(本記事は、教養総研 (著)『すぐに真似できる 天才たちの習慣100』KADOKAWAの中から一部を抜粋・編集しています)
1日に何度も考え方を変える
この天才の名言
「自分には自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。どんな道かは知らないが、他の人には歩めない。」
「人生も経営である。」
「経営の成功の秘訣は、大きな道を堂々と歩くことにある。」
「日に百転」という造語に込められた意味とは?
松下電気器具製作所(のちの松下電器産業、現在のパナソニック)を創業し、日本国内では唯一「経営の神様」と称えられている松下幸之助。
「 君子は日に三転す」という言葉があります。
これは、はるか昔の中国の賢人が説いた言葉で、「君子(=リーダー)は1日に三転する必要がある」という意味です。
企業や学校など、組織のトップリーダーがそんなにコロコロと考えや方針を変えてしまっては、彼らに従っている社員や生徒は困ってしまうのでは? と皆さんは思うかもしれません。でも、幸之助はそうは思わないのです。
彼は実は、「君子は日に三転す」という故事成語を自分流に変えて、「日に百転」という造語を生み出しています。つまり、「日に100回も考え方を変える必要がある」ということです。
これに関して、社長時代の幸之助と社員とのあいだに起こったエピソードが残されています。業績の拡大とともに、組織や体制を変化させることを厭いとわなかった幸之助に対し、ある社員が「社長の考えは毎日変わります。組織をそんなに変えてもらっては、仕事になりません」と物申しました。すると幸之助は、こう切り返したといいます。
「朝言ったことが夕方にはすでに旧式になっている。それは変更ではなく、進歩なのだ」
幸之助は著書『道をひらく』の中でも、このことについて「1日に3度も考えが変わるということは、すなわちそれだけ新たなものを見いだし、生み出しているからこそで、これこそ君子なりというわけである」と述べています。
昨日の自分よりも、今日の自分。さらに、今日の自分よりも、明日の自分。そうやって日々自分をアップデートし続けていくことが、企業人ないし人間としての成長なのだといわれている気がします。松下幸之助は「知識」というものについて、こう考えていました。
「知識は道具である。知識の奴隷にならずに、知識の主人公になって、知識を縦横無尽に使いこなさなければならない」
ただし、矛盾するようですが、「むやみに変わってはいけない」とも幸之助は考えていたようです。昭和40年代はじめ、当時100万部を超えていたPHP研究所の月刊誌『PHP』の伸びが少し鈍ってきたため、編集長は表紙から編集後記に至るまですべてを一新したのですが、完成した号を見た幸之助は激怒。「編集がマンネリ気味なので変えた」と弁明した編集長に対し、幸之助は「ものには変えていいことと、変えてはいかんことがある。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)というお念仏、あれ何百年もくり返していて、もうマンネリや言うて変えてるか」[※1]といったという逸話もあります。
上司の指示に盲従した社員に松下幸之助が放った一言
松下幸之助の評伝や関連本の中には、彼が工場を視察したり来賓とともに歩いている姿の写真が掲載されている場合が少なくありません。
「『松下電器ってどんな会社ですか?』と尋ねられたら、『松下は人を作っています。あわせて電気製品も作っています』と答えなさい」という言葉を残した幸之助だけあって、社員との距離はいつも近いものであったかもしれません。
幸之助はいつも、新製品が開発されていると聞くと興味を持ち、自身で手にとって、担当者にいろいろと話を聞きました。
ある日のこと。関連会社の工場を視察し、新商品について技術担当者から説明を受けた幸之助は、こう述べました。
「きみ、この商品のデザインはもうちょっとこうしたほうがええのとちがうか?」
尋ねられた社員は、「実は私も製作段階ではそう思っていたのです。しかし、上司の反対にあい、結局このような形にしました」といいました。
すると、幸之助はとたんに顔を曇らせ、このようにいって諭したといいます。
「きみ自身がこうしたほうがいいという考えを持っていたのであれば、なぜ上司を説得しなかったんや。上司説得の権限はきみにあるんやで」
上司を「説得できる権限」が部下にあるなど、普通は思わないでしょう。でも、幸之助は、上司の考えを変えることができる存在は部下しかいないと考えていたのではないでしょうか。
幸之助はしばしば社員に対して、年齢、地位、役職にかかわらず、「自主自立の精神」でもって仕事に取り組むことの重要性を説いていました。上司も、部下の意見に耳を傾け、自分の考えを改め、更新することが、会社の発展と社会の繁栄をもたらすものであると考えていたようです。
- プラスα 「自分を大切にする習慣」で自己肯定感が増す
- 上司や重役と接する時、自分の意見を十分にいえないまま終わるというような場合があります。しかし、それは自分の態度をますます弱々しいものにするだけ。自分の意見を述べ、卑下(ひげ)しない態度を続けるうちに、堂々とした雰囲気をまとうようになるはずです。このような習慣を続けていると自己肯定感も増し、「自分が大切な存在」であることが無意識下に刷り込まれるようになるのと考えられています。