(本記事は、グレッチェン・ルービン氏の著書『人生を変える習慣のつくり方』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)

自分らしさ
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毎日の行動に「自分らしさ」は必要か?

「人は、最悪の習慣ですら失ったことを後悔する。たぶん、何よりも後悔する。最悪な習慣こそ、自分の個性に欠かせないものなのだ」

オスカー・ワイルド
『ドリアン・グレイの肖像』

わたしが、習慣においてアイデンティティが重要だと理解し始めたのは、研究を始めてからずいぶん経ってからだった。習慣や行動に、「自分はこういう人間だ」という思いが強く結びついていると、それが重要だとなかなか気づけない。でもようやく、「これが自分のアイデンティティだ」という思いによって、習慣を変えるのは簡単にも難しくもなるのだと気づくことができた。

そのきっかけを与えてくれたのは、友人のマリアだ。

長女のイライザがマリアの息子と幼稚園で同じクラスだったという縁で、わたしは彼女と出会った。明るく快活で茶目っ気のある彼女を見て、わたしはすぐに仲よくなりたいと思った。そして数年後には、わたしのブログの動画を一緒につくるようになっていた。次に投稿する動画の撮影を終えたある日のこと、ふたりで習慣の話になった。

習慣 vs 「自分らしさ」

「変えたいと思っている習慣はない?」とわたしは尋ねた。

「実はね、お酒の量を減らしたいの」とマリアは言った。「わたしは特にワインが大好き。でも、飲むと翌日がつらい。グラス1、2杯のワインを飲んだだけで、翌日は気分がすっきりしなくて。それに、普段は会話の内容をはっきりと覚えているのに、お酒が入ると曖昧になる。先週もね、夕食のときに兄とすごくいい話になったの。心から通じあえたと思ったんだけど、そのときの会話を正確に思いだそうとしても思いだせない」。彼女の言葉はさらにこう続いた。「とにかく、お酒の量を減らしたら、運動や食事の節制なんかも、うまくできるんじゃないかと思って」。

「そのとおりだと思う」とわたしは言った。

わたしは何かをやめるときは一切断つタイプなので、彼女にもそうしてはどうかと勧めたが、マリアにその気はなかった。

「それはしない」彼女は首を振った。「お酒はやめたくない。わたしはイタリア人だから、美味しい食事とワインが大好きだし、自分が楽しいと思うことをしたい。それに、周りにもそうあることを期待されていると思う。『あなた飲むわよね? じゃあわたしも』って友だちからよく言われるし。わたしはみんなから、いつでも陽気にはしゃぐ人だと思われているのよ」。

「だって、いつだって陽気にはしゃぐじゃない! あなただってわかってるはず」

「ええ」マリアは笑いながら同意した。「陽気にはしゃぐのがわたし」。

「あなたが何杯飲んでいるかに気づく人なんてほとんどいない。まあ、『マリアがもう1杯ワインを飲むんなら、わたしももう1杯飲める』っていうふうに、自分のペース配分にあなたを使う人は別だけど。人が食べたり飲んだりする量は、一緒にいる人の行動に少なからず影響されるものなのよ。あなたの場合は、あなたに正しい影響を与える行動をとりたいってことね」

「楽しい時間は絶対に失いたくない」と彼女は言う。「でも、お酒を飲むと、翌日の調子がよくない」。

「つまり、お酒を飲む量と、飲むタイミングを決める必要があるということね」

さまざまなプランを検討した結果、マリアは自分で納得のいくルールをつくった。自宅で夕食を食べるときはワインを飲まない。友人と外食するときは、グラス1杯だけ飲んでもいい。記念日など特別なお祝いごとのときは、数杯飲んでもいい。

わたしとマリアは、新しい習慣を身につけようとする彼女の試みについてメールで話しあった。わたしはまず、マリアが決めたルール(いつ何杯飲んでもいいか)のことを詳しく尋ねた(アップホルダーは、どんなときもルールを把握したがる)。また、ワインの代わりとなる飲みものについても話した。アルコールは入ってなくても陽気な気分になれる飲みものはないものか。マリアは自分で開発した、スパークリングウォーターにざくろジュースを加えてライムを絞ったものを「我が家のドリンク」と名づけ、夫のトムと一緒に飲むようになった。トムもお酒の量を控えているのだ。一日の終わりに夫婦揃って「我が家のドリンク」を飲む。なんて素敵なアイデアだろう。

