「大島さん、気にしないで良いですよ」その言葉は今でも鮮明に覚えている。あれは1996年のことだった。その「出来事」をきっかけに筆者は投資信託に対する熱き想いを一層強めることとなる。今更昔話をするのも我が恥を晒すようで躊躇われるのも事実であるが、恥を忍んでお話させて頂く。

ここでの学びとなるのは、

(1)個人投資家向けのアクティブ運用のファンドがベンチマークを設定するのは寧ろおかしい。個人投資家はそれを望んでいない。
(2)ファンドマネージャーは少なくとも販売金融機関の営業マン、そして可能な限り投資家に対しても、本心を晒して、正直に状況説明をすべき。

……の2点だ。筆者の投資信託という金融商品に対する基本的な考え方は、概ねこの段階で完成したと言ってよい。

「何でこのファンドは上がらへんの? スカだわ!」

投資信託,選び方
(画像=Fast&Slow / pixta, ZUU online)

その「出来事」とは、当時筆者が運用していた「フェニックス」という神栄石野証券(現SMBC日興証券)専用ファンドの運用状況説明会での出来事だった。全店の課長以上を集めた営業会議の中で、フェニックスの「現在の運用状況と今後の見通し」という勉強会がプログラムに組まれていた。参加人数は優に150人を超えて会場が一杯になっていたのを覚えている。

実は当時、筆者はパフォーマンス的に非常に苦戦していた。マイナスでは無いが、その1四半期から半年弱の間、TOPIX(東証株価指数)や日経平均はスルスルと値上がりしているにもかかわらず、筆者の運用するフェニックスは蚊帳の外、基準価額は糊で張り付けたかのように僅かしか動かなくなっていた。

販売にご尽力頂き、最前線でお客様と対峙されている証券マンの人達は、間違いなく日々「何でこのファンドは上がらへんの? スカだわ!」とかお客様から文句を言われて苦労されているだろうと、毎日苛まれていた。だからこの運用状況説明会の開催が決まってからは、神戸に行く前から大きな石を胃袋に詰め込んだような暗澹たる気分で数日間を過ごしていた。

ちなみに、フェニックスは1995年に発生した阪神大震災からの「神戸早期復興」を願う為の投資信託だった。目論見書に記載した「ファンドの特色」の正確な文言は覚えていないが「神戸の震災復興に資する企業、神戸に所縁のある企業をユニバース(母集団)とし、その中からこの先業績が伸びると確信出来る企業に投資します」とか、そんな感じだったと思う。だからこそファンド名が「フェニックス(不死鳥)」と命名された。

まるで『半沢直樹シリーズ』そのもの!?