本記事は、ジェラルド・C・ケイン氏、アン・グエン・フィリップス氏、ジョナサン・R・コパルスキー氏、ガース・R・アンドラス氏の著書『DX(デジタルトランスフォーメーション)経営戦略』(NTT出版)の中から一部を抜粋・編集しています
人はどんな仕事が一番得意か?
人がどのように適応するのか、多くの仕事はどのようなものになるのか正確にはわからないが、学識者のなかには、人間がコンピュータよりも得意とされる領域の方向を示す者もいる。コラムニストで作家のトム・フリードマンのように、思いやりを示すことは人間がコンピュータよりも得意なことだ、と指摘する人たちもいる。フリードマンはこう語る。「何世紀もの間、わたしたちは自分の手を使って働いてきた。それから頭を使って働いた。
そして今度は、心を用いて働かなくてはいけなくなるだろう。なぜかと言えば、機械ができないこと、やらないこと、そして機械がもたないだろうものが1つあるからだ。それが心だ」。カグル(Kaggle)の創設者でCEOのアンソニー・ゴールドブルームは、不完全なデータから意思決定することに関しては、人間のほうが得意だと指摘する。この知見は、パブロ・ピカソのコンピュータについての発言と結びつく。「でも、それは役立たずだ。単に答えを出すことができるだけだ」。
人間だけができる仕事を特定することは、ときには有益かもしれないが、仕事の未来に備えるためにもっとも生産的な方法とは言えないかもしれない。理論上、コンピュータが取り組むことが根本的に不可能な問題がある。たとえばアラン・チューリングの停止性問題のように。コードを実行する前、コンピュータは一連のコードを無事に実行し終えることができるかどうかわからないと、チューリングは1936年の証明で提示した。
実際には、かつては不可能だと思われていた作業を、コンピュータははるかに上手にこなすことがわかっている。たとえば、顔認識や言語翻訳などがそうだ。コンピュータができないことによって残された隙間にもっぱら人間の仕事を当てはめるならば、テクノロジーが進歩するにしたがい、人間はますます締め出されてしまうだろう。
たとえば、MITメディアラボのシンシア・ブリジールは、共感的なつながりに近づける、いわゆる社交的ロボットを設計している。批判される恐れがほとんどないことから、人間に対してよりもロボットに対してのほうが人は心を開く傾向があることも、研究でわかっている。したがって、ロボットはむしろ人間にはできないようなやり方で、思いやりを示す仕事をすることが可能かもしれないのだ。
AIはシミュレーションによって、人間の考えつかない新たな読みと戦略を、過去のデータから生み出すことができるという。たとえば、AI囲碁プログラムのアルファ碁(Alphago)は、囲碁の学習のためにアルファ碁同士で対局したときに、人間の棋士の過去のデータを用いるのではなく、人間が囲碁を始めて以来、人間の頭では何世紀も考え出せなかった読みと戦略を生み出した。
ここで必然的に疑問が浮かび上がる。人間はコンピュータと比べて本当はどれほど優れているのだろうか?テクノロジーの進化に応じて、人間が新たな機会を生み出し発見するにしたがい、テクノロジーも進化して、やがて人間が果たしていたその新たな役割も引き継ぐかもしれない。
だがこの進歩により、人間はまた新しい仕事を作り出し、新たな機会が生じるだろう。ピカソが指摘したように、人間は質問が得意ならば、わたしたちはどんな質問を投げかけるべきだろうか?近いうちに、人は尋ねることになるかもしれない。テクノロジーが仕事の一部を引き継ぐとき、新たにどんな機会が生じるのだろうか、と。
新たな好機を探して
まず、自動運転車は間違いなく、異なるタイプの仕事を生み出すだろう。医師、看護師、弁護士、その他専門職の人たちは、患者や顧客の家庭を訪問するようになり、移動時間を有効に使えるようになるかもしれない。自動運転車が料理のデリバリーをしてくれるのだから、自宅の台所を利用してレストランを始められるかもしれない。
ほかにも確実に新しい仕事が可能になる。今思い描くことができないからといって、それが起こらないということではない、とオーターも言っている。1900年代に仕事を破壊された農夫は、将来データアナリストが仕事で収穫高を予測するようになるとは、想像もしなかっただろう。テクノロジーがやがて新しい役割をも引き継ぐように進化する可能性が高いという事実に、人は無知でいてはいけない──思いやりをもつロボットが、人間の訪問医に取って代わる日が来るかもしれない。
