会社買収の現場では、「情報の非対称性」が日常的に利用されている。情報の非対称性とは、ある市場の当事者たちがそれぞれ保有する情報の間に格差がある状態を指す。

エム・アンド・エー(M&A)の現場で情報の強者になるのは売り手でも買い手でもなく、仲介会社・アドバイザリー会社である。

仲介会社・アドバイザリー会社が提示する価格は、何を根拠に算出されているのだろうか。これを考えるにあたっては、価格の決定に関するルールを押さえておく必要がある。これらの知識を交渉の場で活用して、M&Aの担当者から情報を引き出すことが重要だ。

何も知らなければ一任するほかないが、果たしてそれで納得のいくM&Aを実行できるだろうか。この記事では、会社買収における価格決定のルールについて徹底的に解説する。

会社買収とは?

買収価格
(画像=PIXTA)

M&Aにおける「会社買収」とは、ある企業が他企業の経営権を得るために発行株式の過半数を買うことをいう。これによって、その企業を「子会社化」できる。株式の保有割合に応じて取得できる株主権利は、以下のとおりだ。

保有割合株主権利
1%以上株主総会における議案提出権
3%以上株主総会の招集請求権/取締役・監査役の解散請求権/会計帳簿の閲覧・謄写請求権
33.4%以上株主総会の特別決議を単独で否決できる
50.1%以上株主総会の普通決議を単独で可決できる
EX)取締役の専任・解任、利益処分案の決定など
66.7%以上株主総会の特別決議を単独で可決できる
EX)定款の変更、事業譲渡・合併・株式移転などの承認
100%会社法人のあらゆる事柄を単独で可決できる

なぜ会社買収を行うのか?

会社の買収は、なぜ行われるのだろうか。会社買収の主な目的は、事業規模拡大・経営多角化、技術やノウハウの取り込み、節税対策の3つだ。

  1. 事業規模拡大・経営多角化
    会社買収の第一の目的は、事業規模の拡大や経営の多角化だ。事業規模を拡大すると、仕入価格が下がるなどの「規模の経済」によって、収益力が高まる。また経営を多角化すれば、異なった収益性を持つ事業同士が補い合うことで、経営が安定する。ただし、事業を一から立ち上げるのは時間や労力、費用がかかる。そこで、手っ取り早く事業規模拡大・経営多角化を図るために会社買収が行われる。

  2. 技術やノウハウの取り込み
    会社買収は、技術やノウハウの取り込みを目的として行われることも多い。技術やノウハウを獲得するには、通常なら長い時間がかかる。そこで、短期間で技術やノウハウを獲得するために会社買収が行われる。

  3. 節税対策
    会社買収は、節税対策を目的として行われることもある。赤字の会社を買収すれば、子会社となった会社の赤字を本体の会社の黒字と相殺できるため、法人税を減らすことができる。しかも赤字と黒字の相殺は、繰越欠損金として複数年度にわたって行うことができる。2018年4月1日以降は、繰越欠損金を10年にわたって計上できるようになった。

会社買収の現状

日本における会社買収は、年々増加傾向にある。主な理由は、グローバル展開する企業が増えていることと、事業承継が火急の課題になっていることだ。

1. グローバル展開する企業による会社買収が増えている

少子化などによって国内の市場規模が頭打ちになっているため、グローバル展開をすることで企業の存続・発展を目指す企業が増えている。グローバル展開は、海外企業を買収すれば短期間で実現できる。グローバル展開にともなう会社買収は、会社買収が増加傾向にある主な要因となっている。

2. 事業承継が火急の課題となり会社買収が増えている

日本での会社買収は、近年は中小企業によるものも増えている。中小企業による会社買収が増えているのは、事業承継が火急の課題になっていることが主な要因だ。

中小企業の中には、優れた技術やノウハウを持ち、黒字でありながら、後継者が見つからないために廃業に追い込まれるところもある。廃業してしまうと、その企業が保有していた技術やノウハウだけでなく、従業員の雇用も失われるので、社会にとっても大きなダメージになる。

そこで、後継者が見つからない企業を買収することで、事業承継を行うケースが増えているのだ。会社買収による事業承継は、経済産業省や商工会議所などの公的機関でも積極的に取り組んでいる。

会社買収の仕組みとは?

