本多静六という名前を聞いたことがあるだろうか? 日比谷公園や明治神宮など明治以降の日本の数多くの大規模公園の設計や改良に携わり「公園の父」と呼ばれた人物だ。

本多静六をさらに有名にしているのは、倹約と投資で40代にして今の価値で100億円相当の巨額資産を築いたからだ。いわゆる「相場師」として資産を増やしたのとは違い、誰でも実戦が可能な倹約と分散投資で資産を築いた。その著書は今でも多くの投資家に読まれている。

「4分の1天引き貯金法」

本多静六
(写真=PIXTA)

本多静六は1952年に亡くなり、すでに没後65年も経っている。しかしその著作のマネー本は何度も再販されるほど読み続けられている。特に人気があるのが1950年初版の「私の財産告白」だ。機会があれば是非一読をすすめる。

資産形成には興味があるのだけれど、先立つものがないとあきらめている人が多くないだろうか? 本多静六は、決してお金持ちではなく田舎の貧乏農家出身だが、若い頃に貧乏を克服するために「4分の1天引き貯金」で徹底した倹約をすることから資産形成始めた。

「貧乏を征服するには、まず貧乏をこちらから進んでやっつけなければならぬと考えた。貧乏に強いられてやむを得ず生活をつめるのではなく、自発的、積極的に勤倹貯蓄をつとめて、逆に貧乏を圧倒するのでなければならぬと考えた。(私の財産告白より)」

貧乏は敵だ、貧乏を恨むのでなく、貧乏をやっつけると言う発想で、あらゆる定期収入の4分の1を強制的に天引きし貯金しはじめた。さらにはボーナスなどの特別収入は全部貯金にまわした。式で表すと以下のようになる。

「貯金=定期収入×1/4+特別収入×10/10」

これはやろうと思えば誰にでも可能だろう。毎月の給与の4分の1を、来年から新しく始まる積立NISAなど長期で複利運用の商品で強制的に天引きし、ボーナスに手をつけなければいいのだ。

本多静六も家族をかかえており、「4分の1天引き貯金」は当初苦しかったようだが、甘い感情を廃し、虚栄心を廃し、お金がない時はごま塩だけでご飯を食べ、強制貯金を続けた。数年後には、強制貯金が複利で増え、その配当が生活を助け始めた。今でも十分に参考になる投資の始め方だろう。

分散投資による長期投資

ある程度の投資資金が出来たところで、本多静六は本格的に株と不動産投資を始めた。株式投資は、恩師の勧めで当時国策だった鉄道事業の日本鉄道を買ったのが初めてだ。特別に凄い銘柄を発掘したわけではない。現在の価値にして60万円相当で買った日本鉄道が2.5倍になった。

「私が最初に選んだのは日本鉄道株であるが、その後私鉄には漸次大きな将来性が認められなくなったので、瓦斯、電気、製紙、麦酒、紡績、セメント、鉱業、銀行など三十種以上の業種にわたり、それぞれ優良株を選んで危険の分散に心掛けた。これもみなある程度の成功を収め、のちには私の株式総額財産は数百万円にも達するに至った。(私の財産告白より)」

決して本多静六が、投資の才能があったという訳ではなさそうだ。優良銘柄を長期で分散投資しただけだ。好景気の時は倹約して貯蓄に徹し、不景気で株が下げているときに積極的に投資した。米国の投資の神様ウォーレン・バフェットにも通じる投資手法と言えるだろう。

さらに、株式の利益で自分の専門でもある秩父の山林を買った。それが約70倍になった。今は同じようなことは難しいかもしれないが、分散投資と長期投資による複利の効果は確実にあるはずだ。

取引ルール「2割利食い、10割益半分手放し」

株式投資をやったことがあるのなら、買い時もさることながら利益確定のタイミングが難しいことはよくわかるだろう。本多静六は、利益を最大化するために自分のトレーディングルールを確立した。それが、「2割利食い、10割益半分手放し」だ。

先物(信用取引)で期限前に2割上げれば確実に利益確定を入れ、それ以上は欲を出さずに増えた分を含めて定期預金に預け直した。長期保有を決めて現物保有する銘柄に関しては、倍になったら半分を売り、元本を確保してコストをゼロにしてから上値を狙った。

元本を減らさないための自分のルールを作ることは資産形成のためには今でも大切な行程だろう。そして決めたことは破らず絶対に実行することの大切さを語っている。こうして本多静六は、株式投資だけで数百万円(現在価値で100億円相当)の資産を形成した。

さらに格好いいのは、本多静六は60歳の定年退官時に、「人並外れた大財産や名誉は幸福そのものではない。(私の財産告白より)」と資産の大部分を、匿名で教育、公共の関係機関などに寄付したそうだ。今からでも遅くない。本多静六の投資法や生き方を実戦してみてはどうだろう。(ZUU online 編集部)