(本記事は、グレッチェン・ルービン氏の著書『人生を変える習慣のつくり方』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

武器
(画像=PIXTA)

「先延ばし」をやめる強力な武器

「わたしは書く習慣が大切だとずっと信じている。(中略)天賦(てんぶ)の才の持ち主ならば必要はないかもしれないが、そこまでの才能の持ち主はほとんどいない。凡人の能力は、物理的および知的な習慣によってつねに支えていないと、枯渇し消え去る程度のものにすぎない。(中略)もちろん、何を習慣とするかは、自分にできることに即して決めないといけない。わたしはエネルギーがもたないので、毎日2時間しか書かない。ただし、その2時間は何ものにも邪魔をさせない。決まった時間、決まった場所で、毎日必ず書く」

フラナリー・オコナー
『存在することの習慣─フラナリー・オコナー書簡集』より1957年9月22日付けの手紙

何かを行うときは、日時を具体的に定めて予定にいれるとよい。行動を予定にいれると、それを習慣化しやすくなる(レブルは例外だが)。

習慣が強力かつ素早く定着しやすいのは、予定どおり繰り返し行ったときだ。人は、予定にいれると、そのとおりに行動しようとする。大学やロースクールに通っていたときに、「授業に行くべきか」「今夜これを読む必要があるか」などと考えたことはほとんどない。授業がある日は当たり前に出席し、講義要項に含まれている本も当たり前に読んだ。

朝の予定を決めている友人もいる。彼女は4時30分に起きて20分瞑想し、懐中電灯を持って40分散歩に出かけ、ふたりの息子と一緒に朝食を食べ、シャワーを浴び、身支度を整える。そして電車に乗って7時30分に職場に着く。ほかの人が同じことをやろうとしても、難しいと感じるかもしれない。だが彼女にとってはそうではない。それらはすべて、彼女のなかではやると決まっていることなのだ。

何かを予定にいれるとなると、その日にできることの限界と向き合うことにもなる。何か一つ予定をいれれば、その時間にほかのことはできなくなる。これはいいことでもある。なかなか「ノー」と言えない人にとっては特にありがたいだろう。わたしは娘のイライザと、水曜日の午後は「冒険」に出かける(「冒険」といっても大したことはなく、大抵は博物館に落ち着く)。イライザが難しい年頃にさしかかったこともあり、毎週必ず彼女と

一緒に楽しい時間を過ごしたい。だから、「冒険」を予定にいれたのだ。その日に誰かから頼みごとをされても、自動的に「その日は先約があるので」と答える。予定にいれると、自動的にその行動をとるようになり、いずれ習慣となる。

予定を立てることが好きな人は多いが、アップホルダー(約束を守る人)の場合は、先が見通せる状態や、やることリストの項目がどんどん消えていくことに特に魅力を感じる。クエスチョナー(疑問をもつ人)がカレンダーに予定をいれるのは、納得のいく理由があるときだ。オブライジャー(義務を果たす人)の場合は、カレンダーに表示される予定を見るだけで責任意識が生まれることもある。その反面、何をするかを自分で決めたいレブル(抵抗する人)の場合、カレンダーに予定表示されるだけで著しくやる気を失うだろう。

新しい予定をいれてみる

わたしは、これまでずっと習慣にしたいと思っていたことを、予定にいれると決めた。何をするかというと、瞑想だ。わたしはずっと瞑想に抵抗を感じていた。正直言って、何がいいのかわからなかった。でも、1カ月のあいだに3人から瞑想のよさを聞かされ、わたしは興味を惹かれた。これまで読んだどんな本や記事よりも、彼らから聞いた体験談が心に響いた。

やったほうがいいかもしれない、とわたしは思った。幸福の研究で知られるダニエル・ギルバート教授は、やろうと思っていることで自分が幸福を感じるかどうかを確かめたいなら、それを体験中の人にどう感じるか尋ねるのも一つの手だと述べている。人は、自分と他人との違いを大げさにとらえようとするところがあるが、一般に、誰かが満足したことは別の誰かも満足する確率が高い、というのが彼の主張だ。

