観光客熱狂の新名物が続々~あの温泉地が大変貌
東京から新幹線で1時間の軽井沢。そこからさらに車で1時間半、山奥の小さな町に、驚くほど多くの観光客が訪れている。客を興奮させるのは、ものすごい熱気の湯気。町の中心に鎮座する、高温の湯を冷ますために作られた湯畑だ。
天下の名湯、群馬県の草津温泉。1000年以上の歴史があると言われ、鎌倉時代に源頼朝が入浴したという記録も残っている。
不便な地にある草津が人を集めてきた最大の理由は、日本でも珍しい強烈な泉質にある。「浴槽などお湯にあたる部分は全て木の組み合わせで、釘は使わないでやっています。湯が流れるところは、釘を使うとすぐ溶けてしまうので」(千代の湯湯長・井田剛文さん)
10日もあれば、釘を跡形もなく溶かしてしまうという強い酸性。今も江戸時代から続く、草津独自の入浴法が行なわれている。体質改善が目的の「時間湯」(560円)だ。高温のお湯に腹式呼吸を行いながら漬かり、3分間、我慢する。
大行列をつくっていたのは、湯畑に面した「熱乃湯」という施設。登場したのは鍛え抜かれたイケメンたちだ。大興奮の女性たちの目の前で始まったのが、草津の新名物、男だらけの湯もみショー「ゆもみくんショー」(大人600円、不定期開催)。これまで女性が行ってきた草津名物の湯もみだが、町に新たな客を呼ぶ秘策として、地元でJリーガーを目指すザスパ草津の若手選手を起用することで女性客を一気に増やした。
女性向けだけではない。今度は「草津温泉らくご」(大人1000円)が始まった。
一方、口コミで人気を呼んでいるのは「湯畑草菴」草津が誇る強い酸性の温泉を、スイーツを味わいながら堪能できる足湯カフェだ。味わうのは、できたての温泉卵をのせた温玉パフェ「温玉はちみつソフト」(626円)。まろやかでミルクセーキのような味わいだとか。
さらに夕暮れ時になると始まる人気のイベントも。広々とした「西の河原露天風呂」が混浴に(大人600円、毎週金曜日開催)。せっかくの草津の湯を、カップルやグループに楽しんでもらえるよう、週に一度、町営の温泉で始めたのだ。
極め付きは夜の草津の大変貌。客を魅了するのは、湯畑が一変する幻想的なライトアップ。ゆらめく湯気に光を当てるという斬新な演出は、有名な照明デザイナー・面出薫氏が手がけた。夜の楽しみができたことで、宿泊客も急増しているという。
そんな常識を破るさまざまな取り組みで、減り続けていた草津の観光客数はV字回復。ついに過去最高の320万人を突破した。
この大逆転劇の仕掛け人が草津町の町長・黒岩信忠(71)だ。
この日、黒岩が視察にやってきたのは、「草津温泉スキー場」。夏場でも集客できるよう新たな目玉を建設しているという。それがワイヤーにぶら下がって滑空するアトラクション。なんと浴衣でそのまま乗れるという。黒岩は、高低差100メートル以上というこの斜面で何かできないかと考えた。「温泉街に飛び込むようなイメージで、バンジージャンプ的な雰囲気になると思います」と言う。
V字回復した草津温泉~どん底から大逆転の秘策
湯畑の近くにある創業140年の老舗、草津最古といわれる源泉からお湯を引く温泉旅館「奈良屋」。2月の稼働率は9割を超えた。古くなった客室も大胆に改装。「泉游亭さくら」(2人利用の場合1人3万4560円)など、高い部屋から予約が埋まっていくという。
「お客様は多いです。従業員が足らなくてどうしようと思うほど忙しいです」(副支配人・佐伯達也さん)
黒岩が町長となったおよそ10年前、草津は最悪の状態だった。バブル崩壊以降、観光客は減り続け、町中で閑古鳥が鳴いていた。湯畑の周りにあった大型ホテルは次々と廃業。建物が取り壊され、虫食いのように空き地が広がっていた。
「空き地にできた駐車場を見た時、私は恥ずかしかったんです。真っ先に草津のシンボル湯畑を変えるという強い思いがありました」(黒岩)
町長となった黒岩は、赤字財政下の限られた予算を湯畑再生につぎ込む決断をする。
「シャンパンをシャンパンタワーの上から注ぐと、時間はかかってもいずれ下のグラスまでシャンパンが行き渡る。それが町全体の経済を活性化させる」(黒岩)
最も重要な場所に集中して資金を注ぐことで、いつしか全体が潤う。草津の中心、湯畑再生に全力を傾ければ、経済効果が町中に広がると考えたのだ。
黒岩はまず、湯畑そのものを徹底的に整備し直した。例えばボロボロに老朽化していた湯樋は、温泉でも劣化しにくい樹齢80年以上のアカマツの木で新調。草津のシンボルを美しく蘇らせた。
