中国の家庭教育に存在する最大の危険は、家庭教育の学校化、モデル化、形式化のようだ。
中国の地方紙で、こんな論説が出た。家庭教育は学校の「第二課業」となり、父母はアシスタントになってしまった。これは家庭教育の価値を遮へいすることにほかならない。今の家庭教育は曲解されている。我々には、家庭教育の危険を排除し、新しい家庭教育観が必要だ--というものだ。
すさまじい教育熱ばかり伝えられる中国家庭教育だが、現実はどうなっているのだろうか。
新しい家庭教育観 3つのポイント
論説にある「新家庭教育観」とは次の3つである。
1 児童にどのような事情があろうと、まず児童の意見をよく聞くこと。
それはもちろん児童の成熟度による。合理的な意見かどうか考慮する。国連の「児童に関する条約」の重要原則である、児童の生存権、発展権、保護を受ける権利、参与権を尊重する。さらに「未成年人保護法」の原則を尊重する。
ただし、この児童保護関係の法律を学習した父母は10%にも満たない。全国婦女聯合会が2015年に発布した「第二次全国家庭教育状況調査報告」はそう指摘している。現実生活の中で、これらを尊重しない児童虐待は日常化している。
我々が家庭教育を見直さなければならないのは正にこの点である。ただちに児童の基本権利を尊重し、これを家庭教育の重要な礎石とすべきである。
2 能力の高い児童を学習に向かわせること
5歳の女児が母親に問うた。「女って総統(大統領)なの?」母親はうれしくなり、この国の大統領は女性、あの国の首相は女性と列挙していった。女児は「それなら私は大きくなったら国家主席になる」と宣言した。母親は「いいわ。それなら私は皇太后だわね」母親にとってはたわいのない冗談に過ぎない。
しかし女児は大まじめだった。「わたしは国家主席、でもママは大衆のままよ」
ある母親は、かつて文革期には紅衛兵だった。ある年、6人のグループで山村へ赴いた。その途中飢えて疲れ切っていたところ、岩だらけ険しい路が行く手を阻んだ。突破すれば足は血だらけになってしまう。しかし「困難はどこにでもある、しかし我々の前に困難はない」という信念のもと、前進する決心をした。
母親は子供にこの話をした。もう少し積極的な子になってほしいという願いを込めて。だから子供の反応にはひどく驚いた。「ママ、あなたたちは誰も別の道を探すことは考えなかったの?」
昨今は選択の時代となった。さまざまな新しい選択は生存に直接かかわってくる。こうした時代に成長した彼らの能力と眼力は、往々にして成人より高い。したがって、上のようなシュールな会話を交わしていてはいけない。家庭教育観の更新こそ必要なのだ。児童を学習に向かわせ、児童と一緒に成長しなければならない。
3 消極的家庭教育から積極的家庭教育への転換
積極的家庭教育とは何だろうか。
たとえば子供の数学テストの成績が良くなかったとする。これには2種類の対応が可能だ。1つはあからさまに「馬鹿者!」と叱責することである。2つめはより柔軟にに「パパもママも数学はできなかった。それを受け継いだお前は確かにうちの子だよ」などと、やんわり対応することだ。
後者のように積極的解釈をすることで、児童を自信と楽観に導く。叱責するだけでは児童の挫折や失敗は、改変不可能な事実として固定されてしまう。中国人両親にもっとも欠けているのは、この点だろう。
筆者は、中国の家庭教育を高く評価していた。それは一族でよってたかって児童を質問攻めにして、自己主張や交渉をしっかりできるように鍛える、いわば中国人としての基本を叩きこむ姿をこの目で見ていたからである。
しかし児童たちは、もはや親の経験値だけでは扱うことはできなくなった。中国でもこれまでの伝統教育ノウハウだけでは通用しない時代となったのだ。(高野悠介、中国貿易コンサルタント)
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