でも時間が経つにつれて、マリアにとっての「これがわたし」というアイデンティティが、ルールを守るうえでの弊害になっていることが明らかになった。最初の会話でマリアの口からそのことをはっきりと聞いていたとはいえ、わたしはそれほど大きな影響を及ぼすとは思っていなかった。イタリア人として美味しい食事を楽しみ、「場を明るくする存在」という彼女のアイデンティティが、習慣を変えるいちばんの難関だったのだ。

送信者:マリア
 自分の個性を自分で否定しているような気分です。わたしはイタリア人で、料理やワインを愛している。料理やワインの味が恋しいんじゃない。ワインを飲んだときに感じる、お祭り気分やほっとする感じが恋しいの。
 とはいえ、平日の夜に家で飲むのをやめたことはよかったと思っています。昨夜も、トムがワインのボトルを開けるのを必死でとめたわ。だって、ボトルを開けたら1杯欲しくなるもの! 幸い、彼は納得してくれました。自分で自分をコントロールできていると実感できるのは、やはり嬉しいものです。

このように、アイデンティティは習慣に大きく影響する。友人に炭水化物を控えた食生活を続けていると話したとき、その友人は首を振りながらこう言った。「わたしには絶対無理。細かいことを言うのは性に合わないもの。『これは食べない』『それはしない』と言うのはわたしじゃない」。

「例外をつくってもいいのよ。たとえば、誰かの家に食事に招かれたときとか」

「あなたはつくってる?」

「いいえ」わたしは正直に認めた。「わたしは徹底してルールを守ってる。細かいと思われるかもしれないけれど、それがわたしだもの」。

「わたしはやらないかな。『何でもよく食べる』のがわたしだから」

「そのアイデンティティが、ほかの何か、たとえば、食生活を変えることの妨げになったら問題よ」

アイデンティティの重要性に気づくと、習慣の定着や維持に果たす役割も見えてきた。友人から「夫もわたしも、もっと早く寝る必要性に迫られている」との相談を受けた。「夜更かししても、赤ちゃんがいるから早起きしないといけないの。わたしも夫ももう限界。もっと早く寝ないといけないと言い続けているんだけど、どうしてもできない」。

「寝るまではどういう流れなの?」

「11時になったら、ふたりでキッチンへ行って、ナッツやチーズなんかをつまみながらおしゃべりするのが決まりなの」

「素敵ね」

「ええ」これに続く言葉に、問題のカギを握る事実が表れていた。「親として早く寝るべきだと、夫もわたしもわかってる。でもね、赤ちゃんも大事だけど、一日の最後にふたりきりになる時間をどうしても手放したくないの。日付が変わる前にベッドに入ると、所帯じみた人間になりそうに思えてしまう。もっと睡眠が必要だとわかっているんだけどね」。

要するに、新たに身につけようとする習慣が、自分の一面を変えるもしくは失うことを意味すると、身につけることが格段に難しくなるのだ。わたしも、自分のほんの些細な一面を表すだけの習慣ですら、なくなると残念に思う。昔の話になるが、わたしは財布を持っていなかった。「財布を持たない女性」である自分を気に入っていたので、リュックの中をさぐるより財布を持つほうがはるかに便利だと思う場面に何度も遭遇したが、なかなか買わずにいた。自分のアイデンティティのごくわずかな部分だとわかっていても、この部分の自分を手放したときは胸が痛んだ。

「自分」はどんな人間か?

