はじめに

デジタル化,人材
(画像=PIXTA)

世界的なデジタル化の加速が続く中、出遅れが指摘される日本企業もキャッチアップを急いでいる。政府が「Society5.0実現」を謳い、デジタル技術の利活用による経済発展と社会課題解決の両立を目指すことも追い風となっている。だが、それを阻む壁となりかねないのが「人材」に関わる課題だ。

IT人材不足という課題

デジタル化を担う人材の不足は企業にとって喫緊の課題だ。対応を急ぐ日本企業は、高度な情報通信技術を備えたIT人材の確保に注力している。昨年12月にはNTTデータが年収2,000~3,000万円という高額報酬で優秀人材を募集したことが話題になった。メルカリがインド人のIT人材を多く採用したように、海外の人材を積極採用する企業も目立つ。その他、非IT企業もIT人材採用に動いており(1)、業種を超えた人材獲得競争が進んでいる。

確かにIT人材は足りない。政府の試算もこれを裏付ける。経済産業省(以下、経産省)が公表した「将来のIT人材不足の試算(2)」によれば、IT人材の不足数は現在22万人だが、2030年にはその2倍の45万人に達する(図表1)。IT人材の需要は大きく増加するが、少子化で人材のパイ自体が減少する中、その供給を需要に見合う水準まで増加させることは難しい。今後もIT人材不足は続く見込みだ。

デジタル化,人材
(画像=ニッセイ基礎研究所)

試算上、不足する人材の大部分が、人工知能(AI)等の活用に長けた高度なIT人材であることも見逃せない。同報告書では、IT人材が、AI等最新技術を扱う「先端IT人材」と、既存の技術を扱う「従来型IT人材」の2つに分けられ、内訳の試算も示されている。その試算は、「従来型IT人材のうち、AI等に関わるスキルを身に付け、先端IT人材にステップアップする人材の割合(Reスキル率)」の想定別に3通り作成されているが、いずれの想定でも、「先端IT人材」の不足数が大きい(図表2)。

デジタル化,人材
(画像=ニッセイ基礎研究所)

「数」だけでなく「質」も不足する、厳しい現実に直面していると言えよう。

こうした中、国内でのIT人材育成は急務であり、政府も対策を進めている。例えば経産省の「未踏人材事業」は、ソフトウェア関連分野でイノベーション創出を実現する独創的なアイディア、技術を備えた人材を「発掘・育成」する事業だ。10年前から続くものだが、2017年度からは事業化と起業支援サポートが加わる等内容が拡充された。また、文部科学省(以下、文科省)は、卓越大学院(3)の取組みを進めている。優れた研究者を輩出するための事業で、IT関連の研究もその中に含まれる(4)。いずれも高度なIT人材の輩出に向けた注目すべき取組みだ。

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(1)例えば、自動走行技術の実用化を睨み、自動車業界でIT人材採用の動きが活発化している。一昨年夏、トヨタ自動車がJR南部線に大々的な中途人材募集広告を掲示したことは話題になった( https://www.nikkei.com/article/DGKKASDJ28H2S_Y7A720C1QM8000/ )。
(2)同試算は過去2回公表されており、第1回試算が2016年2月、第2回の最新試算が19年4月に公表されている。IT人材を、「IT企業及び、ユーザー企業の情報システム部門等に属する職業分類上の『システムコンサルタント・設計者』、『ソフトウェア作成者』、『その他の情報処理・通信技術者』」と定義し、本文で後述するとおり、先端IT人材と従来型IT人材に分けている。また、別途、AI人材も定義され、「AIに関わる先端IT人材に加え、AIを実現する数理モデルについての研究者(ただし、学術・研究機関を除く)やAI機能を搭載したソフトウェアやシステムの開発者、AIを活用した製品・サービスの企画・販売者」とされている。
(3)国内外の大学・研究機関・民間企業等と組織的な連携を行いつつ、世界最高水準の教育力・研究力を結集した5年一貫の博士課程学位プログラムを構築することで、あらゆるセクターを牽引する卓越した博士人材を育成するとともに、人材育成・交流及び新たな共同研究の創出が持続的に展開される卓越した拠点を形成する取組を推進する事業。
(4)例えば、2018年の採択プログラムの一つ、東北大学の「人工知能エレクトロニクス卓越大学院プログラム」は、人工知能の利活用によるイノベーション推進を目指す内容で、IT人材育成に資するものとなっている( http://www.aie.tohoku.ac.jp/missions/ )。

政府の人材育成取組み

もっとも、そうした高度なIT人材育成だけが政府の取組みではない。経産省は、基礎的なIT関係資格試験の拡充を進めるほか、社会人に役立つ内容を認定する「第四次産業革命スキル習得講座認定制度」を通じて幅広い層でのスキルアップを後押ししている。後者で認定された講座の一つには、一般のビジネスパーソンを対象に、デジタル技術のビジネス活用について指南する内容(5)もある。また、経産省所管の独立行政法人情報処理推進機構(IPA)は、ビジネスパーソンに求められるITリテラシーの定義について検討し、「ITリテラシースタンダード」を策定している(6)。文科省も、今後の教育におけるITリテラシーの習得を重視し、初等教育におけるプログラミング教育の必修化等を進めている。こうした姿勢は、経産省が2017年に公表した「新産業構造ビジョン」や、「未来投資戦略(7)」でも確認できる。前者で示された「第4次産業革命の中で求められる人材」の育成方針(図表3)では、今後必要となる人材を「(1)基礎」、「(2)ミドル」、「(3)トップ」の3層に分け、それぞれの課題と必要な取組みが明記されていた。(1)に記載のある「全てのビジネスパーソンに基礎的ITリテラシー」は「未来投資戦略2017」にも盛り込まれ、政府が国全体のITリテラシー底上げを目指していることが分かる。

