(本記事は、グレッチェン・ルービン氏の著書『人生を変える習慣のつくり方』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

時間,時計
(画像=PIXTA)

15分あればどんな欲求も必ず消せる

「意識的に自己を否定すると、自分のことしか考えられなくなり、自分が払った犠牲が鮮明に思い浮かぶ。そうすると、目の前の目的を達成できないことが多い。最終的な目的は、まず間違いなく達成できない。必要なのは自己否定ではない。外に関心の対象を向けることだ。そうすれば、己の美徳の追求に没頭している人が、意識的な自己否定を介してしか実行できないことを、自発的かつ自然に行うようになる」

バートランド・ラッセル
『幸福論』

ある晩、わたしは新たに思いついた方法が習慣の維持に役立つかどうか調べていると夫のジェイミーに話した。あれこれ考えているときは、誰かに話したほうが理解が深まる。

「どんな方法?」と彼が尋ねてきた。

「気をそらすの」

「簡単そうだね。僕はすぐに気がそれるよ」

「そうじゃなくて」とわたしは答えた。「偶発的に気がそれることとは別なの。自分でわざと気をそらなくちゃいけないの。なかなか難しいわよ」。

自分で自分の気をそらすと、意図的に思考の矛先(ほこさき)を変えることになり、ひいては認識も変わる。気をそらすと、誘惑に対抗する、ストレスを最小限に抑える、気分を変える、つらいことに耐えるといったことにつながるので、良い習慣を維持しやすくなる。

もちろん、ただ気をそらせばいいというものでもない。良い習慣の維持につながる気のそらし方が必要だ。夜中にネットショッピングをする習慣をなくしたいと思っている人が、画像共有のサイトにアクセスするのは、いい気のそらし方ではない。それに、意識だけを別のことに向けようとしても難しいので、物理的な行動を伴うほうがいい。たとえば、近所を散歩する、大工仕事をする、猫のトイレを掃除するといったことだ。子どもとキャッチボールをするというように、自分が楽しめることであればなおよい。

気をそらすというのは、消したい思いを抑圧するという意味ではない。別のことに意識的に注意を向けるという意味だ。ある思いを消そうとすると、かえってその思いが強くなり、皮肉にもそのことばかりずっと考えてしまうことがある。眠らないと翌日がつらいと考えれば考えるほど、その思いが頭から離れなくなり、結局はイライラして寝つけない。だからわたしはそんなとき、「寝ないといけない」と思うのをやめようとするのではなく、別のことに注意を向けるようにしている。

欲求と時間の関係

時間分散
(画像=Shutterstock)

欲求は時間とともに強くなると思いがちだが、気をそらす何かをすると、たとえそれが強い衝動であっても、大抵は15分以内に収まるという。だからわたしは、良い習慣を怠けたい誘惑にかられたら(もしくは悪い習慣に手を染めたくなったら)、「15分後にしよう」と自分に言い聞かせる。15分あれば、別のことに気をそらすには十分だ。うまく気をそらせれば、誘惑によって生まれた欲求をすっかり忘れてしまうこともある。

友人の女性は、買い物中に散財したい誘惑にかられたら、場所を移動してその欲求を抑えるという。「自分に言い聞かせるの。『買い物を終えた後でやっぱり欲しいと思ったら、戻って買えばいい』って。でもその頃にはもう、その商品のことを忘れているか、戻るのが面倒になっている。買いに戻るのは、それが本当に欲しいときだけ」。

「やりたいことは15分後にやればいい」と自分に言い聞かせるほうが、「やってはダメ」と言うよりいい結果が生まれる。禁じてしまうと反動で逆効果になることもあるからだ。喪失感が生まれると、禁じられたことにますます惹きつけられてしまう。