鏡,女性,問いかけ
(画像=PIXTA)

調査によると、人は自分で自分に言い聞かせる言葉を信じようとし、自分で自分についてどう語るかがアイデンティティのとらえ方に影響を及ぼすという。それは必ず習慣にも影響を及ぼす。だから、自分で自分に向かって「わたしは怠け者だ」「セールはどうしても見過ごせない」「何でも一度は試すのがわたし」「ギリギリにならないと仕事にとりかかれない」「自分は運がいい」などと言い聞かせていれば、それが本当に自分のアイデンティティの一部となり、行動にも影響するようになる。

同じ特性を表す場合でも、言い方によっていい意味にも悪い意味にもなる。その言い方をうまく利用すれば、習慣を形成する助けとなってくれる。真面目とも言えれば厳格とも言える。自発的とも言えれば衝動的とも言える。食にうるさいとも言えれば、食いしん坊とも言える。楽しいことが大好きとも言えれば、好きなこと以外はやらない怠け者とも言える。芸術家肌とも言えれば、片づけられない人とも言える。エネルギッシュとも言えれば、落ち着きがないとも言える。

わたしはずっと、自分のことを「運動が嫌いな人」だと思っていた。ところがあるとき、わたしが嫌いなのは「競技」だと気づいた。わたしには見事なまでに協調性がなく、試合も好きではない。競争が楽しいと思えないのだ。でも、身体を動かすことは嫌いではない。走ったり、カーディオマシンや筋力トレーニングマシンを使って運動したりするのは平気だ。そして自分のことを「運動を楽しめる人」だと思うようになると、自分自身に対する見方が変わり、運動する習慣が身についた。

有権者を二つのグループに分けて、一方には「あなたにとって、投票することはどれくらい重要なことですか?」と、もう一方には「あなたにとって、投票する者であるということはどれくらい重要なことですか?」と尋ねる調査を実施したところ、次の選挙で実際に投票に行った人の数は後者のグループのほうが多かったという。これは、投票を単なる行為ではなく、その人のアイデンティティの一部として問いかけたからだろう。

自分のアイデンティティに新たな要素が加わるとワクワクする。わたしは、「ニューヨーカー」「親」「ブロガー」「車を運転する人」「幸せ追求の専門家」が加わったことを嬉しく思っている。小説家の村上春樹はランニングを欠かさない。彼は『走ることについて語るときに僕の語ること』で次のように語っている。「(ウルトラ・マラソンは)自己に対するあなたの観照に、いくつかの新しい要素を付け加えることになる。その結果としてあなたの人生の光景は、その色合いや形状を変容させていくことになるかもしれない。多かれ少なかれ、良かれ悪しかれ。僕の場合にもそのような変容はあった」。アイデンティティがあれば、自分の価値観に従って行動しやすくなる。たとえば、「職場で時間を無駄にするような人間ではない」「責任逃れをするのはわたしらしくない」「行くと言ったら必ず行くのがわたしだ」といった例からもわかるように、アイデンティティと価値観は結びつきやすい。

もちろん、アイデンティティに結びつく習慣に従うことは大切だ。ただし、アイデンティティが習慣の代わりを務めることはないので注意が必要だ。ランニングシューズを履いたからといって、走ったことにはならない。野菜を買ったからといって、野菜を食べたことにはならない。アウトドア雑誌を読んだからといって、キャンプに行ったことにはならない。幸せについての本を書いたからといって、幸せになるという決意をもち続けないことにはいま以上幸せにはなれない。友人と一緒に食事をしていたとき、彼がこんなことを言いだした。「砂糖断ちしてるけど、チョコレートムースがすごく美味しそうだからルールを破ろうかな」。

「いつから断ってるの?」とわたしは尋ねた。

「先週」が彼の答えだった。ほんの数日しか砂糖断ちしていなくても、彼のなかではもう、「砂糖を口にしない人」になっているのだ。

ときには、アイデンティティの一部を変えると決めたことを周囲に伝えると、習慣が続けやすくなることもある。マリアもどちらがいいか悩んだ末、周囲に自分の立てた誓いを伝えたほうが守りやすくなると考えた。

