ところが事務所で働く白領(ホワイトカラー)階級の中国人に聞くと、完全にクレジットカードと認識されている。しかも皆、2枚~5枚程度所有している。銀行に年収、持ち家の有無、自家用車の有無、保証人などの審査を受け、使用限度額が設定される。その限度額は5000元、1万元、2万5000元、5万元、7万元、とさまざまであった。日本円で10万円程度のものから130万円を超えるものもあるということになる(1人民元=18.8円で計算)。

支払い方法は一括払いから1年分割払いまであり、20~50日間は無利息という条件もある。それ以上になると、利息と手数料を徴収される。1万元以上のカードを複数枚所持していれば、日本での爆買いくらい何の心配もないだろう。

誕生当初は「デビット機能付きキャッシュカード」

銀聯カードが生まれたのは2002年のことである。当時、上海駐在の日本人が北京や広東省など中国国内で転勤となった場合、いったん口座を解約し、現金を抱えて新しい任地へ赴き、口座を作り直さなければならなかった。ATMは普及していたが、上海のATMでは上海の口座しか使用できなかったのである。同一銀行間ですらこのありさまで、中国の銀行システムは不便なことこの上なかった。こうした状況は事業者なら一層深刻な問題だったはずである。

こうした時代の中、地域と他行をまたぐ(繋ぐ)銀行間システム作りを目的に、銀聯カードはデビット機能付きキャッシュカードとして国民の前に現れた。銀聯カードの沿革を見ると第一段階として大都市内部の他行同士を繋ぎ、第二段階で300の大中都市間をまたぎ、第三段階で都市と農村を繋いだ、とある。

これは中国の商取引を劇的に変化させた。短期間で近代的決済システムが全土で確立したのだ。中小事業主は現金を持ち歩くリスクから解放された。それまでは外部者による盗難もさることながら、従業員による現金の使い込み、持ち逃げなどのリスクは生半可なものではなかった。これは個人も同様で、カードの登場により高額な買い物は大幅に増えていった。すべての経済単位にとって有益だったため、 銀聯カードシステムは 一気に普及した。