そして、知り合いから言われた次の一言によって、わたしはとうとう瞑想をすると決心した。「瞑想をやってみて続かない人がいるのは知ってる。でも、瞑想が時間の無駄だったと思っている人はひとりも知らない」。

瞑想の入門書には週に3日、20分の瞑想から始めるとよいと書かれていたが、20分は長すぎるように思えたので、毎日5分の瞑想を習慣にしようと考えた。

新しい習慣を予定にいれる場合は、「朝食後」というように既存の習慣と組み合わせるか、「アラームを鳴らす」などきっかけとなる何かの力を借りるとよい。そのように思いだすきっかけがないと、すぐに忘れてしまうからだ。わたしも、「午前6時15分から瞑想する」と決めたりせずに、「朝起きて着替えたら瞑想する」ことにした。

ところが、初日の朝は思いがけず疲れていた。「瞑想は元気なときまで延期したほうがいいかも。今日やるのは大変。こんなに眠いのだし」と悪魔の囁きが聞こえた。だが、そんな囁きを鵜呑みにするほどナイーブではない。何かを行うとき、それに「ふさわしいタイミング」で始めたいという欲求は、延期を正当化するための言い訳にすぎない。どんなことでも、始めるなら「いま」以上にふさわしいタイミングはない。

だから、着替えを終えるとすぐに携帯電話のアラームを5分後にセットし、ソファーの上からクッションを手にとって床に置いた。

わたしはあぐらをかいて手のひらを上にして中央に置いた。右手を左手の上に乗せて包み込むような形にし、親指の先を自然に合わせると、数分かけて身体をよじりながら姿勢を整えた。背筋をピンと伸ばし、肩を下げ、顎をひき、意識して心を落ち着かせる。それから呼吸に意識を集中させ、なめらかで深い呼吸を心がけた。

10秒ほど経つと、心がさまよい始めた。わたしは呼吸に意識を集中させた。だが、呼吸について考え始めたとたん、ウディ・アレンの映画のワンシーンが思い浮かんだ。そのシーンから、古代ギリシャの詩人が残した詩の断片が浮かび、そこから哲学者アイザイア・バーリンの著作が浮かび、さらにはトルストイに対して抱いている複雑な感情まで浮かんだ。そしてまた、自分の呼吸へと意識が戻った。ところが、呼吸に意識を向けてからわずか数秒で、「呼吸について考えたらウディ・アレンの映画のシーンに邪魔されたことを忘れずに書かないといけない」などと考えていた。

わたしは、「考えている事実」について考えている自分を客観視しようとした。けれどもその試みは、しだいによくわからないものになっていった。

呼吸をする。

どのくらい時間が経ったのかと思う。

呼吸をする。

これを20分なんてとんでもない。10分も無理だ。

そしてまた呼吸……。

呼吸を邪魔する思考が生まれても、できるだけ苛立ったり、私見を交えたりしないで観察しようと努めた。どんな思考も、頭のなかをただよっているだけだった。そしてようやく、終了の時間を告げるアラームの音が聞こえた!

瞑想を数日続けるうちに、わたしはいくつかのことに気がついた。まず、呼吸に意識を集中させようとしたとたん、呼吸の流れがとどこおって不自然になる。それまでは、呼吸は当たり前にできるものだと思い込んでいた。また、身体がふらついてクッションから落ちることも多かった。作家のソローが「衣服の新調を要求する仕事には気をつけろ」と言っていることもあり、わたしは新しい何かを必要とするものを警戒していた。とはいえ、毎日瞑想することを思うと、座りやすいクッションは新調する価値があるように思えた(買い控えタイプのこのわたしにすらそう思えた)。ネットで調べると、瞑想のためのさまざまなグッズがあることに驚いた。まさにわたしが必要としているもののようだったので、そのまま「いますぐ買う」をクリックした。