さらに2013年、湯畑周辺の景観を壊していた空き地に、総工費3億7000万円を投じて日帰り温泉「御座之湯」を建設する。全面木造にこだわり、江戸時代の趣のある湯治場を再現。格安の入浴料(大人600円)で、源泉掛け流しの草津の湯を味わえるようにした。
黒岩は、駐車場になっていた空き地に惜しげもなく資金を投じ、湯畑周辺を次々と美しい景観に変えていった。今や名物となった夜のライトアップにも投資。時には花火まで打ち上げ、湯畑の魅力を磨き上げ続けた。
徹底的に湯畑周辺へ投資する黒岩の作戦が客を呼び始めると、町で意外な変化が起き始める。それが旅館や商店のリニューアルラッシュだ。
町並みを美しく磨けば客は確実に増える。それを実感した店主たちが、相次いで設備投資を始めたのだ。その数、実に70軒。その結果、観光客がさまざまな路地を散策するようになり、次第に湯畑から遠いエリアまで客が訪れるようになった。
湯畑から歩いて15分以上かかる老舗の「草津スカイランドホテル」にもシャンパンタワー作戦の恩恵が。古くなっていた和室も売上が増え、大胆にリニューアル。「ラグジュアリールーム」は1泊2食付き2万1600円~と、客単価を上げることに成功していた。
「以前は1万円以下のお客様が多かったのですが、今はそれ以上の金額でも来ていただけます」(女将・小林由美さん)
地域の資源を磨け上げれば必ず光は見えると、黒岩は確信している。
「地域ごとにいろいろなやり方があると思いますが、その気になってやれば、再生は可能だと思います」(黒岩)
町長はビジネスマン~草津はこうして復活した
大小100軒以上の宿が立ち並ぶ草津町。町役場の壁には歴代町長の写真が並ぶが、歴代町長全員が旅館関係者だった。黒岩は、初めての旅館業以外からの町長だった。
1947年、草津町に生まれた黒岩は、中学を卒業後、技術を身につけ電気工の職人になる。資金を貯め、10代で灯油などの燃料販売を始めると、これが当たった。1983年、町議に推されて当選。政治家と経営者、二足のワラジを履き、結果を出していく。54歳のときには、東京・原宿に投資目的でビルを購入。不動産事業も軌道にのせた。
2010年、そんな黒岩に転機が訪れる。観光客の激減が危機的状況になる中、町長に推す声が沸き起こったのだ。黒岩は出馬を決意し、町長となる。そこで掲げた公約が、湯畑周辺への集中投資だった。
ところが、湯畑周辺の店主からは「駐車場がなくなったら不便」と、湯畑から離れた旅館からは「湯畑にばかり金を使うなんて不公平だ」と反対の声が上がった。
「一生懸命やっても理解されないんだと、孤独でした」(黒岩)
しかし、そんな猛反発の中、黒岩は湯畑の再生を断行する。その裏にはビジネスマンとして成功してきた黒岩のある体験があった。それは、大勢の人が集まる場所だからと、原宿・竹下通りに買った投資用ビルでの成功だった。
「人の集まるところはビジネスになる。そこに投資するのが効率がいいと、竹下通りで学びました。その発想が、湯畑再生の原点にあるんです」(黒岩)
最も人が集まる場所に投資することこそが、最も大きなリターンを生む。そんなビジネスでの確信が、草津再生を成功へ導いたのだ。
黒岩は、60億円近くあった町の借金を劇的に減らし、今や財政再建まで実現した。
いま注目の温泉はここだ~美肌の湯&シニア殺到
今、全国の温泉地で、草津に続けと逆襲ののろしが上がっている。
島根県松江市の玉造温泉。ここもかつては寂しい温泉地だった。いま、そこに大挙して押し寄せるのは女性たち。驚くほど肌に潤いとハリを与えるという美肌成分を求めてやって来るのだ。
源泉が湧き出る場所には人だかりが。沸きたての美肌源泉が誰でも無料でくみ放題なのだ。その場で「美肌専用ボトル」(200円)に入れれば、化粧水のミストとして使える。
地元の人がこの美肌泉質の泉質に目を付けたのは、つい10年ほど前。奈良時代に書かれた「出雲国風土記」の中に、偶然、玉造温泉の「今の言葉でいえば、まさしく美肌」(松江観光協会・周藤実さん)の効果についての記述を発見した。
実際に温泉を分析すると、肌に水分を浸透させる働きがある硫酸イオンが多く含まれることが判明した。これを機に、玉造は町復活ののろしを上げる。