この15分待つ作戦は、わたしが直したいと思っていた「SNSやメールを頻繁に見てしまう悪習」にも効果があった。スマートフォンやパソコンをクリックしたくなったら、「15分待て」と自分に言い聞かせる。それでも見たいと思うことはときどきあるが、すでに別のことをやり始めている場合がほとんどなので、その衝動は消えてしまう。

気をそらすおもしろい方法を、いろいろな人から教えてもらったので紹介しよう。ある人は、ワインを1杯飲んだら次は必ず水を飲む。お酒のおかわりが欲しくなったら、足の裏に意識を集中させるという人もいる。食欲を抑えるには、グレープフルーツやペパーミントの匂いを嗅ぐといいという話も聞いた。間食を避けるために手を動かすという人は多い。「マニキュアを塗れば手がふさがる」と友人のひとりが言っていた。「それに、ネイルが乾くまで何も食べられない」。

気をそらす対象は、苦痛を感じることや心が乱されるものよりも、入り込みやすいものや楽しい気持ちになるものがいいという。それは当然だろう。映画を観るなら、『シンドラーのリスト』よりも『シュレック』のほうがいい。

気をそらすことで、厳しい批判を受けたときの動揺も静まる。ブログ読者から送られてくるメールは、たいていは思いやりがある。少なくとも、建設的ではある。でも、ある1週間のうちに、わたしの容姿を攻撃する人とサイトについて揶揄(やゆ)する人が現れた。

そういう類いのメールが届いたら、わたしは努めて穏やかな文面で返信することにしている。ときには、そういう人から心のこもったメールがさらに届くこともある(辛辣なメールを送ってきた3年後に謝罪のメールを送ってきた人もいた)。返信する前に気持ちを落ち着かせようと、わたしは気をそらすことにした。サイエンス・デイリーのウェブサイトをのぞいて、自制心をもって行動できるようになるためのヒントを探した。

また、携帯電話を使って沈んだ気分から気をそらそうとした友人もいた。彼は葬儀に出席することになったため、大事な打ち合わせに来られなくなった。「明日の午後にどうなったか電話が欲しい」と彼は言った。「できないわよ!」とわたしは言った。「お祖母さまの葬儀を抜けることになるじゃない」。

「いや、だからこそ電話してほしいんだ。葬儀から気がそれるから」

わたしはときどき「ダメな状態」になることがある。クタクタに疲れきっているのに、なぜか神経が高ぶって眠れない。そういう状態になると、楽しくもないことにふけってしまう。つまらないテレビ番組を観る、退屈な本を最後まで読み切る、美味しくもないものを食べる、興味もないサイトをクリックして回る、極めつけは、すでに読み終えた雑誌をパラパラとめくることまである。

「いい状態」のときは何ごともスムーズに進む。時間はあっというまに過ぎても充実感があり、エネルギーがわいて活力がみなぎる。一方、ダメな状態のときは時間に対する感覚がなくなり、口が半開きのまま椅子に座っている自分に気づいて、時間を無駄にしたと後悔する。だから、ダメな状態になる兆候に目を光らせるようにしている。椅子から立ち上がるのも億劫になり、何にも関心をもてない状態になっていると気づいたら、その状態から抜けだすために必死で気をそらす。ありがたいことに早くベッドに入る習慣には、ダメな状態に陥る頻度を減らすという嬉しいおまけがついてきた。クタクタに疲れきった状態でも夜更かししなければ、ダメな状態には陥らない。

「気をそらす」ときの留意点

初心者
(画像=Getty Images)

気をそらすことは良い習慣の維持に役立つとはいえ、当然ながらデメリットもある。たとえば、わたしは仕事中に新着メールを知らせる音が鳴ると、仕事に集中できなくなる。メールが届いたとわかれば、読まずにいるのはすごくつらい。だから、数分使ってメールの着信音をどうにかして消した。また、仕事中に気がそれないようにするため、執筆は仕事部屋ではなく自宅近くの図書館で行うようにもしている。オフィス勤めではないので同僚の邪魔が入ることはないが、自宅でも邪魔が入る可能性はある。でも図書館なら、電話もドアベルも鳴らないし、メールも届かない。