上手な予定のいれ方とは?

memo
(画像=(提供=J.ScoreStyle))

習慣として定着させたいことを予定にいれるときは、その行為をいつ、どのくらいの頻度で行うかを決める必要がある。一般に、習慣を形成したいなら、習慣として固定させることをいちばんに考えるとよいと言われている。要するに、意識しなくてもいつでも同じように行動する習慣をつけろということだ。わたしは毎朝、目覚めたら自分でも気づかないうちに歯を磨いている。車に乗れば、自然とシートベルトを締める。そしていまでは、朝起きて着替えがすんだら、瞑想することが当たり前になった。

しかし、すべての習慣が固定化されているわけではない。固定化されていない習慣のほうは、さまざまな決断や闘いが必要になる。わたしには、毎週月曜日にジムに通う習慣と、毎日執筆する習慣がある。ただし、ジムに何時に行くかは毎回自分で決めないといけないし、何時からどこで執筆するかも毎日自分で決めないといけない。良い習慣はできるだけ固定化させたいとは思っている。とはいえ、人生は複雑だ。何も考えずに自動的に行えないことがたくさんある。

とある研究では「21日続ければ、その行動が習慣になる」と言われている。だが、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの研究者が毎日の習慣として定着するまでにかかる時間を調査したところ、水を飲む、スクワットをするといった習慣が確立するのに平均で66日かかることが明らかになった。とはいえ、平均値はあまり参考にならないのも事実だ。誰もが実感として知っているように、習慣の身につきやすさには個人差があるし(習慣を受けいれたがるアップホルダーと、習慣に抵抗を覚えるレブルでは大きな違いがある)、習慣のなかにも確立しやすいものとそうでないものとがある。悪い習慣は簡単に身につきやすいが、身につくと人生が大変になる。その反面、良い習慣は身につきにくいが、身につくと人生がラクになる。

21日では習慣として確立しないかもしれないが、毎日その行動を予定にいれれば、さまざまな恩恵にあずかれる。毎日やるというところがポイントで、おもしろいことに、ふたりの奇才が毎日繰り返すことの偉大さについて書き残している。ひとりはアンディ・ウォーホルで、「一度きりか、毎日のどちらかだ。一度しかやらないことは刺激的だし、毎日やることも刺激的だ。でも、二度やったり、たまにやらない日があったりすると、つまらなくなる」と言った。もうひとりはガートルード・スタインで、彼もよく似たことを述べている。「毎日することが重要で、立派なのだ」。

意外に思う人もいるかもしれないが、たまにやるよりも毎日やるほうが実際ラクだと感じるのだ。仕事をする頻度が増えるほど、創造力が発揮でき、生産性が上がる。それに、仕事も楽しくなる。だから、わたしは1日も欠かさずに執筆する。週末も、長期の休みも、どこかへ旅行に出かけても、必ず書く。週に6日ブログを更新するのも、そのほうがラクだからだ。週に4日しか更新しないとなると、ブログを書く日についていろいろと思い悩むことになる。週の始まりは日曜日にすべきか、月曜日にすべきか。ブログの更新を免除できるほどのことをしたか。前日の投稿は「1回」に数えていいものか……、という具合だ。でも、週に6日更新していれば、こうしたことで悩まずにすむ。

自分にとって大事だと思う習慣は、できるだけ午前中に予定をいれたほうがいい。午前は比較的、予定どおりにものごとが進みやすい。時間が経つにつれ、予定どおりにいかないことが現実に起きたり、頭のなかで混乱が生じたりする。それもあって、わたしは新たに習慣にしたいことはすべて午前のスケジュールに組み込んだ。また、午前は自制心がいちばん働く時間帯でもある。ある企業では、午前9時30分までに社員食堂で食べる昼食のメニューを提出させることで、社員に健全な食生活を推進しているという。一度提出したら、メニューの変更は許されない。自制心は、時間が経つにつれて弱くなっていく。軽率な性行為、度をすぎたギャンブル、飲酒、衝動的な犯罪が夜に多いのは当然と言えば当然だろう。

