フランスのエノキアン協会という団体の名を耳にしたことがある経営者も多いだろう。日本商工会議所、経済同友会、経団連(日本経済団体連合会)などさまざまな経済団体があるが、エノキアン協会は創業200年超える老舗のみが加盟を許される団体である。そして2018年1月、このエノキアン協会の会長に初めて日本人が就任したのだ。

創業は江戸時代の寛文9年、岡谷鋼機の歩み

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(写真=Pixelbliss/Shutterstock.com)

日本人初の会長に就任したのは、岡谷鋼機と子会社の岡谷不動産、両社の社長を務める岡谷篤一氏。任期は2年となっている。岡谷鋼機は、名古屋に本社を置く鉄鋼、機械などを扱う独立系商社だ。同社の発祥は、1669年(寛文9年)までさかのぼる。寛文9年といえば、江戸幕府第4代将軍家綱の時代だ。岡谷鋼機は同年、名古屋で「笹屋」という暖簾を掲げて創業した。

主人は、美濃加納藩7万石の戸田丹波守光重に仕えていた岡谷總助宗治。両刀をそろばんに変え、商人としてスタートを切った。創業当初は、農具(鋤、鍬、草鎌)、工匠具(釘、錐、小刀、おの、のこぎり、金槌)、家庭用品(かみそり、はさみ、鏡)、刀剣類といった鉄製品を扱う金物商だった。笹屋が事業を拡張できたのは、4代目総七嘉幸の功績が大きいという。

尾張7代藩主徳川宗春による消費拡大策に後押しされて、名古屋が商都して拡大した。その中、機を逃さず仕入れ先や販売ルートを全国展開して商いを広げたのだ。10代目が率いていた1943年、同社は株式会社岡谷商店から「岡谷鋼機株式会社」に改称する。戦局の推移とともに、中小企業の社名を「商店」から「産業」「興業」といった勇ましいものに変更するのが流行したという時代背景があったという。

岡谷篤一氏が社長に就任したのは1990年。篤一氏は社長就任にあたり、創業から300年余りのれんを守ってきた秘訣として以下のように述べている。「伝統の中には和の精神が引き継がれた。歴史の中での弛まぬコミュニケーションが、困難を打ち破って来たことがいくどかあった」。岡谷鋼機はベトナムやインドネシア、中国、ブラジルにも事業拠点を展開しており、2018年2月時点でグループ企業の従業員が4,995名を擁する大企業となっている。

エノキアン協会に加盟する日本企業8社

エノキアン協会はフランスの団体だが、各国の企業が加盟している。家族経営の概念を維持するオーナー企業が中心で、その成り立ちから、ヨーロッパのワイン、ガラス製品、宝石業などの企業が多い。現在の加盟数は47社。イタリア、ドイツ、スイスなどヨーロッパの企業が中心で、アジアからの加入は日本だけだ。日本企業は岡谷鋼機を含めて8社となっている。日本から加盟している8社は以下の顔ぶれだ。

・「法師(有限会社善吾楼)」(718年創業、温泉旅館業:粟津温泉)
・「株式会社虎屋」(1530年創業、和菓子製造・販売)
・「月桂冠株式会社」(1637年創業、酒造業)
・「岡谷鋼機株式会社」(1669年創業、商社:名証一部上場)
・「株式会社赤福」(1707年創業、和菓子製造・販売)
・「材惣木材株式会社」(1960年創業、木製品の製造・販売)
・「ヤマサ醤油株式会社」(1645年創業、しょうゆ製造販売)

どの企業も、日本を代表する老舗ばかりだ。エノキアン協会の加入資格は、「創業200年以上の老舗」となっているが、日本の加入企業8社はいずれも創業300年以上の歴史を持つ。日本最古の旅館のひとつとして知られる「法師」にいたっては718年(養老2年)の創業であり、2018年でなんと創業1300年の節目を迎えるのだ。

老舗の姿勢を、現代の経営者が学ぶ

株式会社東京商工リサーチが行った調査によると2017年時点で創業100年以上となる企業は3万3,069社という「老舗天国」だ。創業者の子孫が深く経営に関わるファミリービジネスは、時に閉鎖性や非効率の象徴として批判にさらされることもある。しかし、時代の荒波に揉まれながらも、創業家として先祖代々の教えを守り、家業を受け継いできた老舗の姿勢には、現代の経営者が学ぶべき点も多いだろう。老舗の経営エッセンスを学び取るべく、エノキアン協会に加盟する8社の歴史を紐解いてみるのも良いかもしれない。(提供:百計オンライン

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