自宅のワンルームマンションを仕事場にしている友人は、昼寝とつまみ食いの誘惑を避ける方法を編みだした。毎朝起きるとベッドを整え、朝食を食べ、その後は仕事に没頭する。ベッドに座ることも、昼食の時間を除いてはキッチンに入ることも自分に許さないという。作家のジーン・カーは、執筆時間の半分を自家用車のなかで過ごした。そこにいれば、4人の幼い息子に邪魔されることはないし、書く以外にすることもない。

図書館を仕事場にすることで邪魔が入る問題は解決したが、あるとき、自宅でも仕事ができるよう自分を鍛える「べき」ではないかという思いが頭をよぎった。メールやSNSの誘惑に対抗できるだけの自制心を身につけるべきではないか? 荷物を抱えて図書館に行かなくてもすむくらいに、自分で自分を管理すべきではないか?

でもすぐに、それは違うと思い至った。いまの仕事の習慣はすごく自分に合っている。自宅にいるときは、メールやSNSなど、オンラインが関係する仕事に取り組み、執筆に集中したいときは図書館へ行く(コーヒーショップのときもある)。なぜ無理に変える必要がある? わたしは図書館が大好きだ。そこで仕事をすることが楽しい。自宅のマンションから1ブロックの距離なので、移動する時間も大してかからない。新鮮な空気を吸って太陽を浴びながら歩くのもいいことだし、往復の途中でちょっとした休憩をとることだってできる。

それに、わたしは自分のことを知っている。家でネットの利用を制限しようと思ったら、かなりの自制心が必要になるだろう。でも図書館にいれば、ネットに誘惑されることは絶対にない。自制心を無駄に費やす必要がどこにある? 自分を変えるより、自分の環境を変えるほうが簡単だ。

また、短い中断時間を設けると、ほかのことに気をとられにくくなる。長時間集中したいときに短い休憩をとって別のことをすると、集中力が長続きするのだ(あくまでも短い休憩であること)。友人は、行き詰まるとジャグリングをする。「休憩に最適」だと彼女は言う。「楽しいし、身体を動かすし。かなり集中力もいるけど、頭は使わないし。それに、あまり長くはできないから、休憩も長くならない」

わたしにもこの類いの習慣がある。図書館のなかを歩きまわって、目を引くタイトルの本を探すのだ。わたしはそれをするのが大好きで、この方法でたくさんの良書を見つけてきた。これは悪い習慣だと思っていたのだが、そうではなく良い習慣なのだと認識を改めた。時間を無駄に使っているように思えていたが、実は最高の気分転換になっていたのだ。実際、わたしは3時間続けて書くことはおろか、45分も続かない。たびたび休憩をとらないと、もたないのだ。長く続けるために、ときどき休むことを自分に許す。わたしにはこのやり方が合っているようだ。

人生を変える習慣のつくり方
ルービン・グレッチェン
作家。キャリアのスタートは法律家で、アメリカ初の女性連邦最高裁判事サンドラ・デイ・オコーナーの書記官を務めていたときに、作家になりたいと気付いて転身した。作家となってからは、習慣、幸せ、人間の本質を追求し、世間に大きな影響を与えている。著作は多岐にわたり、なかでも『The Happiness Project』(『人生は「幸せ計画」でうまくいく!』)はアメリカでミリオンセラーとなり、30カ国語以上に翻訳された。習慣や幸せについて探求したことを報告するブログやポッドキャストも人気で、本だけでなくオンライン活動のファンも多い。彼女のポッドキャスト番組は、iTunesの「2015年ベスト番組」に選出された。また、彼女自身も、アメリカでもっとも尊敬を集める女性司会者として知られるオプラ・ウィンフリーにより、「2016年オプラが選ぶスーパーソウル100」に選ばれている

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