だからといって、フクロウ型の人が早朝の時間を有効に活用しようとしても無理だ。子どもや仕事のために起きている、いまの時間が早起きの限界だ。フクロウ型の人は、夜に新たな習慣を組み込むほうが賢明だと言える。また、せっかくヒバリ型なのに、早朝の時間の使いみちの可能性に気づいていない人もいる。先日、わたしは友人のマイケルに次のようなメールを送った。

送信者:グレッチェン
前に「子どもの頃は、早起きがしたくて早朝のミサでの補佐役を買って出ていたくらいだから、本当は朝型なんだ」って言ってたでしょ。でも、いまは8時30分に起きてる。そこで提案なんだけど、起きる時間を早めて、朝の時間を有意義に使ったらどうかな。ジムに行く、読書をする、本を執筆する、犬と公園を散歩するとか、好きなことに時間を使うの。朝型人間なら、きっと楽しいと思う。よかったら試してみて!

しばらくすると、マイケルから次のような返信が届いた。

送信者:マイケル
アドバイスに従って、9日くらい前から早起きを始めました。早起きして好きなことをするっていうのは新鮮だね。近頃は、好きな本をずっと読んでるよ(散歩に出かけたり、朝食をつくったりもしているけど)。これまでにも早起きに挑戦したことは何度もあったけど、基本的にはすべて「仕事」のためだった。結局は、早起きする理由がすべてなんだね。これまでは、早く目が覚めても、仕事をする気分じゃなくてベッドに戻ることが多かった。でもいまは、この習慣が合ってるみたいで勝手に身体が起きてしまうこともよくある。

瞑想を始めてからずっと真面目に続けていたが、ある朝の出張先でのことだ。わたしは暗く静かなホテルの一室で目が覚めた。時刻は時差の関係で午前4時 20分。そのときわたしはこう思った。「旅先なんだし、瞑想しなくてもいいんじゃないか」。

でもその後すぐに、何とバカげた言い訳だと思い直した。ひとりきりの状態で、たった5分しか必要としないというのに、「出張」を言い訳にこれまで続けていた習慣をやめようと思ってしまった。「起きたらすぐに瞑想する。どんな言い訳も許しちゃダメ。瞑想する習慣は絶対になくさない」とわたしは自分に言い聞かせた。

毎回、どんな決断も必要とせずに同じことを繰り返す──これこそが、本当に身につけたい習慣を身につける秘訣だ。実際、習慣を確立するための習慣は、確立したい習慣そのものよりも重要だとわたしは実感している。どんな朝も、実際に瞑想する行為より、「瞑想しようとする」ことのほうが、わたしにとっては重要だった。

その一方で、わたしが身につけたい習慣のなかには、毎日でなくてもいいものもあった。日課にすると決めた習慣には、妹にメールをすること、それから、美しいものや興味を惹かれたものの写真を撮ることも含まれていた。妹のエリザベスとは、一緒に過ごす時間はおろか、電話で話す時間すらなかなかとれない。写真については、収める価値のあるものを探し求めることになるので、それを通じて感性が磨かれればいいと考えたのだ。

これらはしばらく続けたのち、絶対に毎日やらないといけないことはでないと考えを改めた。どちらの行為も、ほぼ毎日続ける程度で十分に習慣として定着したし、目的を達成できたからだ。

こんなことにも「予定」は役立つ

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(画像=トウシル)

人によっては、楽しみなことにも腰が重くなる場合もある。ブログの読者からこんな投稿があった。「わたしのいちばんの楽しみは、ピアノを弾きながら曲をつくること。でも、ほかにすることがなくなるまで、ピアノの前に座らない日がほとんどです」。

