カローラが生まれて50年。3月から日本全国を巡る参加型イベント、「笑顔の花冠プロジェクト」が行われている。カローラが産声を上げた愛知県の高岡工場をスタートし、全国4つのルートに分かれて各都道府県のトヨタ力ローラ店を巡り、『花冠(カローラ)』をつなぎながら日本を1周し、最後は宮城大衡工場を目指すというものだ。各ディーラーでは、オーナーミーティングや、花にちなんだ店舗イベントを実施予定だ。

「カローラ」とは、ラテン語で花の冠の意味で、1966年に誕生した。誕生当時は「人目をひく、美しいスタイルのハイ・コンパクトカー」がイメージされたという。

登録台数でも長い間首位を取り、一時は日本の国民車というべき存在でもあったカローラは、日本のモータリゼーションに与えた影響も多大なものだった。

一時は生産台数の6割を占めたカローラには日本初・トヨタ初の技術や設備が

トヨタ,カローラ
(左から)初代、4代目、10代目カローラ(画像=トヨタWebサイトより)

カローラは1966年に初代が登場して以来、2013年11代目が登場して現在に至っている。

初代当時トヨタ自動車では、「将来、マイカーを移動手段として使うようになり、日本に爆発的なモータリゼーションの隆盛が起きる 」という予測をし、愛知県豊田市の高岡にカローラの専用工場を建設している。トヨタ自動車の月間生産台数が約5万台だった当時、カローラは月間3万台を生産すると記者会見で発表したほどカローラにかけていたのだった。

初代カローラには、日本初やトヨタ初という技術や専用設備が多く搭載されている。当時は、コラムシフトのトランスミッションが普通の時代だったが、他社に先駆けてフロアチェンジの4段シフトを採用するなど、先端を行く存在だった。

初代の開発は80点主義プラスαの思想で取り組んだ。プラスアルファとは、4段フロアシフト、丸型メーター、1.1リッターという、+100ccの排気量などのスポーティー性の部分だ。キャッチコピーを「プラス100ccの余裕」とし、爆発的なヒットとなったカローラは、まさに日本のモータリゼーションを牽引する役割を担った。

1974年には3代目がデビュー。二代目に比べて全幅が拡大され、ファミリーカーとしての地位を確固たるものにした。3代目から海外への輸出も本格化し、歴代カローラ市場で最大の生産台数を記録したモデルでもある。だが、この時代は厳しい排ガス規制との戦いでもあり、電子燃料噴射装置を取り付けるなどで、クリアしていった。

1979年にはFRレイアウトが最後となる4代目が出たが、カローラとしては初採用の4灯式ヘッドランプは画期的だった。後期には国内で小型車初の1.8Lモデルが追加されたほか、ワゴンや2ボックスのカローラ㈼など、バリエーションも増やし、消費者の選択肢を拡大していった。

後世まで愛されるスポーツカーも登場