玉造温泉美肌研究所「姫ラボ」が目玉商品として開発したのが、温泉水を配合した洗顔用「姫ラボ石鹸」(1500円)。驚くような泡立ちで年間4万個を売り上げる。極上の美肌温泉をたっぷりしみこませ、顔に効能を行き届かせる「美肌温泉フェイスパックタオル」(500円)も大ヒット商品となった。
玉造は、温泉のウリを徹底的にアピールすることで、観光客が年間20万人も急増した。
一方、1300年の歴史を持つ佐賀県嬉野市の嬉野温泉。押し寄せていたのはシニア客だ。1年間で1.7倍に増えたという。激変の理由は旅館だ。
「千湯樓」は、スロープのある廊下、そして部屋まで、館内は一切段差がないバリアフリーになっている。ベッドも電動リクライニング。そして客の最大の楽しみ、部屋付きの温泉には、入浴用電動リフトが備えられている。
嬉野では13軒の旅館が、温泉に行きたくても行けなかった高齢者向けに宿を改築した。「和楽園」も部屋全体をバリアフリーに改装、客を増やしている。女将の下田美穂子さんは「『もっと早くこの旅館に出会いたかった』というお声もありました」と言う。
町には、温泉客をサポートする専用組織「バリアフリーツアーセンター」もある。電話1本で様々な補助器具が無料で借りられ、要請すれば、入浴介助のヘルパーまで派遣してもらえるという。
今や嬉野はシニアに人気の温泉地ランキング1位(「楽天トラベル」調べ)。他にない戦略で名湯が復活を遂げようとしている。
温泉町を変える旅館革命~明朗会計&絶品料理
東京から新幹線で1時間10分の新潟県湯沢町。いろいろな泉質の源泉を持つ温泉地として900年の歴史を誇る。
戦後、湯沢を大ブレイクさせたスキーブームも今は昔、客は3分の1以下に減ってしまった。その町の一角に、日本中の温泉町が注目する人気スポットが生まれている。
それが1軒のカフェ。客のお目当ては、ここでしか味わえない湯沢スイーツだ。お薦めは新潟の地酒で作った「生原酒ジュレ」(464円)。アルコール度の高い原酒をたっぷり使い、驚くほどフルーティーな味わいだという。「温泉プリン」(345円)も家族連れに人気。とろとろの舌触りは、温泉水を使って蒸しあげた。
そしてほとんどの客が注文しているのが「温泉珈琲」(572円)。温泉水の中でも、湯沢で唯一飲めるものを使ったまろやかさが自慢で、これを目当てに東京からも客が訪れる。
実はこのカフェがあるのは温泉旅館。このシーズンは予約がほとんどとれない人気の宿「HATAGO井仙」だ。
和の空間にベッドを置いた落ち着いた雰囲気の室内。ところが隣の部屋は、板張りのシックな雰囲気。丸いコタツのあるかわいい部屋もある。自慢は部屋についた、贅沢な源泉掛け流しの露天風呂。「井仙」は全ての部屋が違う造りになっている。12人で泊まれるという大部屋は、大きなソファーに、地元の食材で調理ができるようにキッチンまで付いている。この日、泊まっていたのは、子供が友達同士という2家族だった。
かつて「井仙」は、地方でよく見るコンクリートのホテルだった。温泉旅館の革命児、いせん社長・井口智裕は「以前は『湯沢ビューホテルいせん』という名前で、スキーや同級会のお客様が主でした」と言う。
1973年に、代々、湯沢で旅館を営んできた家に生まれた井口。町がスキーブームに沸いた絶頂の頃、アメリカの大学へ留学し、マーケティングを学んだ。しかし、帰国すると、バブル崩壊で湯沢の町は一変していた。
「僕が戻ってきた頃は、毎年右肩下がりにスキー客が減って、それに準じて宿の売り上げも下がっていた。このままではいけないという危機感はありました」(井口)
井口はスキー客向けのホテルではなく、改めて温泉町にある宿として再起を計れないかと考え始める。そして東京に出向いて行ったのが、一般客へのヒアリング。すると、「高い宿に泊まった時、お料理が出てきて『これであの値段』とがっかりした」「2人でゆっくりしたいから行ったのに、仲居さんのサービスが余計だった」と、思わぬ声が寄せられた。
「今まで僕らが常識として考えていた温泉旅館のおもてなし、例えば部屋食があったり、仲居さんがサービスしたりということが、実はそれほど求められていなかった。もしかしたら一般の方と意識が違うのではないかと気がつきました」(井口)
井口は徹底的に客のニーズに応えた新しい温泉宿へのリニューアルを決断。2005年、「HATAGO井仙」を開業する。そのコンセプトは、ホテルと旅館のいいとこ取り。
「機能的な部分はホテルを取り入れますが、本質的な部分は旅館を追求する」(井口)
