IPO投資の第一人者といえばJACKさん。しかし、サラリーマン投資家として資産2億円の道のりでは、IPOに限らない投資手法が駆使されている。執筆活動に続いて店舗経営にも乗り出すなど、積極的に活動している。
「これはなんぞや!」と 衝撃を受けたIPOとの出会い
株式投資を始めたのは1990年代、当時は証券会社の営業マンが家にやって来ることが多かった。当初はまだオンライン証券もなく、一度買った銘柄を寝かせて保有、証券会社とのお付き合いで購入した海外投信が儲かったなど、いい時代に株式投資をスタートした。『会社四季報』が発売されると、早く読み込んで投資すれば先乗り的な優位性のあるトレードができたことも覚えている。
全財産を失うようなトレードはなかったが、2001年にあさひ銀行(現りそなホールディングス)が金融危機に陥った当時に約600万円の含み損を抱えて、2~3年かけてコツコツ儲けた投資の利益がなくなり、身動きがとれなくなったことがある。そこで株式投資をやめようと思ったことがあった。
しかし、大きな転機があった。2002年にシンプレクス・テクノロジー(2013年に株式公開買い付けで上場廃止)のIPOが当たり、十数万円の投資があっという間に100万円程度の含み益となって「これはなんぞや!」ということになった。働きながらも放置しておいて100万円近くの利益が出るという“目からウロコ”のIPOとの出会いだった。
それまでの含み損も縮小したことで、公募に参加して初値で利益を確定するというIPOの投資手法をここで学んだ。初値が公開価格を割るようなことが多発していれば、この場にいなかっただろう。
投資手法のチャンネルはたくさん持っていたほうがいい
その後、IPO投資もライバルも増えてきたことから、PO(公募・売り出し)への参加、TOBへの応募、コンスタントに株主優待をクロス取引する、立会外分売への参加へと投資手法を広げていった。日銀の買い付けが期待できるような大型のPOも投資対象として狙った。利回りが2・5%から3%程度でも、10回まとめれば30%になる。
IPOもセカンダリーに参戦し、地合いがいいとパフォーマンスを得ることができた。ただし、リーマンショックのような地合いが急激に悪化したときは不動産に資金を向けたこともある。投資手法のチャンネルを増やしていったことが資産形成の原動力となったと今では考えている。
現在は、一般の投資家もネット証券で気軽にIPOにチャレンジできるようになった。宝くじと違ってIPOの申し込みには手間がかかるが、当たればラッキーだ。その機会は平等にある。このほか、相場の暴落時に業績のよい銘柄を 10 銘柄程度、バスケット買いをしたり、新高値を抜いてきた勢いのある新興市場銘柄につくこともある。
また、投資金額10万円以下で配当がつく業績のいい銘柄を5銘柄程度、バスケット買いしておけば、年間で5%から10%の利益を抜ける。投資のジャンルや手法は、投資家によって向き不向きがある。理想は多くのチャンネルを持って、地合いに合わせて臨機応変に対応すること。この切り替えができる投資家は相場の世界でも生き残れるはずだ。