント、機能性化粧品を開発することで、生活習慣病や老化を予防する…そんな予防、診断、治療を行うトータルヘルスケア企業を目指した。

社内の冷ややかな目と戦い続けた戸田氏は、2007年に発売された化粧品「アスタリフト」で大きな成功を収める。「アスタリフト」は主成分が人肌と同じコラーゲンとなる、写真フィルムの研究開発を通して培ってきた技術を生かして開発されたスキンケア商品である。エイジングケアの領域で、トップ5に入る商品に育ったのである。