日本人が知らない「国際ニュースの核心」

サウジアラビア,茂木誠
(画像=THE21オンラインより)

激動の国際情勢を、一段深く理解したい。そのためには、世界史の知識が欠かせない。この連載では、世界史を大きなストーリーとして捉える見方でおなじみのカリスマ塾講師・茂木誠氏が、現在の国際情勢の歴史的背景を、キーワードで解説する。

イランとサウジアラビアはなぜ対立を続けるのか

民族間・宗教間の紛争がいまだ続く中東。中東の情勢は複雑でわかりにくいと感じる読者も多いのではないでしょうか。

中東を理解する視点として、イランとサウジアラビアの対立があります。両国は2016年から現在まで国交断絶が続いています。

サウジアラビアがシーア派の宗教指導者を処刑したことにイラン国民が反発し、テヘランのサウジ大使館を襲撃したことが引き金になりました。

両国の対立の背景にあるのは、宗派の違いです。イスラム教には、シーア派とスンナ派があります。シーア派は、イスラム教を始めた預言者・ムハンマドの血統を重視し、彼の12人の子孫を指導者とする立場を取ります。

シーア派を代表する国がイランです。スンナ派は「預言のすべてはコーランに書かれている」と考え、血統より教典を重視します。スンナ派は、アラブ諸国で多数派を占め、その代表格がサウジアラビアです。

このような宗派の対立はあるものの、両国はずっと対立してきたわけではありません。

サウジアラビア王家であるサウード家は、20世紀前半からアメリカの石油資本に石油を掘らせ、膨大な利益を得てきました。サウジアラビアが親米国家である理由はこれです。また、イランも1970年代まで、ソ連の中東進出を防ぐ防波堤の役割を果たしてきた親米の王政国家でした。

両国の対立が鮮明になったのは、79年に起きたイラン革命以降。この革命は、近代化による富の不均衡に対する反発が、「イスラムの伝統に戻るべき」というイスラム主義の台頭を招いたことが背景にあります。イランにシーア派革命政権が誕生すると、ペルシャ湾岸諸国のシーア派がこれを支持。アメリカとべったりのサウジアラビアを批判し、イランへなびくカタールのような国も現れました。

そればかりか、サウジアラビア東部のシーア派住民がイランに寝返る可能性も出てきました。油田が集中するこの地域を失えば、サウジアラビアには砂漠しか残りません。サウジアラビアがイランとの対立姿勢を強める裏には、宗派対立に加え、石油の奪い合いがあったのです。