今から120年以上前に制定された民法は、戦後に家族法の分野(相続、家族法)が改正された以外、今まで大きな改正はなかった。その結果、実生活にそぐわない条文も存在している。
ところで、大学で法学部だった人の中には、民法の「危険負担」の考え方がよく理解できなかった人も多かったと思う。これは一般的な考え方とかけ離れていると感じるためである。
今回の民法改正では、この危険負担の規定が大きく変わることになった。今までの危険負担の考え方とは何か、それがどのように変わり、特に不動産売買にどのような影響を与えるのだろうか。
危険負担の前提となる契約の基礎知識 契約はいつ成立するのか?
法律を勉強すると、「どうして法律ではそのような考え方になっているのだろうか」と疑問に思うことが少なくない。民法の「危険負担」もその一つである。
その危険負担を説明する前に、契約の基本を確認しておこう。
自動車販売店から車を買う場合を例にとって考えてみよう。車を買いたいと思う人が自動車販売店を訪れ、担当者から色々な説明を受け、ある車の購入を決める。価格や条件等も決まり、契約書に署名・捺印をする。これで、契約が成立する。
やや横道にそれるが、契約が成立するのは、お金を払ったときでも、売主が買主に商品を引き渡した時でもない。
売主が「〇円で売りましょう」と提示し、買主がそれに承諾したときである。
例えば、コンビニでパンを買いたいと思う人が、買いたいと思ったパン(価格、品質等に納得したパン)をレジに置いた時点で、売買契約は成立する。コンビニはあらかじめパンを〇円で販売するために棚に置いているのであり、そのパンを手に取ってレジに持って行った人は、このパンを〇円で買いたいとコンビニ側に伝えたことになる。その時点で両者の売りたい、買いたいという意思が合致するからである。
先程の自動車販売店の例から考えて、契約書に署名・捺印した時点で契約が成立するのでは、と思う人がいるかもしれない。しかしこれは間違いで、契約書の作成はあくまでも後で紛糾しないための証拠づくりという側面がある。
あくまでも、売主と買主の意思が合致した時点が契約の成立であって、契約書の存在は不可欠ではない。コンビニの買い物でいちいち契約書を作らないことでもそれが分かる。
契約が成立したら、両当事者には義務が生じてくる。自動車販売店には買主に車を引き渡す義務、買主には代金を支払う義務である。
逆に言えば、自動車販売店には買主に代金を請求できる権利が、買主には自動車販売店に契約した車の引き渡しを要求できる権利がある。このような、相手に要求できる権利を「債権」と言い、その債権に対する義務を「債務」と言う。
危険負担とは何か
危険負担とは端的に言うと、お互いに債権・債務がある契約で、債務者に責任がないのに、一方の債務が消滅したような場合、もう一方の債務も消滅することになるのか、そのような危険を債務者、債権者のどちらが負担するかと言うことである。
例えば、車の売買契約が成立した後、購入予定の車が何者かに盗まれたとする。契約が成立しているから、買主には代金支払いの債務が、自動車販売店には車を引き渡す債務がある。
しかし、販売する予定の車は存在しない。しかも、自動車販売店の責任ではない。ここで、民法の危険負担の考え方が出てくる。販売する車は、○○会社の○○という車である。つまり特定物ではなく、あくまで一つの種類の車である。このような場合は、車を引き渡す債務のある人が、同じ種類の別の車を引き渡さなければならないとしている。
このように他に代わりの物を準備できる場合には、民法では債務者、つまりここでは自動車販売店が危険を負担するものと規定している。
ところが、この例を不動産に置き換えたらどうだろうか。例えば、東京都世田谷区○○1丁目1番地1号に建っている家の売買契約が成立したとする。買主が代金を支払う前、売主が買主に引き渡す前に、放火によって家が全焼してしまった。
先ほどの車の例で言えば、代わりの家を準備することになるが、ただ買主はあくまでも世田谷区○○の家を買いたいのである。代わりに練馬区○○の家を提供されても、本来の契約の目的を達することができない。
ただし契約そのものは実行されず、買主が売主へ代金を支払う債務は残ったままである。このような場合、民法では買主はそのまま契約を履行しなければならないとされている。
このように、売買契約の目的物が不動産等の特定の物である場合には、民法では債権者、つまりここでは、家の買主が危険を負担する旨が規定されているのである。
今までの問題点と変更点は?
