(本記事は、菅原洋平氏の著書『超すぐやる! 「仕事の処理速度」を上げる“科学的な”方法』出版社の中から一部を抜粋・編集しています)
なぜ、どんな選択をしても満足も納得もできないのか
「ものを買うにしても店を選ぶにしても、失敗したくないので口コミを調べるんですが、見れば見るほど悩んでしまって、決めることができないんです。
結局決めるには決めるんですが、決めた瞬間から、『やっぱりあっちのほうが良かったのかな。失敗したかな』と思ってしまい、納得して選べて満足を得るということがないんです」
このような、「選べない」「自分の選択に納得ができない」という相談は、最近多く寄せられています。情報は豊富になっているのに、どうして多くの方は、うまく行動の選択ができない、と感じてしまうのでしょうか。
SNSをはじめとしたメディア情報は、より早く、より個人的に変わってきています。これによって、自分が正しいと思っていた情報がいつ覆るかわからない世の中になっています。
たとえば、「おいしい」と思ったらその食品には農薬が使われていた。今度はオーガニック食品を選んだら、その需要が高まったせいで生産地の自然が破壊されているという話を聞いた。環境保護の寄付がついた商品を買ったら好きな味ではなかった……。
このように、自分が「これが正解だ」と思って選択したものが、違う側面から見ると「正解」ではなくなってしまい、自分の判断基準が覆される経験は、あなたにもないでしょうか?
自分の選択の正解がコロコロ変わる世の中。これが、「選べない」「納得ができない」原因だと考えられます。
課題の正解がコロコロ変わると、私たちの脳はどのように働くのでしょうか。それがわかれば、今の時代を迷わずに進んでいくことができそうです。
変わり続ける「正解」と脳の動揺
同じように「何かを決めた」と感じている場合でも、自分の選択に「正解」がある場合と、「正解」がない場合では、実は、脳の働き方が異なります。
「正解がある場合」というのは、1つの選択肢が他の選択肢よりも良い結果をもたらす課題の意思決定を、あなたが求められているということです。
たとえば、あなたはある会社の社員だとします。あなたは、勤勉に働くか怠けるかを選択することができます(あるいは、雇い主が見ているときだけ勤勉に働くという選択肢もあります)が、このような状況に対して、
「一般的にはこうするだろう」 「こうするほうがいいだろう」
といわれる行動があります。その「一般的にはよい」とされる選択肢が、この場合の「正解」となります。
正解のあるなしによる脳の働きを調べた研究では、このような正解がある課題のときに、ワーキングメモリを担うDLPFCの働きが確認されました。
このとき脳では、間違った判断を避けるために、予測した状況と実際の結果の差が少なくなるように働いていました。つまりこの例では、脳の働きによって、
「怠けるのは雇い主に怒られるから悪いこと」
という判断が働き、その状況を避けるための行動を選択しているわけです。
一方で、「正解がない場合」とは、自分が正解を決めなければならない課題を指します。「一般的にはこうするのがよいだろう」という基準のないことについての意思決定を求められているということです。
たとえば、お金を受け取った際にその使い方は様々です。「慈善団体に匿名で寄付する」、または「寄付しないで自分のものにする」など、見方によってはどちらも正解になり得るため、正解はありません。
このような、正解のない課題についての意思決定には、正解がある場合のDLPFCの働きは使えません。
そもそも正解がないわけですから、どんな決定をしても誰にも怒られません。というか怒ってくれる人はいません。これが、私たちが今置かれている情報が氾濫した社会です。見方がいろいろあり過ぎて、判断基準も一概には決められないので、自分で考えて正解をつくらなければなりません。
そんな状況で脳は何をしているのか、というと、他の情報と比べるACCが働いています。序章で、DLPFCはプレーヤーでACCはマネージャーにたとえられる、とお話ししました。私たちには、情報を比較してその中から自分なりの「正解」を見出すマネジメント能力が求められているのです。
正解は自分でつくらなければならない
このことが垣間見られたエピソードを紹介します。
私は以前、企業の健康づくりの一環で企画された森林セラピーに、解説者として同行しました。参加者のひとりであるHさん(30歳代)は、こんなことを話していました。
「私は一度何かを始めるととことん突き詰めるタイプで。調べていくと次々疑問が出てきて、結局どうすればいいのかわからなくなって何も前に進んでないっていうか。そんな感じなんです。
くだらないことなんですけど、たとえばランチの店を選ぶのとかでも失敗したくないっていうか、さんざん考えて結局がっかりみたいなことの繰り返しです」
これはどうやら、正解のない課題に対する悩みのようです。
そんなHさんは、森林セラピーに参加すると、用意されているだろう「目的地」に向かって足早に歩いていってしまいます。
もちろん自然を感じるプログラムなので「目的地」などありません。スタッフの人には、
「ここは何が有名なんですか?」
と質問していて、「有名な○○を体験した」という「正解」を探そうとします。
また、しきりにスマホで写真を撮って画像をSNSにアップしています。これは無自覚に、「□□で有名な○○を体験した」と、正解がある課題を他人に用意して、あなたも体験して正解を確認しましょう、と設定する行為です。
Hさんの行動をどう思いますか?
森林セラピーの意図が全然理解できていない、とあきれるでしょうか。普段のあなたなら、同じ場面でどのようにふるまうでしょうか。
Hさんのように正解を他者に求めてしまったら、自分の選択に満足が得られなくなってしまいます。この思考は、たとえ森林のように正解のない環境に身を置いても、それだけでは変えられないのです。そこには、その環境に何の目的で臨むか、何を得ようとするかを生み出す力が必要です。
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