楽しみに時間を使うのは有意義なことだ。少なくとも、自分に楽しみを与えるほうが、自分により多くのことを課しやすくなる。先延ばしを研究するニール・フィオーレによると、遊びを予定にいれる人は、仕事を終えてからしか心おきなく遊べない人に比べて、やりたくない仕事に取り組もうとする傾向が高いという。ならば、楽しいことも予定に組み込んでしまえばいい。名著『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』のなかでも、著者のジュリア・キャメロンは「アーティストになる時間」を予定に組むことを提案している。要するに、週に数時間ほど「創造的な心と頭を育む時間」を設けて、美術館を訪れる、古物商をのぞく、行ったことのない地域を散策する、散歩に出かけることなどにあてるのだ。

わたしは、この一環として「手をとめる時間」を毎日設けることにした。その時間になると、メールのチェック、SNSの閲覧や書き込み、執筆活動をすべてやめる。コンピュータや携帯電話から身体を離して、「いまは手をとめる時間だからサボっていい」と思うのは気分がいい。とはいえ、一日の活動はその日によって違うので、手をとめる時間を具体的に決めはしなかった。日によって時間帯が変わる、流動的な習慣だ。

それから、先延ばしにしている雑事を片づける時間を設けたいとも考えた。どれも急ぎではないが、頭の片隅にそういうものがあるせいで、エネルギーが奪われるのだ。そこで、週に1時間をそうした用事にあてることにした。人は、短い時間で成し遂げられることを過剰に見積もる傾向がある。その反面、コツコツと長い時間続けて成し遂げることを過小評価する。友人の男性作家は、週にたった4時間の執筆時間で高い評価を得る小説を書いた。彼は、毎週土曜日の半日を互いに自由に使うと妻と取り決めていて、その時間を使って数年かけて書き上げたのだ。小説家のアンソニー・トロロープも次のように述べている。「日々の小さな作業も本当に毎日行えば、断続的でしかないヘラクレスの冒険にも勝る」

雑事をこなすため、わたしはまず「終わらせたいことリスト」をつくった。これは本当に楽しかった。やることリストに項目を加えていくことには、奇妙な満足感がある。このリストには、カンファレンスで話す内容を考える、飛行機のチケットを買うなど、期日があるものは一切含めていない。期日があることは、アップホルダーであるわたしの場合、リストに含めなくてもやるとわかっているからだ。また、支払いやメールの返信といった、繰り返し発生する雑事には使わないとも決めた。この1時間は、先延ばしにしていたけれど一度やったら終わることだけに使う。「いつでもできること」は、「いつまでたってもやらない」ものだ。そうして完成したリストは次のようになった。

  • 壊れたデスクチェアを新しいものと交換する
  • 家族旅行で撮った写真をアルバムにまとめる
  • 買い替えたシュレッダーをセットして、たまっている書類をシュレッダーにかける
  • 買い物でたまったポイントを使い切る
  • 不要になったバッテリーや電子機器をまとめてリサイクルに出す

この時間で最初に取り組んだのは、長らく放っておいたシュレッダー問題だ。初めて買ったシュレッダーがすぐに壊れてしまい、新たに買い替えたのだが、そのまま何カ月も放っておいたら、いつのまにかシュレッダーにかける書類が山になっていた。この、どうでもいいようなシュレッダー問題は、わたしの頭のなかで日に日に大きくなっていった。

だから、「この時間を使えばいい!」と気づいたとき、わたしはニヤリとした。シュレッダーの前に座り込み、壁のコンセントを確保して電源を差し込むと、見事に作動した。なかなかいい調子だ。

