「硬い」から売れる?~年間4億円の人気菓子
愛知県では小学校の給食に出ることもある、硬いお菓子の「きらず揚げ」。もともとは乳歯が生えてきた子どもの、歯固めのために作られたお菓子だ。原料は豆腐を作る時に出るおから。豆腐メーカー、おとうふ工房いしかわが作っている。
愛知県刈谷市のスーパー「ヤオスズ」アップティー店では、全国で売られているおなじみのお菓子とはわざわざ別のワゴンに入れて、「きらず揚げ」を販売していた。その売り上げは年間4億円。愛知県では生活に根付いたお菓子なのだ。
「きらず揚げ」は首都圏でも買える。神奈川県平塚市の「ららぽーと」湘南平塚には、おとうふ工房いしかわの直営店「とうふや豆蔵」がある。「きらず揚げ」は13種類を用意。ベーシックな塩味(302円~)に始まり、黒糖きな粉味に、濃厚キャラメルなんてものも。ここでは他にも大豆を使ったさまざまな商品約200種類を販売している。
おとうふ工房いしかわの豆腐では、一番の売れ筋が「究極のきぬ」。試食販売で初めて食べたという女の子が「食感がいつもと違う」と言う。おとうふ工房いしかわが標榜するのは「自分の子どもに食べさせたい国産大豆100%のお豆腐」。普通の豆腐より大きめだが、一丁270円もする。この値段でも飛ぶように売れるのは、やはり国産大豆へのこだわりが大きいようだ。
おとうふ工房いしかわの豆腐は、「サミットストア」「オオゼキ」などのスーパーでも扱っている。「ライフ」では首都圏の118全店舗で販売。ちょっとお高めでも、ファンがしっかりついている。安心・安全な豆腐が主婦のハートを捉えているのだ。
主婦絶賛、国産大豆100%~子供に食べさせたい豆腐
おとうふ工房いしかわの本社は愛知県・高浜市。明治時代の創業で従業員は520人。スーパーなどに卸すと共に、全国に30の直営店を持っている。
この日、社内にあるテストキッチンには大勢の子どもたちが集まっていた。行われていたのは豆腐教室だ。子どもたちを相手に、熱心に豆腐を語っている社長の石川伸(56)は、25年も前から豆腐教室を実施。毎年2000人もの子どもたちに豆腐の魅力を伝え続けている。
「私たちの商品開発の根っ子は、子どもたちに食べやすい豆腐を作ること。彼らは表情に出るので、ここに来てくれた子どもたちが言ってくれることは大事だと思っています」(石川)
豆腐作りはまず、大豆を水に浸して柔らかくするところから始まる。これをすり潰し、絞ったものが豆乳。絞りかすはおからとなる。この豆乳に、にがりを入れて固めたのが豆腐だ。
ただしこのままだと、苦手な子どもたちもいるという。その理由は豆腐のにおい。
「豆腐を作る際に特有の臭みが出ます。このにおいは大人には『いいにおい』に変わるのですが、子どもはあまりいいにおいとは思わないんです」(石川)
そこで石川が加えているのがオリゴ糖だ。オリゴ糖には子どもが苦手なにおいをマスキング、隠してくれる効果がある。
「食べてももちろんにおいはあります。好感を持てるにおいは残して、嫌なにおいを取ることができました」(石川)
独自の工夫を凝らした子どもたちに食べさせたい安心・安全な豆腐。そんなコンセプトが共感を呼び、この30年間、売り上げは右肩上がり。去年は過去最高の51億円を叩き出した。
豆腐人生を変えた一言~「究極のきぬ」誕生秘話
朝7時、本社横の駐車場に大勢の人たちが集まった。毎月、第一土曜日に開催している青空朝市だ。この日は通常200円以上する豆腐が100円で手に入る。このイベントは19年前にスタート。毎月、地元の人たちを喜ばせ続けている。
「僕の父、母、祖父や祖母も豆腐屋という商売をやってきて、『地元を大事にしなさい』と子どもの頃から言われていたので、大事にしたいと思ってやっています」(石川) 地域にしっかり根を張って成長を続けるおとうふ工房いしかわ。しかし、ここに至るまでにはいくつもの壁と、手探りの挑戦があった。
石川は1963年、愛知県刈谷市で長男として生まれた。実家は明治時代から続く町の豆腐屋さん。小さな頃から店の手伝いもしていたが、「近所のおばさんたちが豆腐を買いに来た時、『僕、偉いね』と言ってくれるのですが、朝早く起きて豆腐を作る商売に対しては、コンプレックスを持っていました」と言う。
大学を卒業すると、大手食品会社で5年間修行した後、地元へ帰り家業を継いだ。27歳で社長となった時に立てた目標は「日本一売れる豆腐屋になる」ことだった。
とにかくたくさん作って売ろうと、両親から5000万円を借り、大量生産できる設備を導入。その豆腐を地元のスーパーに売り込みに行った。だが、バブル崩壊後、ちまたには安い豆腐が溢れており、一丁100円の特徴のない石川の豆腐は置いてもらえなかった。
販売先探しで苦戦が続く中、石川の豆腐作りの転機となる出来事が。それは1993年、地元の自然食品の店に営業に出向いた時のことだった。自分の豆腐は100円でも置いてもらえないのに、そこでは200円の豆腐が売れていた。
石川は自分の豆腐も置いて欲しいと交渉するが、試食をしてもらい、原料に輸入大豆を用いていること、にがりを使ってないことを伝えると、「そんなのでよく豆腐屋をやっているね。本当の豆腐がどういうものか、分かってる?」と言われたのだ。
