3月21日、最高裁は、遺族年金での支給要件が男女によって異なる点について「法の下の平等」には反しないとの判断を示した。遺族年金とはどのようなものなのか、また、今回争われた論点と裁判所の判断について解説していこう。
「遺族年金とは?」から解説
遺族年金とは、家族の1人が亡くなった場合に、その遺族に対して支払われる年金である。
国民年金の場合には「遺族基礎年金 」、厚生年金の場合には「遺族厚生年金 」、共済年金の場合には「遺族共済年金 」が支給される。この他、労働者が業務上で死亡した場合には、労災保険から「遺族補償年金 」が支給される。
今回争われることになった遺族年金は、これと同種の地方公務員災害補償法に基づく「遺族補償年金」だ。遺族補償年金は、労働者が死亡当時その人の収入で生計を維持されていた「配偶者、子、父母、孫、祖父母、および兄弟姉妹 」に支給される。
争われたのは、妻死亡時の「夫の年齢制限」
原告の妻は、中学教諭だったが、公務により精神障害を発症し自殺した。その後、公務災害と認定され、原告は地方公務員災害補償基金に対し遺族補償年金等の支給を申請したところ、妻の死亡時、夫の年齢が51歳だったため、受給要件の55歳に達していないとして不支給の決定を受けた。
これに対し、原告は、妻が遺族の場合には年齢の制限がないのに、夫が遺族の場合には「55歳以上」でなければならないとするのは不合理な差別にあたり、法の下の平等を定めた憲法14条に反するとして、不支給の取り消しを求めて訴えを提起した。
最高裁の判断は「憲法14条1項には反しない」
第1審(大阪地判平成25年11月25日)は、「共働き世帯」が一般的な家庭モデルとなっている最近では配偶者の性別によって受給できるかどうかを分けるような差別的扱いは合理的ではなく、憲法14条1項に反し違憲・無効であるとして不支給の決定を取り消した。
第2審(大阪高判平成27年6月19日)は、女性の非正規雇用の割合が男性の3倍近くであること、賃金額が男性の6割以下となっており、依然として女性を取り巻く社会環境については厳しい状況にあり、妻を亡くした夫よりも、夫を亡くした妻の方が、独力で生計を維持できなくなる可能性が高いとし、夫に年齢要件を設けることは合理的であるから、本規定は不合理な差別にはあたらず憲法14条1項には反しないとした。
最終審(最高裁第三小法廷平成29年3月21日)は、遺族補償年金制度は、憲法25条の趣旨を実現するために設けられた社会保障の性格を有する制度であり、男女間における労働力人口の割合の違い、平均的な賃金額の格差及び一般的な雇用形態の違い等から、夫についてのみ一定の年齢に達していることを受給の要件としても憲法14条1項には反しないとした。
年齢制限規定は民間企業にもあるので他人ごとではない?
今回の事件では、遺族補償年金の支給要件として男性のみに年齢制限を課すことは法の下の平等に反するのではないかがが争われたが、このような年齢制限規定は、民間企業や国家公務員の労災保険の遺族補償年金にもあるので決して他人ごとではない。
これまで男女の年齢差について争われた事件としては「日産自動車事件」がある。これは、女性の定年を男性よりも5歳若く定めた規定が違法であるかが争われた事件だ。これに対し最高裁は、男女別定年制は民法90条の公序良俗に反するので無効であると判断している。
日産自動車事件では最高裁も男女で取扱いを異にすることは平等に反すると判断しているのに、今回はなぜ不平等ではないとしたのか。一見すると、同じような事件なのに結論が違うのはおかしいとも思える。
しかし、日産自動車事件は純粋に性差による差別であるのに対し、今回の事件は社会保障制度という特殊性がある点で異なる。社会保障についてどのような立法措置を講じるかは、立法府の広い裁量にゆだねられているからだ。つまり、遺族に対して年金を支払うかどうかは国の義務とまでは言えず、財源のある範囲で立法府がある程度自由に決めることが許される。
したがって、男性のみ不利に扱われているとしても、それが著しく合理性を欠き明らかに裁量の逸脱・濫用といえる場合を除き、裁判所が審査判断するのに適しない事柄なのだ。そのため、日産自動車事件とは異なり本事件では裁判所の判断が消極的になっている。
ただ、著しく合理性を欠くか否かの判断は現在の社会情勢に照らすと疑問がある。というのも、1997年以降は、専業主婦世帯よりも共働き世帯の方が多くなっており、2015年時点では共働き世帯が1114万世帯に対して専業主婦世帯は687世帯にすぎない。
女性は「独力で生計を維持できない」と判決で述べられているが、共働き世帯において妻の収入がなければ生活ができない家庭もたくさんある。この数字からすると、収入による差異を設けることはともかく、男女の違いだけで要件に差異を設けることは合理的とは言えないのではないだろうか。(ZUU online 編集部)