「イライザ、シュレッダーやりたくない?」わたしは振り返りながら叫んだ。

「やる!」イライザが駆け込んできた。「シュレッダー大好き!」。

予定にいれることで、活動に費やす時間を制限することもできる。つねにスケジュールがぎっしりの友人は、特定の業務を制限するというやり方で日常業務を管理している。「来客、打ち合わせ、ランチの予定は、火、水、木だけにいれるようアシスタントに伝えてある。月曜日はその週の仕事の準備をしないといけないし、金曜日は週のまとめをしないといけないから」。また、大学時代の友人は、好きな人ができると、夜の15分間だけその人のことを考えるようにしていた。ファストフードを食べるのは週に2回と決めている友人もいた。そうすれば、週に5回食べることにならない。

わたしは以前、歌手、俳優、作家とさまざまな顔をもつジョニー・キャッシュのやることリストの写真を新聞で見たことがある。新聞に掲載された写真では、用紙のいちばん上に「今日やること!」と書かれていて、その下に次のような文言が並んでいた。

  • タバコを吸わない
  • ジューンにキスをする
  • ジューン以外にはキスしない
  • 咳をする
  • おしっこをする
  • 食べる
  • 食べすぎない
  • 心配する
  • 母に会いに行く
  • ピアノを練習する

ジョニー・キャッシュは「心配する」ことまで予定にいれていた。心配する時間を予定にいれるというのはおかしな感じもするが、それによって心配が軽減されることは間違いない。絶えず心配するのではなく、決まった時間になるまで心配をおあずけにできて、時間がきたら心配をやめればいいのだから。

いますぐ行動するために

独身,羨ましい
(画像=PIXTA)

予定にいれると、「先延ばし」にするリスクが減る。人は「明日があるから大丈夫」だと思いがちだ。明日は必ず、効率よく真面目に取り組めると信じ込む。ある調査によると、1週間ぶんの食材の買い物リストには健康的な食品が多く含まれたが、いま食べるもののリストになると、身体にいいとは言えない食品を多く含める人が増えたという。

あるとき、わたしは妹のエリザベスとともに、カンザスシティに暮らす両親の元を互いの家族を連れて訪れた。そこで予定にいれることが先延ばしの防止にどう役立つかということについて考えていると、この実験の候補者が浮かんだ。エリザベスの夫であるアダムだ。

アダムもまた、妹と同じくテレビ作家だ。そして多くの作家同様、先延ばしグセにときどき悩まされている。先延ばしにする人は、やるべきことがあるとわかっていても、それにとりかかることができない。ところが皮肉なことに、そのやるべきことが頭から離れないせいで、それを忘れるための何かを自ら見つけるハメになる。といっても、楽しいことには時間を使えない。本来やるべきことがあると自覚しているからだ。だから、時間を決めて仕事することを習慣にすれば、先延ばしの防止に役立つかもしれない。成果が目に見 えることに従事すれば、先延ばしグセが発動する不安から解放される。

「ねえ、アダム。提案したい習慣があるんだけどいい?」とわたしは切り出した。「もちろん、やる、やらないはあなたに任せるから」。

「いいよ」アダムの声は乗り気だった。

わたしは決まった時間に仕事の予定をいれることについての簡単な説明をした。

「仕事をする時間を決めておくと、プレッシャーが軽減される。毎日書けば、どの日の仕事も重要度は同じになるから。それに、仕事をする時間だと決めておけば、その時間だけ仕事をすればいいから、それ以外の時間はオフになるわ。時間を決めていなかったら、一日中仕事の心配ばかりして、リラックスできない」

「ああ、わかるよ」アダムは言った。

わたしは彼に、平日の午前11時から午後1時のあいだを書く時間にあててはどうかと提案した。その時間は、執筆だけに専念する。メールのチェック、電話、リサーチ、机まわりの掃除などは一切やってはいけない。ジャックと遊んでもいけない。ジャックは、電車が大好きな3歳のかわいいわたしの甥だ。書くこと以外に許されるのは、窓の外をぼんやり眺めることだけだ。

