名前が消滅した国内生保の行方

名前が消滅した、とはあいまいな表現だが、2000年前後に一般的には破綻した会社のことを書きたいのだが、ことがことだけに、神経質になる関係者も多くいることであろうし、破綻だの吸収合併だの名称変更後どうした、だの区別するのがここでの主目的ではないので、お許しいただくこととしたい。

1985年には存在したが、現在では名前の見られない会社は、協栄、千代田、東邦がジブラルタへ、日産がプルデンシャルへ、大正、大和がプルデンシャルジブラルタファイナンシャルへそれぞれ吸収されていることになっている。

これらはすべてプルデンシャルホールディング傘下の会社であるから、6社が同じグループに収められたことになっている。その他、第百はマニュライフへ、平和はマスミューチャルに「なっている」。東京はT&Dフィナンシャルとして、T&Dグループ内で再生している。日本団体生命は、アクサになっている。


損保系子会社の再編

損保の子会社としての生保は、1996年に一気に11社増加した。主として「損保名+ひらがな」の名称が特徴的な名前だった。

その後、親である損害保険会社のほうが、合併などでほぼ3つのグループ(東京海上ホールディング、損保ジャパン日本興亜、MS&ADホールディング)に集約されてきたことで、子会社たる生保のほうも再編が進み、ほぼ落ち着いたようにみえる。

ちなみに、逆に生命保険会社のほうも、損害保険子会社を作って損保業界に参入したわけだが、その名残はほとんど残っていない。


相互会社と株式会社

全体の増減とは関係ないが、相互会社と株式会社の割合についてみる。1985年度の28社のうち、内国生保は23社(支店形態で営業を行なう外国社が5社)で、そのうち株式会社は7社と、少数派であり、相互会社が16社と多数派であった。

その後、外資系・損保系の参入はすべて株式会社であり、また、一部相互会社から株式会社への転換があって、現在では、43社中、相互会社が5社のみと、逆に少数派となっている。


グループへの再編

ここ数年では、生命保険会社といっても、医療保険あるいは銀行窓販、あるいはネット販売といった分野を、別の生命保険子会社を作って専門に取り扱う動きがでてきた。

すると、従来のように単一の保険会社の業績だけでは、経営実態を表せない。さらには日本国内の限られた市場をとびだして、国外からの利益をあげるため、海外保険会社を買収するなどして、グループ全体での収益力向上またはリスク管理を行なうことになってきている。

すると当然、単体業績だけではなく、連結決算やホールディング決算もみておく必要がでてきたし、もはや日本国内の動きだけでは、事業の出来の評価が難しくなってくるかもしれない。今後、何回かに分けて、約30年の業績、収支関係の動きを追ってみたい。

安井義浩
ニッセイ基礎研究所 保険研究部

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