(本記事は、田辺由香里氏の著書『瞬間記憶術〜たった3日で驚くほど頭が良くなる本〜』ぱる出版、2019年9月24日刊の中から一部を抜粋・編集しています)
人の名前が憶えられないって本当?
幼稚園くらいから記憶をさかのぼって、小学校、中学校、高校…と辿っていったときに、担任の先生の名前を全部言えますか?
初恋の相手の名前は憶えていますか?
2番目に好きになった人の名前は? 3番目は? 4番目は???
途中からわからなくなりませんか?
人の記憶というのは「この情報は大切!」と感じたときを残しておく仕組みになっています。
「人の名前が憶えられないのです」というセリフは、つまり、周りの人に「興味がないのです」と言っているのと同じこと。
脳の中で「この人は自分にとって重要ではない」と感じたら、その人の名前は記憶に残りません。
反対に、私の名前をしっかり憶えていてくれる人は、私のことを大切な人と感じてくれたということです。
一番焦るのは相手がきちんと名前で呼びかけてくれているにもかかわらず、こちらに記憶がない場合です。本当に申し訳ない気持ちになります。
余談ですが、そのときの処方箋はこうです。
「お名前何でしたっけ?」 「○○で」 「ええ、そうじゃなくて……○○さんの下のお名前何でしたか?」 「△△です」 「あ、そうそう!△△さんだ!△△さん、最近調子はどうですか?」
と何事もなかったように会話を続けましょう。
もう二度と忘れないぞと心に刻みながら!
人の名前を憶えたければ、目の前の人を自分の大切な人だと感じて、名前を絶対に忘れない!と心に刻むことです。
その上で何回も意識して相手の名前を呼びかけながら会話してみてください。
「はじめまして」という挨拶は「○○さん、はじめまして」に。
「どちらにお住まいですか?」という質問は「○○さんは、どちらにお住まいですか?」に。
「ありがとうございます」というお礼は「○○さん、ありがとうございます」という言葉にします。
いつもの会話に一言相手のお名前を添えるだけです。
ほんの少しの意識の違いで、驚くほど相手の名前が憶えられるようになります。
余談ですが、日本人の一番好きな言葉は「ありがとう」という感謝の言葉だそうです。
その次に相手が嬉しくなるのは、自分の名前をきちんと呼んでもらったときだそうです。
幼稚園のときの記憶を思い出しました。
私の名前は由香里(ゆかり)ですが、幼稚園のとき、同じクラスにもう1人「ゆかり」ちゃんがいました。
私が通っていた幼稚園では先生はみんなを下の名前で呼ぶことになっていました。
クラスに2人のゆかりちゃんが存在するということで、もう1人の「ゆかり」ちゃんは「ゆかり」ちゃんと呼ばれ、私は名字で呼ばれることになったのです。
幼稚園児なのに先生から中津さん(旧姓)と呼ばれるのです。
ものすごく悲しかったです。
先生に悲しいと言えず、甘んじて名字で呼ばれることを受け入れましたが、40年以上経った今でも、なぜあの子がゆかりちゃんで、私が中津さんなのだ?という想いがあります。
かなりしつこいですね。
それくらい人は名前を呼ばれるのを嬉しく感じるということです。
名前つながりで記憶に残っていることが他にもあります。
中学一年生のときの忘れられない事件です。
クラス名簿に印刷された名前が「由香里」ではなく「油香里」になっていたのです。今、冷静に見ると、なかなか面白くて斬新な漢字だと思いますが、思春期の乙女にとって、これはとうてい許しがたい事件でした。
先生の持っている、出席名簿。忘れもしません。硬い黒い表紙に二つの穴が空いていて、それをひもで結んである出席簿です。
全ての授業で、先生はその名簿を見ながら出席を取ります。
出席を取るとき、「なかつゆかりさん」と呼ばれるので、音は間違いありません。
しかし、そのあなたが発音している「ゆ」は「油」でしょ?
「由」じゃないでしょ?と思うと、いても立ってもいられず、席を立って先生の出席簿をのぞき込んで「ここ、油じゃなくて由です」と何度も訂正して直してもらいました。直してもらっても二本線で消されて訂正されるので嫌な気分は変わりませんでした。
相手を大事な人だと思っているかどうかのバロメーターは、その人の名前を憶えているかどうかです。
相手に興味を持ち、相手を理解しようとする心は愛に通じます。
インドの詩人、ラビンドラナート・タゴールも「愛とは理解の別名なり」と言っています。
相手を大切にしよう、理解しようと思うと、目の前の相手にきちんと目が行き、その人の微細な変化をキャッチすることができます。
昔の人が本名を明かさず、通称を使ったのは、人の名前には特別な力があると思っていたからかもしれません。