送信者:マリア
 この前4人で集まったとき、ふたりは赤ワインを飲んで、ふたりは飲まなかった。飲まなかったうちのひとりがわたし。勧められたから当然断ったけど、みんなから、「どうして飲まないの?」と大騒ぎされちゃった。
 それで、自分の決めたルールを説明したいと思った。そうすべきだとも思った。みんなに話せば、心変わりして1杯飲むことも防げるだろうし。だからその場で話しました。そうしたら、もう後戻りできないんだって実感した。周りに話すと、断る意志が強くなるのね。

「自分らしさ」が習慣に作用する

人はときどき、「こう見られたい」と周囲に伝えたくて習慣を形成することがある。画家のデヴィッド・サーレは、ジャーナリストのジャネット・マルコムに次のように語っている。「約束の時間にきちんと現れないように訓練する必要があった。時間に正確に行動することは、バカげていて自分に似合わない。芸術家が時間に正確だなんてありえない」。

また、「自分はこうありたい」という思いを周囲に伝えたくて習慣を形成することもある。友人がこんなことを言っていた。「高校生のとき、酒とマリファナを少しやった。やりたかったわけじゃなくて、『僕は遊んでるぞ! いい子ちゃんなんかじゃない!』とみんなに手っ取り早く伝えたかったんだ。本当は違ったんだけどね」。

企業や組織が人々の習慣を(良くも悪くも)変えることだって可能だ。その人が望むアイデンティティと特定の習慣をリンクさせればいい。ハース兄弟の『アイデアのちから』に、テキサス住民の街を汚す習慣を見事に変えさせたキャンペーンについての記述がある。

キャンペーン当初は、「ゴミを捨てないでください」や「ご協力を!」といったメッセージを発信していたが、メッセージを届けたい層への効果は皆無だった(ターゲットとしていたのは、ピックアップトラックに乗り、スポーツとカントリーミュージックを好む18〜35歳の男性だった)。その後、テキサス出身としても有名な、元プロボクサーのジョージ・フォアマン、ギタリストのスティーヴィー・レイ・ヴォーン、ミュージシャンのウィリー・ネルソンをはじめ、さまざまなスポーツ選手が登場し、「テキサスを汚すな」というメッセージをテレビで流すようにした。その結果、「テキサスの男は誇り高く忠誠心に厚く、屈強でたくましい。真のテキサスの男は街を汚さない」というメッセージを視聴者に与えることに成功した。テレビでメッセージが流れるようになった最初の5年で、通りに落ちているゴミは72%減少した。人は、自分のアイデンティティを行動に反映させるのだ

わたしが観察したところ、アイデンティティの活用はレブル傾向の人に特に向いているように思う。彼らは一般に、習慣によって制約が生まれることを受けいれがたいと感じるが、自分の気持ちに正直であることに価値をおくので、自分のアイデンティティを表す習慣だと思えば受けいれる。

たとえば、周囲から尊敬されるリーダーになりたいと思っていれば、その「リーダー」というアイデンティティがあることで、周囲との摩擦を避けるために、時間厳守で行動する、意味がないと思うミーティングでも出席するといった行動を自らとろうとする。そうすることを、自ら望むようになるのだ。

レブル傾向の人から次のような投稿があった。「レブルの特徴として何よりも大切なのは、そのときどきの自分に誠実であることだとわたしは思っています。欲求やニーズはそのときどきによって変わりますが、どんなときでもそれを自由に追求したいのです。とはいえ、どんなときも変わらない、自分が自分であるための価値観や特徴というものもあります。たとえば、わたしはどんなときでも良き母でいるという自負があります。自分の母親のようにはなりたくないと思っていて、子どもへ愛情を注ぐ献身的な母親になろうと決めていました。そして実際にそうしています」。

別のレブル傾向の人からも、次のような意見が届いた。「自分の一部を表す習慣があるとすれば、その習慣は地に足をつけるためのものではなく、自分自身に正直でいられるようにするためのものです」。

「自分らしさ」の罠に気づく

バリュートラップ
(画像=Getty Images)