石川に厳しい言葉を投げかけた、国産の安全な食材にこだわるライフケアー会長(当時)の加藤博一さんは、「子どものために何を残していけるかが僕のテーマです。その点で、石川さんの豆腐作りはちょっと違うなと思った」と、振り返る。
「我々がやらなきゃいけないことは、国産の材料を使って、伝統的なにがりで豆腐を作ることだと諭されました」(石川)
それからの石川は、毎日の仕事の後、国産大豆とにがりを使った豆腐作りに没頭。だが、にがりを入れるタイミングや混ぜ方などが分からず、何度やっても上手くいかなかった。
「今みたいにインターネットがある時代ではないし、父に聞いても『やったことがない』と言う。誰に聞いても教えてくれないので、悶々としながらやっていました」(石川)
そんな孤独な答え探しがおよそ1年続いたある日のこと。初めて「これなら」と言う豆腐が完成する。石川はその豆腐を抱え、加藤さんの店に走った。石川の豆腐は晴れて店に置いてもらえることとなり、その後、地元のスーパーや生協と、販路が広がっていった。
さらに石川は「子どものための豆腐作り」にも挑む。きっかけは豆腐教室。小学校などを回っていると、参加していた母親の一人から「うちの子は豆腐のにおいが嫌いで食べてくれない」という声を聞いたのだ。
大学で食品工学を学んでいた石川は、専門書や雑誌を読みあさり、独学で調べた。すると、においの正体は大豆の酵素リポキシゲナーゼで、そのにおいはオリゴ糖でマスキングできることを突き止めた。さらに、大豆から抽出した油を加えると旨味が増すことも分かった。
オリゴ糖と大豆油の比率など、1年がかりで混ぜる条件を探し当て、1998年、出来上がったのが「究極のきぬ」と「至高のもめん」だった。最初は工場の売店で販売。すると口コミでおいしさが広がり、やがて一番の売れ筋商品になった。
硬いからいい~「きらず揚げ」はこうして生まれた
その一方で、石川は豆腐を作る際に廃棄していたおからにも目をつける。それを再利用して作ったのが、「きらず揚げ」だ。開発にあたっては地元の菓子メーカーである「井桁屋製菓」と手を組んだ。
大学の卒論で「おからの活用法」を研究していた石川は、最初はスナック菓子のような軽い食感を目指したのだが、おからをたくさん入れれば入れるほど、硬くなってしまう。だが、おからの量を減らすと栄養価などのメリットがなくなる。
どうしたものかと悩んでいた時、またしても神の啓示のような意見を聞く。
生協の集まりに参加した時、そこにいた女性たちに意見を聞いてみると、「最近のお菓子は柔らかいものが多く、子どもの歯固めに使えるものがなくて困っている。体にいいおからで硬いお菓子を作ったら、絶対みんな喜びます」というのだ。
それは、ずっとつかえていたものが取れた瞬間だった。愛知で大人気のお菓子は、もがき続けた末の産物だった。
育てた大豆を味わう~契約農家も手作り体験
おとうふ工房いしかわの本社に、スーツ姿の一団がやってきた。向かった先はテストキッチン。みんなで豆腐作りを始めた。実はこの人たちは石川が契約している北海道の大豆農家。自分たちで育てた大豆を使い、豆腐を作りに来たのだ。
おとうふ工房いしかわでは、毎年契約農家を招き、収穫した大豆で豆腐作りを体験してもらっている。
「なかなか自分たちの作った大豆が何になるのか、見る機会がない。体験してもらうことで、『俺は豆腐用の大豆を作っている』と意識してもらえばと、やっています」(石川)
豆腐作りの腕前をみんなで競う。自分が作った豆腐を「おいしい」と言う高橋正行さん・他の農家が作った豆腐も味見してみると「申し訳ないけど、うちのを食べてみて。味がわかるから」。言われた澤田悟さんも言い返すかと思ったら、「あ、なんかおいしい。悔しいけど」。こうした交流が原料となる大豆のレベルをさらに引き上げてくれると言う。
「僕らが作った大豆が、どこに行ってどういう商品になるか、身近に見えるので、いい原料を届けないといかないと思うし、励みになる。いい取り組みだと思います」(高橋さん)
別の日、今度は石川が、大豆農家の畑がある北海道・江別を訪ねる。現地で採れた大豆をチェックしているのだ。夜は農家と酒を酌み交わす。こうした顔が見える関係だからこそ、信じ合えると言う。
「人間的に信頼できる関係を作ることが大事で、信頼ができる関係ができて、初めて我々の豆腐ができるんじゃないかなと思います」(石川)
~村上龍の編集後記~
石川さんは、国産大豆とにがりを使った本格的な製法に挑戦し、さらにオリゴ糖を利用して匂いをマスキングして、まさに「子どもに食べさせたい豆腐」を作り上げた。
ただ幼少時は豆腐屋の仕事が嫌いで、跡を継ぐ気はなかったらしい。しかし大学進学による独り暮らしで、両親の送金が、豆腐によって得られたものだと気づき、ありがたいと思い、結局家業を継承する。気づきは豆腐そのものによって得られた。
日本の豆腐は柔らかく、栄養価が高く、安価で、佇まいが謙虚で優しく、偉ぶっていない。たぶん、他にこんな食品はない。
<出演者略歴>
石川伸(いしかわ・のぶる)1963年、愛知県生まれ。1996年、日本大学農獣医学部食品工学科を卒業後、サラリーマンを5年間経験。1991年、家業の豆腐店を継ぐ。
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