だが、こうした変化は時間をかけて徐々に起きるものと、わたしたちは見ている。マルコ・イアンシティとカリム・R・ラカニーは、たとえばブロックチェーンが主流になるまでには20年かそこらかかるだろう、と主張する。たとえテクノロジーが迅速に進化したとしても、社会と制度は大概もっとゆっくり変化するものだ。
ピカソが登場する前にはヴォルテールが、「どう答えるかよりもどんな質問をするかで、人物を判断せよ」と言っている。皮肉にも、テクノロジーによる破壊を踏まえて新たな仕事の機会について質問することは、実は人間が生来コンピュータに勝るタスクなのかもしれない。
多くの点で、こうした質問をする能力は、人間が生来コンピュータよりも遂行に優れているとされる、前述したタスクの例を組み合わせたものだ。質問する能力とは、ある意味フリードマンの言う思いやりである。質問には、新しい環境のなかで満たされない人間のニーズと欲求を特定することが含まれるからだ。また質問はある意味、ゴールドブルームの言う、不完全なデータに基づく意思決定である。
質問は、テクノロジーの進化で作られた新しい環境におけるニーズを特定するからだ。言い換えるなら、コンピュータが人間よりも得意になれないタスクとはまさに、テクノロジーによる進化と破壊の後に生まれた機会を明確にすることなのである。自分たちのスキルを適応させ、ニーズを満たすために時間をかける人間は、こうしたギャップを明らかにすることに、このうえなく適しているのかもしれない。適切な質問を投げかけることは、今のところ人間にしかできないワザなのだ。
個人への影響──キャリアパスで「方向転換する」
未来の仕事が個人に与える影響はどんなものだろうか?おそらくもっとも重大な影響は、誰もが“生涯学習者”になる覚悟が必要になるということだろう。テクノロジーが勢いを増して変化を続けるとき、これについて行くために新しいスキルを学ぶ必要があることは明白だ。基本的には、キャリア全体にわたり、しなやかマインドセットをもち続けることが求められる。
人間とコンピュータのパートナーシップに独自の価値を授ける方法を特定することと、そうした機会を実行できるようにすることとは、まったく別の問題である。テクノロジーの進歩と、人間とマシンのパートナーシップによってもたらされた変化に人間が適応するにともない、わたしたちは新しいスキルを身につける必要がある。
選択した職業を続けるために新しいスキルを継続的に学ぶことも、確かに必要になるだろうが、一生涯のキャリアというコンセプトが過去の遺物になると考えるほうが、このダイナミックな変化の解釈としてはふさわしい。テクノロジーによる破壊のスピードには勢いがあるので、キャリアをスタートさせたときにしていた仕事は、キャリアを終えるずっと前に、世間で必要とされないものになるだろう。
たとえその職がまだ存在していたとしても、テクノロジーがその仕事を再編成し、その職をこなすために求められるスキルは、それまでとはほぼ完全に異なるものになるはずだ。それどころか、ある仕事または部門でスキルの価値が低下するとき、その仕事をしている人たちを新しい役割や業界に振り向ける必要があるので、人々は新しいキャリアに向けて“方向転換する”ことになる。
この方向転換は、従来の再研修の形をとるかもしれない。あるいは、次の方向転換のためのリソースとなる新たなスキルを働き手に授けて、既存のスキルを新しい状況に適応させることかもしれない。イノベーションに適応するため組織には吸収力が必要だと、第2章で述べたように、継続的学習としなやかマインドセットによって、個人は新しいスキルを身につける柔軟性を保つことができる。
方向転換が必要になるということは、職場の変化の只中に、個人が自らのキャリアの道を描く必要があるということだ。未来に向かうこの種のキャリアパスは、サーフィンにたとえられる。サーファーは波を捕まえて、波が自然に消えるまで波に乗り、それから沖に漕ぎ出して、次の波を待たなくてはならない。サーファーのなかには、できるだけ長い間波に乗ることを選ぶ者もいるが、次の波を好位置で捕まえられるように、ピークが過ぎたらその波から離れる者もいる。
同様に、働き手のなかには、特定の道にできるだけ長くとどまることを選ぶ者もいるが、早い段階で方向転換を試みて、絶頂期から絶頂期の仕事へと移動する者もいる。いずれにしろ、必要な人材を確実に手に入れるためには、自社にとって価値あるスキルの取得をシグナが社員に支援したようなやり方で、組織は異なるキャリアパスを支援する必要があるだろう。
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