ときには、自分にとってよくないアイデンティティに凝り固まってしまうこともある。「ワーカホリック」「完璧主義者」「保守派」「責任者」などがその例だと言える。わたしは人の傾向を四つに分類したが、それは、あくまでも自分自身に対する理解を深めるためである。そうした分類によって、自分のアイデンティティを限定すべきではない。ブログの読者から次のような投稿があった。「これまでずっと、食べものや食事がわたしのアイデンティティの大部分を占めていましたが、あるとき、わたしがせっせとパンを焼くせいで肥満になったのだと気づきました。それを境に、『パンを焼く人』というアイデンティティは手放しました」。レブル傾向の友人のなかに、自他ともに認める夜遊び好きな女性がいる。あるとき、誰かが彼女に向かって冗談交じりに「君は大人じゃない」と言っているのが聞こえた。すると彼女は嬉しそうに、「ええ、わたしは大人じゃない!」とその言葉を繰り返した。彼女は「大人じゃない」というアイデンティティを気に入っているのだが、そのアイデンティティは問題となる恐れがある。「神童」「若き成功者」「青年活動家」「純情な少女」というように若さを自分のアイデンティティにしても、いずれ必ず失う。

自分のアイデンティティと習慣の関係について振り返ると、アイデンティティが習慣の邪魔になった例がいくつかある。わたしは読書家を自任していて、一度読み始めた本は必ず最後まで読む習慣が身についていた。「真の読書家」とはそういうものだと思っていたからだ。そう思っていたのはわたしだけではない。ソーシャルリーディング・サイトのグッドリーズによると、38%の人が読み始めた本を必ず最後まで読み終えるという。でもわたしは、読む気がなくなったらすぐに読むのをやめることを習慣にすると心に誓った。おかげでわたしの心はずいぶんと軽くなった。つまらない本を途中でやめれば、そのぶん好きな本を読む時間が増える。自分の好きなことをしているほうが、やる気も沸くし幸せな気分にもなる。

これとは別に、頭のなかでもっと議論が起きた習慣もある。

わたしは何カ月にもわたって瞑想を続けてきた。この習慣を身につけることは、「瞑想に抵抗がある人」というそれまでのアイデンティティを変えることを意味した。それでもわたしは、やってみようと心に決めた。

そうして何カ月も続けてきたわけだが、この習慣について改めて考えてみた。これまでは、一度決めたことを守りたがるアップホルダー特有の性質と、毎日の決まりごととして定着した惰性(だせい)によって続けてきた。でも、よく考えてみると、気持ちが静まったと数回実感したことを除けば、何の変化も感じられない。大変で退屈なだけで、何の成果も得られない。いいことは何もない。

結局、瞑想はやめることに決めた。

ところが、そう心に決めたとたん、新たに生まれたアイデンティティを手放したくないと思っている自分に気づいた。「瞑想する人」のままでいたいという理由だけで、瞑想を続ける誘惑にかられたのだ。これは、瞑想したいという気持ちとは似て非なるものだ。

やはり、瞑想はやめる。わたしには合っていない。受けいれられなかったことは残念だが、「自分にとって正しいことをしよう」と自分に言い聞かせた

わたしはまた「瞑想をしない人」に戻った。これからも、ありのままの自分でいようと思う。

人生を変える習慣のつくり方
ルービン・グレッチェン
作家。キャリアのスタートは法律家で、アメリカ初の女性連邦最高裁判事サンドラ・デイ・オコーナーの書記官を務めていたときに、作家になりたいと気付いて転身した。作家となってからは、習慣、幸せ、人間の本質を追求し、世間に大きな影響を与えている。著作は多岐にわたり、なかでも『The Happiness Project』(『人生は「幸せ計画」でうまくいく!』)はアメリカでミリオンセラーとなり、30カ国語以上に翻訳された。習慣や幸せについて探求したことを報告するブログやポッドキャストも人気で、本だけでなくオンライン活動のファンも多い。彼女のポッドキャスト番組は、iTunesの「2015年ベスト番組」に選出された。また、彼女自身も、アメリカでもっとも尊敬を集める女性司会者として知られるオプラ・ウィンフリーにより、「2016年オプラが選ぶスーパーソウル100」に選ばれている

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