日本のシンクタンクの現状
金子:日本のシンクタンクの現状をどうご覧になっていますか。
鈴木:日本のシンクタンクは、自分がいろいろやってきたことも含めて言うと、小康状態にあるという気がしているんですよね。
日本のシンクタンクの歴史をふりかえると、1970年がシンクタンク元年で野村総研や三菱総研がその前後にできています。それから今まで6回くらいのブームがありますが、東京財団や構想日本といった独立系のシンクタンクができた1997年の第4次ブームが一つの節目になっています。
日本のシンクタンクの前半期は、政策の多元性とか、民主主義といった意識よりも、今ある組織以外で新しいアイデアを出せるような仕組みができないかというような部分が強かった。一方で、1997年以降につくられた独立系のシンクタンクは、先ほど金子さんが触れた、1990年代以降の政治改革や政治主導、日本のガバナンスとか政策形成の仕組みを変えようとする動きと非常に連動していて、社会における多様な意見や考え方をつくり出す一つのツールになり出しているとは言えると思いますね。ですから、日本のシンクタンクを考える上では特に後半部分が非常に重要です。
ただし、2007年に幾つかのシンクタンクができて以降は、いまひとつ新しい動きがなく、既存のシンクタンクの動きも、メディアではたまに取り上げられるようになっている一方で、政治的に何か影響力があるかというと、以前よりもない部分もあるのかなという気がします。
それから、政治も少なくとも表面的には凪の状態になって、受けとめる側も非常に弱くなっている部分もあるのかなという気がするんですよね。
横江:私は、日本のシンクタンクは、アジェンダ設定が弱いと感じます。
アメリカのシンクタンクの場合は、ファンドレイジングが全てです。非営利組織、シンクタンクがいいことをやっているといっても、基本的にはみんないいことを考えているので、お金が集まらないと残らない。アジェンダ設定の評価は資金集めと直結しています。
研究はいい意味でも悪い意味でもお金と直結しているんですよね。多くのシンクタンクでは、研究の責任者となる上級研究員が資金集めをします。資金が集まらないとその研究ができないだけではなく、シンクタンクを去ることになります。
ヘリテージ財団の場合は、研究員が個別に資金集めをするのではなく組織がします。そのため、理事会が研究のアジェンダを決めます。そして、研究の査定も組織がします。一方、日本の政策シンクタンクは、お金と研究が直結していないこともあってか、アジェンダ設定と研究評価が曖昧に思えます。アメリカのような圧倒的なお金持ちがいないこともあり、寄付だけでシンクタンクを運営することは難しいという現状があります。ですから、日本ではそれぞれのシンクタンク経営にあわせた独自の研究を評価するしくみが必要だと思います。
ヘリテージ財団を私がやめる時「一番君に聞かなければいけないのは、この3年間君がもらった査定は正しかったか、正しくなかったかということだ」と言われました。組織が研究を評価するヘリテージ財団では、査定の方法を常に見直しているのです。
金子:横江さんがおっしゃるように、「これをやるんだ」という方針設定が、一般に日本のシンクタンクは弱い感じがしますね。
鈴木:どうしてもリーダーシップの問題があって、アジェンダ設定のできる人がトップにいないとシンクタンクって回らないと思うんですよ。一番のトップでなくても、核になるそういう人がいないとシンクタンクは回らない。シンクタンクというのは組織なんだけれども、個人の個性がないと回らない組織ですよね。
横江:ヘリテージ財団では、翌年1年の方針を理事が全員がホテルで1週間ぐらい合宿して決めます。リフレッシュのための運動の時間もきっちりと取りながら、缶詰で議論するんです。ここで決まったことは全体会議で発表され、それをそれぞれの部署が具体的に落とし込んでいきます。
評価はそれぞれの部署のディレクターが行い、部長にあたるバイスプレジデントがスーパーバイズします。アジェンダの設定と評価はセットなんですね。
理事会のメンバーは大物が集まっており、その人たちが数日間かけて「決めた」ことですので、大口の寄付者たちからも文句がでません。寄付者と理事会に信頼関係があるといえるでしょう。理事もアジェンダ設定にそこまで関わっているので、実現に協力して結束します。政策シンクタンクにとってアジェンダはまさに心臓部分なのです。日本のシンクタンクに欠けているのはこのアジェンダセッティングの部分で、そこを強化することが一番重要ではないでしょうか。
鈴木:アメリカのシンクタンクの理事のコミットメントは大変なものですよね。日本の理事会とは意味が全然違う。
金子:ちゃんと議論してアジェンダも研ぎ澄ませていくし、それに、ちゃんとコミットさせていくということですね。
横江:だから、文句は誰からも出ない。その上、それに対してお金も出す、お金が足りなかったらみんなでお金も集めるということになるわけです。