客室は、画一的な作りとは真逆の現代的な和風デザインに全面改装。旅館の定番だった宴会場をなくして、大部屋にした。また、旅館で当たり前だったサービスをゼロから見直した。ベッドの導入も、仲居のサービスをやめるためだ。
さらに、1泊2食付きで宿泊料を決める日本独自の料金体系も廃止し、分かりやすくした。例えばある部屋は、朝食付きの場合、基本料金4000円に、宿泊者1人に付き6000円を足していく仕組み。夫婦で泊まれば1万6000円だ。
夕食を付けたければ、さらに6000円プラスして、館内にある浴衣でもOKのレストランで。井口は腕のいい料理人を探し、地元の味わいで客を満足させようと料理に力を入れた。井仙オリジナル、新潟づくしのコース料理。「冬野菜の信田巻き」には地元の野菜がぎっしり。「奉書焼き」で蒸し焼きにしたのは、日本海であがった天然のアンコウだった。
深夜の到着で食事ができない客には、夜食「おとりおき御膳」(2700円)を付けることもできる。全ては、旅館の価値を一から客目線で見直す中で生まれたものだ。
「作られた温泉旅館像を追うのではなく、むしろいろいろなものを削ぎ落としたうえで、必要なものを付加するということです」(井口)
雪国文化を売り込め~旅館革命児の新たな挑戦
「HATAGO井仙」の宿泊客が、館内で食事をせず湯沢の町へ。迷うこともなく、一軒の料理屋に入った。
その「しんばし」でまず出てきたのは、「煮菜」と呼ばれる野沢菜を使った地元の家庭料理。塩辛も、新潟で親しまれる唐辛子・神楽南蛮で作った辛味みその味わいだ。
ここは美味しい地元料理を出す「A級グルメ」という制度で認定された店。客はそれを知って訪ねてきた。「A級グルメ」を立ち上げたのは井口たち地元のグループだ。
「せっかく地方に来たら、地元の食材を使う店に行きたいというとき、自信を持ってお薦めできるというのが一番の目的です」(井口)
1軒の宿を入り口に、井口は地域全体を売り込もうとしている。
また、「HATAGO井仙」では、宿泊客が参加するユニークなツアーを開いている。
雪景色を車で走ること30分。到着したのは隣町、南魚沼市にある漬物メーカー「今成漬物店」だ。「八海山」の酒かすを使い、7ヵ月もの間、漬け込んだのは「山家漬」。「雪で野菜が採れない土地なので、これを食べる」という、長い冬の保存食だ。
ツアーの最大のテーマは、湯沢周辺の様々な雪国文化の体験。井口は、雪深い地域が育んできた独自の知恵が、観光資源になると考えたのだ。
井口は現在、湯沢町周辺の自治体とタッグを組み、雪国のブランド化に取り組んでいる。その名も「雪国観光圏」。様々な雪国文化を持った7つの市町村が参加している。
「雪国文化は湯沢以外の、十日町市や魚沼市、津南町などにもある。これと湯沢に来たお客様をつなごうという発想です。あえて『雪国』と統一のブランドにして、世界に発信していくというプロジェクトです」(井口)
「雪国観光圏」にある南魚沼市で井口が力を入れているのが、重要文化財にも指定される巨大な旅館「温泉御宿龍言(りゅうごん)」の再生だ。
「厳しい経営が続いていたと聞いています。でも『龍言』は雪国の宝ですから」(井口)
歴史ある「龍言」を大胆にリニューアル。新たな雪国文化発信の拠点にするという。地元の資源を宝に変えるため、井口は格闘を続けている。
~村上龍の編集後記~
あまりに身近で、その価値の大きさに気づかないことは多々ある。「温泉」はその典型だ。
涸れた味わいの山間の小村から、ホテル群が林立する観光都市、豪華で洗練された宿から入浴だけでも可能な施設まで、多様性に富んでいるが、共通点は「裸で入る」だ。
草津には、作品を書くために長逗留し、愛着がある。湯畑は圧巻で、湯は熱く、「これこそ温泉」というインパクトがある。
湯沢「いせん」は、東京からのアクセスの良さに依存し傾きかけたが、付加価値を見出すことで復活した。
日本の温泉、価値を形にすれば、宝の山と化す。
<出演者略歴>
黒岩信忠(くろいわ・のぶただ)1947年、群馬県生まれ。1963年、草津中学校卒業。1983年、草津町議に初当選。2010年、草津町長に就任。
井口智裕(いぐち・ともひろ)1973年、新潟県生まれ。1995年、東ワシントン大学卒業。1997年、湯沢ビューホテルいせん入社。2005年、HATAGO井仙にリニューアル。
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