オタクの生みの親は「GHQ」?
オタクの聖地といえば「秋葉原」通称「アキバ」である。アキバがオタクの街として産声を上げた背景にはGHQによる「露店撤廃令」(1949年)が影響している。戦後復興の一環として主要道路の敷設、拡幅を目的に施行された露天撤廃令により東京都と国鉄は、神田小川町から神田須田町界隈の露店商に対して、露天撤廃と引き換えに秋葉原駅のガード下に代替地を提供した。一方1951年に民間ラジオ放送が開始されたことがきっかけで、ラジオの需要が高まっていった。同時期に闇市では、電機学校(現東京電機大学)の生徒がアルバイトでラジオを組み立てており、そのために販売していた真空管やラジオ部品の店舗が秋葉原駅のガード下の代替地や、近所の総武線ガード下に集まっていった。比較的安価であった組み立て式ラジオでは、混信が激しいということで、スーパー受信機と呼ばれる完成品メーカー商品に売れ筋が変わっていく。秋葉原ではそのラジオが爆発的に売れ、現在でも秋葉原に「無線」「ラジオ」といった名を残す店やビルが多いのは、この時期、命名されたことに由来している(1)。
1953年テレビ放送開始以降の電化製品ブームの中、ラジオから始まった秋葉原は、電化製品の街として、現在のような中央通りとJR秋葉原駅電気街口周辺の電気店から構成される「アキバ」のアイデンティティを確立する。1975年以降はパソコン周辺電子部品やプログラミングソフトがメイン商品なり、その後現在のアキバを象徴するアニメやゲームのキャラクターに対する「萌え」の需要が大きくなっていった。
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(1)アキバ経済新聞編 (2007) 『アキバが地球を飲み込む日 秋葉原カルチャー進化論』 東洋経済新報社
秋葉原のアイデンティティ
秋葉原はオフィス街であり、オタク文化だけでなく高層ビルやオタクではない人ももちろん存在するが、我々は秋葉原に対して、オタクを中心としたサブカルチャーを発信、受容していく“アキバ”という世界観をイメージするのではないだろうか。時代の流れに伴いオタクのニーズは変化していったがアキバは常にそれを受け入れてきた。受け入れてきた結果、街自体が継ぎ足し文化のような特徴を持ち、我々のイメージする萌え産業のほかにもラジオ、半導体、パソコン等、過去の秋葉原の『顔』であった産業も今もなお軒を連ねている。こうした新旧の秋葉原を色づけしてきた文化、もしくは秋葉原のアイデンティティは、今もなお、アキバという世界観を構築している。
「アキバにくると癒される」
この言葉は、元内閣総理大臣であった麻生太郎氏が言ったとされている(2)。その真意はわからないが、オタクにとってアキバは自身の趣味・嗜好を共有できるだけでなく、自身の社会的な立場(引きこもり、ニート、フリーター等)に何も後ろめたさを感じなくていい、その境遇すら共有できるような、一般社会とは分離された空間になっていた。その一種のヘイヴン(避難地)を求めて、アキバを目指すオタクも少なくなかった。「こいつも俺と一緒か。」と思うことが、彼ら自身の安寧感につながっていた。
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(2)著書『とてつもない日本』やその他インタビューで、オタク文化に好感をもつ発言を残している。
「バニラクリームフラペチーノグランデシロップヘンコウホイップオオメ」は画一化の始まり?
スターバックスで、意気込んで、上記の呪文を口にしてカスタマイズしてみるぞ、とレジに並んでも、結局いつものスターバックス・ラテにする、なんて経験あるんじゃないでしょうか。(決して恥ずかしがることじゃないです。みんなそうですから。)
さて、我々でも敷居の高いスターバックスが秋葉原にできてから10年以上が経とうとしている(3)。JR秋葉原駅ビル初出店となる、スターバックスが入った「アトレ秋葉原1」がオープンしたのは2010年11月のことだった。この背景には前身の「アキハバラデパート」の変革を求められたことが挙げられる。そもそも「アキハバラデパート」は30代以降の男性利用客が多く、紳士服や靴等、男性向け商品の扱いが多い事が特徴だった。一方で、当時あった書店ではコンピュータやマンガ・アニメ関連の書籍や雑誌の品揃えが豊富であり、庶民性と秋葉原らしさがあった。その後「つくばエクスプレス」の開業に向けアキハバラデパートも変革を強いられた。2002年当時経営権を持っていた「泰道グループ」は、秋葉原の市場性に目をつけていたJR東日本に改装資金と引き換えに経営権を譲渡した。同時に店舗をオタク向けに改装する「アキデパ フジヤマ」計画が実行され、当時のアキハバラデパートのテナントは撤退を余儀なくされた。しかし、オタクのニーズを汲み取れなかった「アキデパ フジヤマ」は失敗に終わり、挽回を期して、他の駅でも実施している「駅ナカ」と同様の再改装を行ったが客足は伸びず、建物の老朽化を理由に2006年12月31日をもって閉店、解体された。その後2008年に新しい駅ビルの建設計画が打ち出され、2010年11月19日に「アトレ秋葉原1」という名前で生まれ変わった。
このような背景を下にJR秋葉原駅は“ステーション・シティ”として「脱秋葉原化」していった。そもそも鉄道駅や、空港施設等、公共的インフラであっても、その機能だけに特化させるのではなく、集客力を元手に収益性の高いビジネスを並行実施することが当たり前になっている。収益確保に向けてショッピングモールとして施設を作り直すことが選ばれることが多く、このような一連の流れを“ショッピングモーライゼーション”という(4)。JRにおいては、秋葉原も含めて多くの駅が同様のコンセプトのもとにステーション・シティ化されつつある。
アングラなオタク文化と相反するいわゆる・・・・“映える”スターバックスができた背景には、都市の画一化を垣間見ることができ、秋葉原がアキバとしての色を失い始めた始まりであった。そしてそれは、オタクの居場所がなくなることを暗示させるものであった。(続)
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(3)秋葉原駅付近初出店は2008年にオープンした「秋葉原駅前店」である。
(4)速水健朗 (2012) 『都市と消費とディズニーの夢-ショッピングモーライゼーションの時代』角川書店
廣瀨 涼
ニッセイ基礎研究所 研究員
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