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こんにちは、経済学修士号を取得後、株価推定の事業・研究を行っている「たけやん」です。宜しくお願いします。

黒田日銀総裁下での金融政策でインフレターゲット政策が導入され、その効果が期待されていますが、そもそもインフレターゲットとはどのようなものでしょうか。 本稿では、インフレターゲットという用語について簡単に説明した上で、デフレ傾向にある日本におけるインフレターゲット導入を前提としたポール・クルーグマンのモデルについて解説します。その上で、現時点での金融政策の実効性の評価を試みます。


インフレターゲットとは

インフレターゲット(インフレ目標)とは、政府や中央銀行がインフレ率に一定の目標を定める事を言います。その目標の定め方は様々で、「消費者物価指数を前年比で◯%にする」と具体的な数値を定める国もあれば、「◯~△%の間を目標」にする国もありますし、過去のインフレ目標政策の誤差を修正した基準を設ける国などがあります。政策の成果による責任の取り方(辞任の有無等)も含めて、その目標の定め方には幅があるという事です。

それでも多くの国のインフレターゲットは「高いインフレを回避して、マイルドなインフレにする」事で共通しており、その点で「デフレ状況を克服してインフレ率を2%にする」という日銀の目標は特徴的です。


クルーグマンのモデル

「デフレからインフレ」という意味でのインフレターゲットの理論的支柱になっているのが、経済学者・ NYタイムズのコラムニスト のポール・クルーグマンら(1998)の“It’s Baaack! Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap”論文です。これを参考に、インフレターゲットの理論を簡単に説明しましょう。

クルーグマンらが想定する経済は、開放経済(open economy)で、かつ、流動性の罠(liquidity trap)に陥っている状態です。今の日本がまさにそう(日本が分析対象となっているので当然です。)です。 開放経済は、自由貿易や自由な資本取引がかなりの範囲で認められているという意味です。

不況下では、名目金利(利子率)を下げる事で投資・消費を活発させようとする金融政策が取られるのですが、名目金利が一定水準以下になると、中央銀行がマネタリーベースをどれだけ増加させても資産需要として吸収されて金融政策が無効になるという流動性の罠が起こります。

流動性の罠を図で確認してみましょう。下図1は、縦軸を利子率(Interest rate)、横軸を産出量・GDP(Output)を置き、マネタリーベース(M)と消費需要曲線(C)の関係を見たものです。中央銀行は利子率を下げてマネタリーベースを増やす事が出来るわけですが、図の1の地点なら産出量の拡大に効果があるわけですが、2の利子率0%より下げられないので、それ以上産出量を上げる効果はありません。

図1:流動性の罠の模式図

図1:流動性の罠の模式図

出典:Krugman et al.(1998), p.149, Figure 2.

日本は嘗て「ゼロ金利政策」を取っていたほど低い名目金利(利子率)の状況にあり、金融政策が無効化していると考えられます。


名目金利が無いなら予想インフレ率を上げれば良いじゃない

日本はデフレ下にあるので、名目金利は0%でもインフレ率を考慮した実質金利は高い状態です。名目金利を下げる事が出来ないから実質金利を下げようというのがインフレターゲットの肝です。 名目金利と実質金利の間には以下の関係があります。

実質金利 = 名目金利 - 予想インフレ率

日本の名目金利は0%に近いですが、予想インフレ率がマイナスで推移していた為、0からマイナスの予想インフレ率を引いて実質金利がプラスになるという関係です。 クルーグマンの議論は極めてシンプルで、本節のタイトルの通り、 「名目金利がこれ以上下げられないのだから、予想インフレ率を上げれば実質金利が下がって金融政策が有効化する」という考え方です。


予想インフレ率が上がるまで金融緩和をし続ける

「未来永劫日本は流動性の罠の状態にある」と仮定するのは無理があるので、「流動性の罠から脱却した将来時点において大規模な金融緩和を行う」と市場に公言する事で、予想インフレ率を高めようというのが、インフレターゲットの政策論です。

日銀がマネタリーベースを拡大し続けて市場にアピールしているのは、予想インフレ率を引き上げるのが目的であり、現時点の金融政策方針は、予想インフレ率が上がるまで金融緩和をし続けるというものです。


現時点での金融政策の実効性評価

このやり方には賛否両論があり、今後の動向がどうなるかは分かりませんが、現時点での効果を簡単に評価してみましょう。

日銀が目標としている消費者物価指数はコアCPIです。図2は、日本の消費者物価指数の動向を示しており、図の上から「総合CPI」、「コアCPI(生鮮食品を除くCPI)」、「コアコアCPI(食料及びエネルギーを除くCPI)」となっています。2013年9月のコアCPIは前年同月比0.7%で、これだけ見れば順調に見えます。

図2:最近の日本の消費者物価指数の動向

図2:最近の日本の消費者物価指数の動向

出典: 平成22年基準 消費者物価指数 全国 平成25年(2013年)9月分(総務省統計局)

しかし、注意せねばならないのは、日本のコアCPIは輸入資源の価格上昇の影響を大きく受けるという事です。実際、コアCPIからエネルギー価格を除いたコアコアCPIを見れば全くインフレ率が上昇しておらず、コアCPIの上昇は「輸入資源価格の上昇がインフレの主因」であるという事です。

そもそも、多くの国がインフレターゲットで使うコアCPIの定義は「食品とエネルギーを除くCPI」であり、これは日本で言うコアコアCPIです。他国が日本のコアコアCPIをインフレ目標にしているのは、天候や他国の政情によって影響を受けやすい食品や資源価格を除いた純粋なインフレの動向を見るためです。

しかし、日本は他国とは違ったコアCPIを用いて「インフレターゲットは順調だ」と言っているわけです。現在のインフレ動向の主因が「エネルギー価格の上昇」である事を考えれば、その成果はインフレターゲット政策の成果ではなく、「原発停止」や「中東情勢の不安定」と考えるのが妥当ではないでしょうか。

また、予想インフレ率の代替指標とされるブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)の推移を見ても、2013年5月頃までは上昇していますが、そこから急落しています。2010年からのトレンドを見れば、綺麗に上昇トレンドラインが分かり、インフレターゲット政策による効果かどうかは疑わしいところです。

参考: ブレーク・イーブン・インフレ率(日本相互証券株式会社)

参考文献(PDFファイル注意)

P. R. Krugman, K. M. Dominquez, K. Rogoff, “It’s Baaack! Japan’s Slump and the Return of the Liquidity Trap” , Brookings Papers on Economic Activity, Vol. 1998, No.2, pp. 137-205, 1998.

〔邦訳版〕山形浩生訳(2001) 「復活だぁっ! 日本の不況と流動性トラップの逆襲」

photo credit: Jeff Pang via photopin cc