デジタル化,人材
(画像=ニッセイ基礎研究所)

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(5)認定講座の一つ、「AIジェネラリスト基礎講座」は、「AIができる事・できない事を説明できるようになる」ことと、「AIを業務に適用するための提案ができるようになる」ことで、ビジネスサイド(ジェネラリスト)がAIに対する正しい理解を得ることを助ける内容となっている。
(6)「ITリテラシースタンダード」は、「将来の成長や競争力強化に向けたビジネスの改善・刷新と効果的なIT活用・投資を進めるための、主に事業部門やスタッフ部門などで勤務するビジネスパーソン(非IT技術者)に求められるIT知識や技能、情報活用能力とその領域」を示したもので、それによればITリテラシーは「社会におけるIT分野での事象や情報等を正しく理解し、関係者とコミュニケートして、業務等を効率的・効果的に利用・推進できるための知識、技能、活用力」とされる。( https://www.ipa.go.jp/files/000070624.pdf )
(7)「未来投資戦略2017」では、「日本で働く全ての者が『IT力』を備え、全ての企業人が、それぞれのニーズに応じた『IT力』を身につけ、『IT力』を活用した付加価値の創造を絶え間なく行うようになる」ことを目指すべきとされている。 なお、「未来投資戦略2018」では、全ての社会人が持つべき「ITリテラシー」についての基準を策定することが具体的施策として追加され、前述のIPAの検討に繋がった。

全層で進めるデジタル化

このようにITリテラシー底上げが重視されるのはなぜか。それは、デジタル化の目的が「ビジネスや組織の活動・内容・仕組みを戦略的・構造的に転換して価値創造に繋げていくこと(8)」であり、一部の高度エンジニアだけではこれを成し遂げられないためだ。企業においても、デジタル化を成功させるためには、経営陣も含めた構成員全層でのITリテラシー向上が求められる。

各種提言でもそうした指摘が見られる。例えば、経済同友会「先進技術による新事業創造委員会(9)」の報告書では「企業が真のデジタル革命を勝ち抜くためには、経営者自身が先進技術の動向に絶えず注意を払うとともに、2020年代後半までに残された時間の中で、産業の構造的変化に対応するために、自社の改革を進めなければならない」と言及がある。また、デジタル化実現に当たっての、現状のITシステムにおける課題と対応策をまとめた経産省の報告書「DX(デジタルトランスフォーメーション)レポート」(2018年9月公表)でも、デジタル化を競争力の維持・強化に繋げる上で、「デジタル化によるビジネス変革の方向性を経営戦略で定める」ことの重要性が指摘されている。デジタル化に伴う重大な意思決定が増える中、経営陣の意識改革が求められそうだ。

これは実務の現場で働く多くの従業員も同様だろう。現場のニーズも顧客のニーズも、現場で顧客に接する実務担当者が一番詳しく、その声抜きでは業務効率や顧客体験の向上もままならない。現場の従業員が「我が事」としてデジタル化に努めていく意識も必要だろう。

前出の「DXレポート」には、かつてシステム企業に開発を任せきることで完成した「レガシーシステム」の課題も指摘された。現在の日本企業で使用されている、属人化した複雑なシステムは今後デジタル化の足かせになるリスクがあるという指摘だが、今後のデジタル化においても、関係者が当事者意識を持つことなく、一部のIT人材に開発を丸投げすれば、同じ失敗を繰り返しかねないのではないだろうか。

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(8)神岡太郎 一橋大学教授「デジタル化と顧客価値創造(6) 企業組織の変革も必要」 2018年12月13日 日経電子版( https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38832900S8A211C1SHE000/ )より
(9)先進技術による新事業創造委員会報告書「真のデジタル革命を勝ち抜く‐二つの潮流に対応するために企業のデジタル変革は待ったなし‐」( https://www.doyukai.or.jp/policyproposals/uploads/docs/190304a.pdf )より。なお、同委員会で委員長を務めるアクセンチュア相談役の程近智氏は、経営者自身がITのトレンドを掴むことが重要で、こうしたトレンドを経営のツールとして理解していなければ、チャンスを逃すと発言している ( https://www.doyukai.or.jp/publish/uploads/docs/2019_05_05.pdf )。

おわりに

6月5日の未来投資会議において示された「成長戦略実行案」を見ても、デジタル化が引き続き我が国の生産性向上、社会課題解決の一つの鍵となることは間違いなく、IT人材の不足が大きな課題となることも確かだ。同7日に公表された「デジタル時代の新たなIT政策大綱」の案でも、IT人材、AI人材の育成に焦点が当たっている。

しかし、AI等の先端技術を扱うエンジニアばかりをイメージして、デジタル化は「一部の専門人材」が取組むものと捉えてはならない。社会のニーズを利用者視点で見極めること、デジタル技術を新しい価値に結び付ける視点は、今後誰にとっても日々の業務で必要となる。そのための最低限のITリテラシーがあらゆる人材に求められる。

本稿では触れることができなかったが、地方や中小企業固有の課題をデジタル技術の活用によって解決出来る人材の育成も別途必要な視点(10)と言えよう。こうした各種課題は山積するものの、まずは今後我が国の幅広い層でのITリテラシー底上げが進み、デジタル化成功に繋がっていくことに期待したい。

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(10)こうした課題への政府の対応策として、中小企業に専門家を派遣する「戦略的CIO育成支援事業」がある。同事業は、派遣先の中小企業の経営者・従業員のITリテラシー底上げを目的の一つとしている。

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牧野敬一郎(まきの けいいちろう)
ニッセイ基礎研究所 総合政策研究部 研究員・経済研究部兼任

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