(本記事は、菅原洋平氏の著書『超すぐやる! 「仕事の処理速度」を上げる“科学的な”方法』文響社の中から一部を抜粋・編集しています)
その情報獲得の方法が、脳の活動を低下させていた!?
ある日の外来に、
「やる気が起こらないです」
と相談にやってきたのは、40歳代の会社員Fさんです。Fさんは、会社に出勤する時間にはいったん目覚めるものの、そこから起き上がって会社に行く気にならず、電話をして休む、ということがしばしばあるそうです。一度休むと3日は続いてしまうことが多く、そういうときは週の後半に1日か2日、出勤するという状態になります。
起きられずに会社を休んだ日は、ほとんどの時間を、スマホでネットを観て過ごすそうです。
「何に対しても興味が湧かない感じです。以前は、ネットでマンガを読んでいたんですけど、続きが1週間後に公開、とかなると、もうそれで興味がなくなってしまいます。映画とかも観られなくなって、最初の数分観ているともう面倒くさくなるんですよね。飽きてくるっていうか」
とお話しされます。
Fさんが「興味が湧かない」と話すのには、実は理由がありました。それは、ワーキングメモリの能力が低下していたのです。
私たちが何かに興味をもって行動し、その行動で満足するという過程には、ワーキングメモリが関与しています。そして、ワーキングメモリが低下している人ほど、行動から満足までの時間を待つことができないことが明らかになっています。
なぜ脳を働かせ過ぎている人ほど「飽きっぽく」なるのか
ワーキングメモリは、得た情報を既存の情報とつないで新しい価値を生み出す働きです。その働きが低下すれば、何か新しい情報を得たときに、そこに自分の力で時間をかけて価値を見出すことができなくなります。つまり、行動から直接得られることだけが満足の対象になります。すぐに満足を得ることができないと、それで興味が失われてしまうのです。
今、何かの情報──とくに、その情報を得ると瞬間的に満足が得られるものではなく、一度自分の力で咀嚼することで満足を得られる類いの情報──に価値を見出せるかどうかは、あなたのワーキングメモリの働きによると説明しましたが、これは逆の方向にもいえます。
ある行動をとり、満足を得るまでの時間が短くなるほど、ワーキングメモリの能力が低下することもまた、明らかになっているのです。
Fさんの話を、特殊な悩みだと思うでしょうか。ご自分の普段の様子をちょっと振り返ってみてください。
ネットショッピング中に、すごく手に入れたいものがあって、いざ注文しようとしたら「2~3週間後にお届け」という表示が目に入った。すると途端に、「なんだ。じゃあダメか」と急速に興味を失った、という経験はありませんか。
これはまさに、「自分の行動から満足を得るまでの時間が待てない」という傾向です。同様の体験をしたことのある方は多いのではないでしょうか。
社会のスピードが上がったことで、欲しいものはたいてい、その日のうちに手に入るようになってきました。私たちの行動から満足までの時間は、どんどん短くなっています。
そのことに無自覚でいれば、あなた自身はもちろん、社会全体のワーキングメモリは低下していくことになります。瞬間的に満足をもたらしてくれるものに皆が飛びつき、一瞬の満足を得ては飽きて去っていくような、ブームを追い続ける状態が、社会現象的に慢性化してしまいます。
その先には、何を手に入れてもすぐに飽きてしまって満たされることがなく、興味とやる気を失った無気力な日々が待っているのです。
そのような恐ろしい事態を招かずに済むように、興味ややる気を持って生活していくための脳の扱い方を見ていきましょう。
「待てない脳」は神経回路も変化している
まず、満足を得られるまでの時間と脳の関係を見ていきます。得するタイミングと脳の働きを調べた実験をご紹介します。
すぐに得がある場合と、あとで得がある場合では、実は、脳の働く部位が異なります。得する条件を選択する基準に「今日」が入っている場合、つまりすぐに得する場合は、後部帯状皮質、内側前頭皮質、大脳基底核の腹側線条体、内側前頭眼窩野が活発に働きました。これらの部位は、「2週間後」「1ヵ月後」という、あとで得する場合には働きませんでした。
逆に、将来得するという場合、脳では、DLPFC、前頭眼窩野、運動前野、補足運動野、頭頂間溝が活発に働きます。ワーキングメモリを担う部位です。
得することが同じ内容でも、それがすぐなのか、あとなのかによって、脳内ではまったく別の情報として扱われているのです。
先ほど、満足を得るまでの時間が短くなるほどワーキングメモリが低下するとお話ししたのは、すぐに満足を得る場面ではワーキングメモリを担う部位が使われないことが由来しています。この部位が使われなければ、代わりにすぐに得をする条件で反応する部位が働くようになります。
ワーキングメモリが低下していると、すぐに得する条件を選ぶ脳がつくられてしまうのです。
このような脳の変化が極端につくられた状態が、依存症です。
時間が経つにつれて、そのものの価値が変わっていくことを「時間割引率」といいます。時間割引率が高まるというときは、すぐ手に入ることに高い価値があると判断し、手に入るまでの時間を待てない、時間が経つと不満が募るということです。
アルコールやたばこ、薬物を摂取している場合、それらを摂取していない人に比べて、時間割引率が高まることが明らかになっています。つまり、長い間アルコールやタバコ、薬物を摂取し続けると、それが手に入らないとストレスや不満が募るようになるということです。
これは昔からずっと言われていることなので、何も珍しい知見ではありません。
ただ、この仕組みが、ネットやオンラインゲームによって誰にでも起こり得る身近なものになってきている、ということは見過ごせません。
私たちの脳は、取り巻く環境に適応するようにできています。つまり、環境に合わせて脳は、私たちの考え方や行動を変えていってくれますが、これは望ましい環境に対してだけ起こることではありません。
望まない環境がつくられた場合でも、脳はその環境に合わせて働きを変えてしまいます。その典型が依存症であり、ネットショッピングやオンラインゲームもまた、脳を「待てない」状態に変化させてしまう可能性があります。社会のスピードが加速することで、私たちのワーキングメモリは知らないうちに低下してしまうのです。
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