会社買収の仕組みにはどのようなものがあるかを見ていこう。会社買収の仕組みには大きく分けて、株式取得、会社分割、事業譲渡がある。

1.株式取得

第一に挙げられるのが、株式の取得だ。会社の株式を一定数以上取得すれば、会社の経営権を握ることができるからだ。株式取得による会社買収は比較的簡単であるため、多く用いられている。ただし、株式を取得すれば会社のすべてを引き継ぐことになるため、簿外債務や偶発債務なども一緒に引き継いでしまいかねない。株式取得で会社買収をする際は、買収先企業に対する入念なデューデリジェンス(企業調査)が欠かせない。

2.会社分割

会社分割による買収とは、買収先企業を分割し、買収したい事業を会社として切り出した上で、その会社のみを買収することである。会社のすべてではなく、一部の事業のみを買収したい場合に用いられる仕組みだ。

一部の事業のみを買収したい場合は、次で述べる事業譲渡も用いられる。会社分割は事業譲渡と比較して、債権者の事前同意が必要ない、許認可を原則として引き継げる、税金が安くなるケースがあるなどのメリットがある。

3.事業譲渡

事業譲渡とは、買収先企業の一部の事業のみを買収することである。事業に関連した資産を個別に選択した上で買収することができるため、簿外債務などを引き継いでしまうリスクがないことが大きなメリットだ。また、従業員についても転籍を個別に決められるため、優秀な従業員のみを引き継ぐこともできる。

会社の売買価格を決める3つのアプローチ

会社の売買価格は、M&Aを委託した仲介業者・アドバイザリー会社が査定するのが一般的だ。ここでは、代表的な3つのアプローチを紹介する。

コスト・アプローチとは?

コスト・アプローチは、会社の純資産に基づいて企業価値を算出する方法である。「ネットアセット・アプローチ」「ストック・アプローチ」ともいう。コスト・アプローチの方法は、純資産の評価基準によって変わる。

①時価純資産法
時価純資産法は、資産と負債を「時価換算」で処理した純資産を基準に一株当たりの価格を算定するものだ。時価換算の対象には土地や有価証券、退職給付債務などがある。

時価純資産法のポイントは、含み損益に税金相当分を考慮するか(=清算法)、しないか(=再調達法)である。資産や負債の含み損益が大きい場合、算出される価格に大きな差が生じるため注意したい。

②簿価純資産法
簿価純資産法は、資産と負債を会計のルールにしたがって処理し、算出された純資産を基準に一株当たりの価格を算定する方法だ。帳簿に記載される数字を用いるため、誰でも同じように計算できる。

ただし、以下のような「帳簿には表れない資産」が多い場合は使うべきではない。

  • 多額の含み損益が見込まれる資産を保有している場合
  • 複数の子会社を所有しているにもかかわらず連結財務諸表を作成していない場合

コスト・アプローチでは会計の情報を用いて計算するため、評価者によって価格に差が生じることは少ない。ただし、資産や負債を個別に評価するので、それぞれが関連することで生まれる付加価値を反映できないというデメリットがある。

インカム・アプローチとは?

インカム・アプローチは、売り手が将来生み出すであろう収益に基づいて企業価値を算定する方法だ。将来価値の査定方法はいくつかあるが、ここでは「DCF(ディスカウンテッド・キャッシュ・フロー)法」と「収益還元法」を端的に説明する。

①DCF法
DCF法では、買収後に予想される収益を一定の割引率を適用して割り引いた値を会社買収価格とする。将来のキャッシュ・フローに着目するため、事業の特殊性が反映されやすいというメリットがある。

ただし、ほかの手法と比べて計算方法が複雑であり、価格算出に要する時間的・人的コストが大きくなりやすい。

②収益還元法
収益還元法は、一定期間における純利益の平均額を資本還元率で割った数字から企業価値を算出する方法だ。「一定期間における純利益の平均額」を用いるため、将来安定した収益を生み出す事業を評価する場合に有効だ。設立間もない会社や、発展途上の会社には不向きと言えるだろう。

インカム・アプローチでは、仲介会社・アドバイザリー会社が提示する価格の根拠を見極める必要がある。将来価値には、もともと不確実性がある。市場の変化が激しい業種においては、将来価値を正確に予測することは難しい。とはいえ企業価値の評価が曖昧だと、買収後に計画した収益を上げられないおそれがある。

マーケット・アプローチとは?