「それからもう一つ」とわたしは続けた。「仕事と名のつくほかのことは、先延ばしのいちばんの元凶になりかねない。11時から1時のあいだは、書くための時間だからね。書く以外の仕事は一切やっちゃダメ」。

わたしが自宅の仕事部屋にいるときは、ブログのコメント欄に返信する、フェイスブックを見る、メールに返信するといったことを行う。でも、執筆(もっとも頭を使う作業)をしたいときは、図書館かコーヒーショップへ行く。そこへ行ったら、ネットには一切接続しないと決めている。この習慣のおかげで、メールやネットを見たり、家事に気をとられたりせず、書くことだけに専念できるのだ。図書館に行ったら、「ここに2時間いる」と心に決めて、その約束を守る。そうすれば、時間がくるまで書くことになる。

大学教授の友人からこんな話を聞いた。「ある大学の教授から生産性の高い研究者になる秘訣を教えると言われたことがあってね。彼は、リサーチと執筆にあてたい日は、午後4時まで電話に出ないしメールも見ないと決めているそうだ。そうすれば、4時までのあいだに、リサーチと執筆に1、2時間はとれる。その習慣を始めてからは、4時までは同僚からの邪魔も入らなくなったから、ますます仕事が捗るらしい」。

アダムと話してからしばらく時間をあけて、習慣の効果はどうかと尋ねるメールを送ってみた。すると、次のような返事がきた。

送信者:アダム
時間を決めて仕事をするのは、僕に合っているよ。今週はミーティングがたくさんあったけど、いつもの時間とミーティングがかぶれば、その後に執筆の時間を設けるようにしている。以前は、執筆にとりかかろうとするだけで一日かかり、結局何も書かない日がよくあった。いまは、誰かと約束しているみたいにきちんと書いている。決めた時間のあいだは、自然と書くことに集中できるようになったと思う。習慣として確立したのか、決めたことを守ろうとする意思のおかげなのか、その両方なのかはまだわからないけどね。

スケジュールを決める目的は、自分が価値をおくことのための時間を継続的に確保できるようになる習慣を確立することにある。習慣を通じて、仕事、遊び、運動、友人との時間、所用、勉強など、大事なことすべての時間を永遠に確保するのだ。仕事のためにほかのことをすべて犠牲にしないといけないのでは、仕事に対する喜びが減り、生活の質は下がり、絶えず「追われている」感覚になる。たとえば、人間関係を犠牲にして本を書き、それが出版されたとしても、売れなかったらどうなる? その代償はあまりにも大きい。仮に売れたとしても、その代償はやはり大きすぎると言えるだろう。

習慣を形成するうえで、予定にいれるという行為は不可欠だ。予定にいれることで、決断の手間が省ける。限られた自制心を最大限に活用できる。先延ばしを防ぐことができる。それに何より、予定にいれてしまえば、自分にとっていちばん大切なことに時間を使えるようになる。毎日の時間をどのように使うかで、自分の生き方が決まるのだ。

人生を変える習慣のつくり方
ルービン・グレッチェン
作家。キャリアのスタートは法律家で、アメリカ初の女性連邦最高裁判事サンドラ・デイ・オコーナーの書記官を務めていたときに、作家になりたいと気付いて転身した。作家となってからは、習慣、幸せ、人間の本質を追求し、世間に大きな影響を与えている。著作は多岐にわたり、なかでも『The Happiness Project』(『人生は「幸せ計画」でうまくいく!』)はアメリカでミリオンセラーとなり、30カ国語以上に翻訳された。習慣や幸せについて探求したことを報告するブログやポッドキャストも人気で、本だけでなくオンライン活動のファンも多い。彼女のポッドキャスト番組は、iTunesの「2015年ベスト番組」に選出された。また、彼女自身も、アメリカでもっとも尊敬を集める女性司会者として知られるオプラ・ウィンフリーにより、「2016年オプラが選ぶスーパーソウル100」に選ばれている

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