筆者は、法学部生時代の友人や同僚の行政書士などと、この危険負担について話をすることがある。その時話題になるのは、この考え方は果たして一般社会で受け入れられるだろうかということである
この考え方が現実社会と最も乖離している点は、特定物売買の債権者負担という点である。先程も説明したように、不動産等の特定物を売買する場合で、既に契約が成立していれば、債務者に責任がない理由で特定物が引き渡せないときでも、一方の債務は消えず、結果的に代金を支払わなければならないということになっている。
契約の成立とその実現とは別だという考え方に基づくものであるが、もし自分がこのような契約の当事者(買主)であったら、決して納得はできないだろう。不動産が入手できなくても、あくまでも契約は成立しているのだから、お金だけは支払うことになるのだから。
もちろん、不動産の引き渡しができない理由を作った第三者、例えば家を放火した犯人に対して、損害賠償を請求するという方法があるため、このような考え方になっている側面もある。しかし、犯人がわからなければ、お金は払って、家は手に入らないという悲惨な結果になってしまう。
このような不条理な事態を解消するために、今回民法では危険負担について、次の2点が改正された。
一つ目は、債務者の責任がなく債務の実行ができなくても、債権者は契約を解除できるとするものである。
例えば、家の売買契約が成立した後で、家の引渡し前、代金の支払い前に、第三者の放火によって家の引き渡しができなかった場合には、家の買主から契約を解除できるというものである。
契約が解除されると、契約の当事者は契約前の状態に戻す義務がある(これを原状回復義務と言う)。従って、契約時に頭金が支払われていれば、直ちに買主に返還しなければならない。
二つ目の改正点は、契約当事者の責任以外で債務を実行できない場合は、債権者は反対給付の実行を拒否できるというもの。
これをわかりやすく言うと、次のようになる。家の売買契約が成立した後に、家の引き渡し前に第三者の放火によって引き渡しができなくなった場合、売主から代金の支払い請求を受けたときは、これを拒否できるというものである。
以上の2点とも、契約の成立と実行とを切り離し、より実生活に合致した改正だと言える。
法律に詳しくない方は、そんなの当たり前ではないか、今までの危険負担の考え方がおかしかったのだ、と思われるかもしれない。
まさしくそのとおりなのだが、民法は刑法と違って契約当事者の調整に重きを置くため、一般的に見たら、理屈っぽい、じれったい決まりになっている。民法の、特に契約に関する規定では、契約当事者の立場や利害関係を調整して、どちらを保護するかを重点にしているためである。
家が放火によってなくなった、引き渡しができない、それでは契約を解除すれば、と一般的に考えがちだが、民法ではまず、当事者が売買契約を結んだという法律関係を重視する。
その上で、第三者が放火したのであれば、その者に損害賠償請求できる余地があり、契約を遂行できる可能性があれば、買主は売主に契約どおり代金を支払い、家については第三者に責任を取らせた方が、売主の権利を保護できる、と現行の民法では考えていたのである。
変更後のポイント1 契約書の文言
今回の民法改正によって、危険負担についてはポイントが3つある。
一つ目は、契約書の文言である。現行の民法では今まで説明したように、一度家の売買契約が成立すれば、たとえ第三者によって放火されても、買主の代金を支払う義務、売主が代金を請求する権利は消えなかった。
ただ、実際の契約社会ではあまりに不条理だということで、多くの場合契約書に特約を設けていた。一般的な文言としては、「当該売買契約の成立後、契約当事者の責めに帰すことができない事由で、各債務を履行することができない場合は、当該契約を解除することができる」と言ったものである。
しかし、改正民法では、契約当事者の責任ではなく、債務の実現ができなかった場合には、契約そのものを解除、つまりなかったことにできるから、今までの特約は不要になってくる。
考え方としては、売買の対象となる特定物(他に代わるものがないもの)が、売主の責任以外で消滅したのだから、契約そのものは不履行(実行不可能)となり、結果的に契約を継続する意味がなくなるということである。
変更後のポイント2 反対債務の取り扱い
今までの危険負担の考え方は、契約当事者双方の責任ではない理由で債務を実行することができなかった場合には、債務者は反対給付を受ける権利がなかった。しかし、今回の改正では、債権者が反対給付の実行を拒否できるとしている。
ちょっと聞いただけでは、違いがわからず、結局契約そのものが不能であることに変わりないのでは、と思われる人が多いのかもしれない。
ただ、今までの民法の考え方でいくと、売買契約の成立後、放火によって家がなくなった場合、契約を解除するまでは、家の売主から買主に代金の請求をすることができることになる。契約は続いているから、売主にとっては当然の権利である。
しかし、上記のポイント①で説明したように、第三者が原因で家の引き渡し(債務の実行)ができない場合は、契約は解除できるとなっているから、たとえ契約を解除する間でも代金請求権があることは大きな矛盾となる。
そこで、改正民法では、たとえ売主が代金を請求してきても、拒否できるとしたのである。つまり、第三者が原因で債務の実行ができない場合は、危険負担という考え方がなくなるのである。
いずれにしても、契約は解除できるし、解除前に代金を請求できるとして、より実生活に沿った規定にしたのである。
変更後のポイント3 契約解除の自由
最後のポイントは、契約解除の理由となる「債務者の責めに帰すべきことができない事由」という解釈である。
責めに帰すべきことができない事由、とは相手方に責任を追及できない理由という意味である。つまり、契約当事者の直接責任は問えない理由で、契約の実行ができなくなった場合のことである。
例えば、不可抗力、台風や大水害で売買目的の家がなくなったのであれば、明らかに責めに帰すべきことができない事由であり、分かりやすい。
しかし、近くで放火事件が頻発していたのに、売主の管理が不十分で、放火され家がなくなった場合、売主に全く責任がないとは言いきれない。買主の中には、管理不十分として責任を追及する人が出てくるかもしれない。
特に今回の改正で、契約を解除できる、債権者は反対給付を拒否できるので、この点は大きな問題になることが予想される。不動産売買において、契約成立から物件の引き渡し、代金の支払いという実行までのプロセスが大きく見直されることになるだろう。
危険負担という、一般にはあまりなじみがない言葉であるが、今までの不動産売買では大きなポイントとなる事柄が、今回の民法改正で取り上げられた点に注目したい。(井上通夫、行政書士)