マーケット・アプローチは、株式市場の価格や同業他社と比較して企業価値を算出する方法だ。価格モデルとなる企業を引き合いに出すことで、買い手は会社買収後の収益をイメージしやすくなる。ここでは、「市場株価法」と「マルチプル法」を紹介する。

①市場株価法
市場株価法は、売り手が上場している場合に株式市場で取引される一株当たりの価格に基づき企業価値を算定する方法だ。市場株価は、不特定多数の株主が将来の収益性を見込んで投資した結果なので、客観性の高いと言える。

なお、評価期間内に株価が大きく変動するような出来事が発生する可能性がある。その場合は、評価期間を短縮するなどの対処が必要になる。

②マルチプル法
マルチプル法は、類似する上場会社の株価指標を使って企業価値を算定する方法だ。「類似会社比較法」や「株価倍率法」とも呼ばれる。「マルチプル」とは株価指標のことで、株価収益率や株価純資産倍率などが用いられる。類似企業の選定ポイントは、以下のとおりだ。

  • 業種が同じであること
  • 取り扱う製品やサービスが類似していること
  • 売上高、総資産額、資本構成、成長率、利益率などの経営指標が似ていること

マーケット・アプローチは株価をベースにしているため、数値根拠が客観的でわかりやすいという特徴がある。一方でマルチプル法のように類似する企業を選択する場合、「その特性をどこまで考慮するべきか」という問題が生じる。数値は似ていても、中身が同じとは限らないからだ。したがって、評価者が採用する類似企業の選定根拠を明確にする必要がある。

価格交渉の方法は?

売買価格の査定方法を理解したところで、次は価格交渉の方法を見ていこう。

実際のところ、売買価格は理屈ではなく、担当者の力量で決まることが多い。仲介会社・アドバイザリー会社にとって、価格査定のルールはあくまでもM&Aを進めるための道具にすぎない。だからこそ、売り手が買い手を決定する方法(価格交渉の方法)が重要なのだ。ここでは、2つの方式について解説する。

個別交渉方式(相対方式)

個別交渉方式では、売り手の希望条件を満たす買い手候補から1社を選択して、双方が合意した場合に契約を取り交わす。「相対方式」と呼ぶこともある。

個別交渉方式では、売り手が買い手を選択した後は「1対1」で交渉できるので、双方の条件が合致すればすぐに契約できる。

一般的にM&Aは、交渉期間が長くなるほど仲介業者・アドバイザリー会社に支払う手数料が増える。見方を変えれば、売り手は買い手の選定に失敗した分だけ売却による収入を減らすことになるのだ。また、仲介会社・アドバイザリー会社の担当者は交渉が成立しないと自身の評価が下がる。これらは、買い手にとって有利に働く。

売り手や仲介会社・アドバイザリー会社が「買い手はいくらでもいる」と思っているのか、あるいは「ここで決めたい」と思っているのかを見極めなければならない。これらを踏まえて、価格交渉を優位に運びたい。

オークション方式

オークション方式では、売り手に対して買収を希望する複数の業者が入札を行い、最も良い条件を提示した企業が買い手として独占交渉権を獲得する。「入札方式」や「コンペ・ビット方式」とも呼ばれる。

オークション方式は、複数の買い手が入札価格を競争するため売却価格が高くなりやすい。これは、買い手にとってはデメリットだ。

しかし見方を変えれば、売り手や仲介会社・アドバイザリー会社が自分にとって都合の良い価格を提示してくることがないので、公正な取引が行われやすいともいえる。売り手との交渉を最低限に留めたい場合は、オークション方式による会社買収を検討するといいだろう。

賢い価格交渉をするためには?

実際の会社買収価格は、理屈ではなく当事者の交渉能力に左右される。知識はあくまでも道具にすぎない。情報の非対称性は情報量だけではなく、情報を活かす力の差でも発生する。

知識を過信すれば、現実を見誤ることになりかねない。そうなれば、数多くの現場を経験する人に交渉で勝つことはできないだろう。

賢い価格交渉には、当事者の立場を理解した上で、その場に合った手法を選択する能力が必要だ。会社買収の価格に関するルールを踏まえた上で、売り手や仲介会社・アドバイザリー会社が提示する情報の根拠を確認し、M&Aの交渉を進めていくことが重要である。(提供:THE OWNER

文・THE OWNER編集部